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茶の話 (7) 韓国茶道では、なぜトレイを使うのか?

本家maazブログ2010/07/13のエントリです。

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悠久の時を超え現代に蘇る(?)韓国茶道を探訪するシリーズ。
 

今回は、トレイ(トイレじゃありませんw)の謎に迫ります。

 


毎度おなじみの風雅な韓国茶道の光景でございます。


美しいチマチョゴリをお召しの女性の前にございますのは、茶器を載せるトレイ、盆でございます。
そして、審査員と思しきオッサンと女性らは、卓袱台を前に坐しております。

 


さて、韓国茶道では、なぜ床に盆を置いて使うのでございましょうか。

 


そもそも、中国の茶芸に良く似た道具を使う韓国茶道、茶器を載せる盆が中国の茶盤に似ておりますのも無理はございません。しかしながら、中国茶芸の茶盤はテーブルに置いて使うもの。それを床に置くとは、いかがしたことでございましょう。

 

日本の茶道におきましては、茶筅を振って茶を点てますゆえ、畳の上に茶碗を置いて行うのが最も楽なのでございます。その上、畳を切った炉の茶釜から柄杓で湯を汲むなどいたしますことも、畳の上に茶道具を置くのが自然な理由でもございます。

 

 

一方、韓国茶道でございますが、韓国式正しい座り方、つまり立て膝をついた姿勢で、ポットの湯を注ぎ急須でお茶を淹れ、まことに窮屈そうに見えるのでございます。

 

日本の「煎茶道」におきましては、畳の上に布を敷き、その上に人数分の茶碗を一列に並べた細長い盆と他の道具を置いて茶を淹れます。但し、煎茶道は正座で点前を行いますので、動作が窮屈になることはございません。また、抹茶の茶道よりもダイナミックに湯を使いますことから、膝に帛紗を掛けて着物が濡れるのを防ぐようにいたします。元々、煎茶道は抹茶の茶道から派生しておりますので、畳の上でお点前をすることは、日本の畳文化や生活習慣からも自然なことと申せましょう。

 

このように考えますと、畳文化もなく茶道具による制約もない韓国茶道において、盆を床に置いて茶を淹れることはあまり理に適っているとは申せません。むしろ中国茶芸のように盆をテーブルに置いて使った方が自然なのでございます。

 

では、韓国にテーブルがないかと言いますと、写真を見ても分かります通り、審査員と思しきオッサンらは卓袱台を使っておるのでございます。もっとも、これはどうみても折り畳み式の日帝残滓。朝鮮伝統の卓袱台はないのかと思われるかと存じますが、元祖「朝鮮茶禮」では小さな膳を使っているのでございます。

 

「朝鮮茶禮」は、茶を飲む儀式ではなく、酒や食物などを供えて先祖を敬う儀式とのことで、これはまぎれもなく朝鮮オリジナルなのでございます。

 

されど、近年「韓国茶道は茶禮ではないニダ。高麗茶道ニダ」という流派が多勢を占めておりますゆえ「卓袱台なんか使わないニダ。床に置くニダ。日本の茶道は韓国起源ニダ」という状況になっているようでございますが、なんとその日本の茶道に高麗の卓袱台を模した「高麗卓」なるものが存在するのでございます。

 

     高麗卓

 

高麗卓は、写真のようなものでございますが、元々は朝鮮式の御膳のデザインを棚に取り入れたものでございます。

 

朝鮮式の御膳につきましては、19世紀末に朝鮮半島を訪れたアメリカ人アリフタン中佐が、手記に書き残しておられます。曰く、風変わりかつ優美な朝鮮式の小膳は、高さ約1フィートで、二本ずつ鎹で固定された4本の脚がやや内側に内反しており、食事の碗を配膳するため台の縁は幾分高まっている、と記されております。

 

高麗卓の点前は、棚点前の一種でございます。

 

平安末期に栄西禅師が、宋より茶と道具一式を持ち帰りました当時の、中国での作法では「台子(だいす)」という、棚よりも幅広いものが使われておりました。この当時の作法を、簡略にしたものが「棚」を用います棚点前で、さらに簡略化し必要最小限の動作だけに絞りましたのが平点前でございます。現在、もっともよく見られますのが平点前で、台子や棚を用いず、お道具はすべて畳の上に置かれます。

 

 

現在でも、台子を用いた点前におきましては、「唐物」と申します中国より取り寄せましたお道具、あるいはその写しを使いまして、宋より伝来当時のお点前を再現いたします。韓国起源のはずの日本の茶道に、中国式作法は伝承されておりますものの、韓国式作法が伝承されておりませんことは、全国のウリナラ起源愛好家の方々には格好のミステリーネタとしてお楽しみいただけることと存じます。

 

しかし、「高麗台子」というものは存在しております。高麗台子は、宗旦好みと遠州好みの二種類がございますが、宗旦好みは琉球貿易で輸入した唐物の写しと言われており、高麗卓は宗旦好みの高麗台子の幅を半分程度にしたものでございます。遠州好みの高麗台子は、木地製の大棚といった風情のまったく違うデザインでございます。

 

棚点前に用いる棚は、教科書にあるだけでも60種類ほどあり、高麗卓はその一つでございます。それぞれに、代々の家元が好んだという由来などがあり、棚によってお点前の作法が異なることもございます。棚には、水差と薄茶を入れる棗を飾ってお点前しますが、点前が終わったら柄杓と蓋置きを飾ります。


  

 シンプルな利休好みの角棚      御所車をイメージした御幸棚

 

茶道の点前の後には、必ずお道具の拝見がございますが、拝見に出されますのは、薄茶の場合は棗と茶杓、濃茶の場合は茶入れ、茶杓、茶入れに着せる「仕覆(しふく)」のみでございます。通常、柄杓と蓋置きは、点前が終わったら亭主が持ち帰りますが、棚点前の場合は最後に飾りますので、蓋置きはお客様の目を楽しませる伝統的意匠や季節感のあるものを用います。


というわけでございまして、この「高麗卓」こそ「ウリナラ起源の証拠ニダ」と騒ぎそうなものの、全く触れられないのもまたミステリーでございます。ウリナラ起源捏造の底の浅さとも言えましょうが、今後、韓国茶道が高麗卓を用いるように進化する可能性もございます。

 

 

チマ・チョゴリを着ただけで日本の茶道と全く同じお点前をしていた捏造の原点から、ロング茶筅茶道、トイレットペーパー茶道という道のりを経て、現在の中国茶芸モドキのスタイルを確立しました韓国茶道。


日々進化する韓国茶道に、当ブログも微力ながら貢献できれば幸いに存じます。
 

 

 

 

茶の話(6) 韓国茶道ではなぜ急須を使うのか?

本家maazブログ2010/07/06 のエントリです。

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ご好評いただいております韓国茶道はなぜ」のシリーズでございます。

 

さて、今回とりあげますのは、韓国茶道最大のミステリー「急須」でございます。

 

上の写真をご覧くださいまし。
手前の少女の膝前(右下の枠内)に美しい白磁の急須がございます。

 

急須は、抹茶を使用する日本の茶道では用いられない道具でございます。
なぜなら、日本の茶道が確立された時点では「急須」は存在しておりませんでしたので。

 

茶道具の変遷を考察する前に、茶の歴史の流れを簡単にご説明いたしましょう。

 

インドのアッサムから、ミャンマー北部、中国雲南、湖南を結ぶ茶樹の原産地「東亜半月弧」というものがございます。茶は、この地域から世界中に広がったわけですが、中国から日本に茶を飲む風習がいつごろ渡ってきたかは確かな資料がございません。唐の陸羽という文人が記した「茶経」を読めば、唐の時代には喫茶の習慣が確立していたことが明らかですので、日本からの遣唐使もみやげに茶を持ち帰ってと考えられております。

 

この頃のお茶は、「団茶」という茶葉を突き固めたもので、これを煎じますと茶色いお茶ができましたため、英語でいうところのBROWNを日本語では「茶色」と言うようになりました。現代でも、中国の普耳茶などには、団茶のように円盤形に固めたものがございます。

 

本邦でお茶がのまれていた最古の裏付けとなっておりますのは、奈良時代、聖武天皇の御代に「行茶」という儀式が行われたことで、この時の青磁の茶碗が正倉院に残っています。

 

茶の木が日本に移植されたのは、平安時代、最澄が唐に渡り一緒に帰国した永忠が茶の実を持ち帰り比叡山のふもとに植えたのが最初でございます。この茶の木の一部は、現在も残っており天然記念物に指定されております。

その後も茶は中国から輸入されて貴族や僧侶の間で飲まれておりましたが、894年に遣唐使が廃止されて茶の輸入が停止し、喫茶の風習も衰えてしまいました。

 

平安末期、栄西禅師に渡って臨済宗を日本に伝えた頃には、現在の抹茶と同等の上質の茶葉と茶を点てる作法、そのための精巧な茶道具ができておりました。1191年、栄西はこれらの茶と茶道具を宋より持ち帰り、京都の明恵上人に献上いたしました。この時、植えられた茶が京都の気候風土に適していたため、非常に上質な茶が生産できるようになり、さらに各地で茶の生産が盛んになったと言われております。

 

栄西は、茶を薬としてもとらえており「喫茶養生記」をまとめ鎌倉幕府三代将軍源実朝に献上しております。こうして茶の風習は京都から鎌倉にも広がり、禅宗と関係の深かった武士の間で大変流行いたしました。これこそが現代につながる抹茶を用いた茶道文化の原点と言えましょう。

現代よく飲まれるお茶といえば煎茶でございますが、煎茶の登場は江戸時代まで待たなくてはなりません。

煎茶は当初、「煎茶」と言うぐらいですから、茶を煎じて飲んでおりました。この煎じなければ抽出できなかった茶葉を蒸すことにより、「急須」に茶を入れて湯を注ぐだけで淹れられるようになったのでございます。

 

ここで、ようやく急須が登場いたしましたが、簡単に茶の変遷をまとめてみましょう。

 

団茶(奈良・平安時代)→ 抹茶(平安末期~) → 煎茶(江戸初期~)


中国の煎茶の場合、蒸す代わりに炒って発酵を止めます。この煎茶が、中国の最新流行として日本に伝わったのが江戸時代初期のことでございまして、当時、形式化された茶道に反発する新し物好きの江戸の文化人の間で大変流行いたしました。また、禅宗の一派黄檗宗の隠元和尚が、同時期に煎茶道を開いたと伝えられております。


話を韓国茶道に戻しましょう。


韓国茶道は、別名「高麗茶礼」とも呼ばれております。

「高麗茶礼」の起源(笑)は民潭新聞の記者が、「日本の茶道の作法は『詳細は省くが』高麗茶礼に何から何までソックリ」と記事に書いたのが始まりでございます。

 

この高麗茶礼をベースに確立したとされる韓国茶道で、不思議なことに「急須」が使われているのでございます。

 

これは、驚愕のミステリーでございます。

 

高麗時代は、918年から1392年。この時代は、まだ団茶と抹茶しか地球上に存在しておりません。当然、急須も存在しておりません。あったのは、茶や薬を煎じるための土瓶や鉄瓶、薬缶の類でございます。にも拘わらず、韓国茶道あるいは高麗茶礼では、美しい白磁の急須を用いるのです。

しかも、その急須は日本独特の横手急須。

 

横手急須は、注ぎ口から90度ぐらいの位置に持ち手の付いた、世界でも珍しいデザインでございます。
海外でもJapanese teapotと称して売られ、使い勝手が良いと愛好家には人気の商品となっております。

 

        横手急須(日本)

 

中国の茶壷やヨーロッパのティーポットは、注ぎ口から180度の位置に持ち手の付いた「後手」が主流でございます。

 

朝鮮半島の高麗青磁や白磁などのアンティークも後手か、写真のような「上手」となっております。

 

    

       中国茶壷                            紅茶用ポット                     高麗白磁酒器(アンティーク)

 
この高麗白磁のティーポットに見えるものは、実は酒器でございます。前述のように、高麗時代には煎茶はございませんでしたから、茶を飲む場合は煎じて飲むことになります。青磁や白磁は火にかけて使うことは致しませんので、茶を煎じる場合は素焼きの土瓶などを用います。というわけで、明らかに茶の道具ではございません。

 

 

高麗滅亡後、1392年に始まった李氏朝鮮時代には茶の風習が廃れ、代わりに木の根や陳皮、朝鮮人参などを煎じて飲むようになります。つまり、朝鮮半島における茶の歴史は煎じ続けて一千年、1910年に悪逆非道な日帝が野蛮な煎茶の文化を持ち込むまで、急須の出番はなかったのでございます。

 

韓国茶道で使われております、日本特有の横手急須は明らかに「日帝残滓」なのでございます。その日帝残滓が、14世紀末に滅びた高麗の茶礼に出現するという、韓国茶道は時空をも自在に捻じ曲げる力を持っているのでございます。

 


尤も、我が国にも、2008年に購入したCDとキャミソールを2007年の道知事選挙で使用するという、超時空大臣が存在いたしますが、時空の捻じれは一年ぽっちとしみったれ。

 

500年もの時空を超える、悠久の韓国茶道のミステリーをご堪能いただければ幸いでございます。

 

 

 

 

茶の話(5) 続・韓国茶道ではなぜ保温ポットを使うのか

本家maazブログ2010/0701のエントリです。

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表千家が済州で実演会=韓日茶道文化交流イベント

済州市涯月邑光令1里にある陶磁器文化博物館「済州窯」(キム・ヨンス代表)で24日、日本の伝統的な衣装である着物を身に着けた女性が正座し、厳粛な雰囲気の中、白い茶菓子を客のために一つ一つ丁寧に取り分けた。

 

続いて、着物姿の男性が、飯椀よりはやや大きめの茶碗に抹茶と熱湯を注ぎ、泡を消した後、客に茶を差し出した。茶碗を受け取った客は、茶碗が)全員に行き渡るのを待たず、横の人に軽く黙礼した後、両手で茶碗を持ち茶を口にした。この日、日本茶道の宗家・表千家の吉倉虚白宗匠と弟子10人余りが済州を訪れ、茶道を実演する茶会を開いた。このイベントは、韓国と日本の茶道文化交流イベントの一つとして企画されたもの。

 

表千家は、裏千家、武者小路千家と並ぶ日本の茶道3大派の一つで、およそ400年間、日本の茶道の伝統を守り、礼法を受け継いでいる。

 

吉倉虚白宗匠は、「茶道は主人と客が対等に、互いに尊敬し合い、澄んだ心を持ち、静けさの中で礼儀を守って進めていくもの」と語った。これに先立ち表千家の一行は、済州窯で茶碗38点の製作にも参加した。表千家の茶会の後、ソンビ(学者)の服装や韓服を身に着けた韓国茶道協会済州支部の会員15人が、韓国式の茶道を披露したほか、クォン・サンヨル国立済州博物館長による「韓国の器の話」と題した講演も行われた。なお、この日のイベントには、先の統一地方選挙で済州道知事に当選した禹瑾敏(ウ・グンミン)氏や明知大茶道大学院茶文化課程の学生15人も参加し、韓国と日本の茶道を比較体験した。 

オ・ジェヨン記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 

   < "`∀´>  裏千家はメジャーすぎて、捏造がバレるニダ。こんどは表千家をパクるニダ。

 

近年、日本と韓国の文化交流(という名のベンチマーキング)も盛んに行われ、真に喜ばしいことでございます。

 

さて、朝鮮日報のこの記事に気になる記述がございます。

「茶碗が全員に行き渡るのを待たずに茶を口にした」とありますが、日本の茶道では「一つの碗の茶を皆で分かち合う」ことを基本と致しておりますので、茶が全員に行きわたるのを待つということは不可能なのでございます。濃茶の場合は、一つの茶碗で練った茶を客が順々に回していただくきます。薄茶の場合、客は茶をいただいた後、茶碗を亭主に返し、亭主は同じ茶碗を使って次の客の茶を点てることになります。

 

ただし、大寄せの茶会の薄茶に限りましては、時間の関係上、正客と次客ぐらいまでを亭主が点て、後は水屋で点てられた茶をお出しするような段取りも見られます。それでも、次の客の茶碗が出されるのをお待ちすることはありません。なぜなら茶は飲みよい温度で出されますので、次の客をお待ちするとせっかくのお茶が冷めてしまうからです。ですので、次の客に「お先に」と挨拶して頂くことになります。

 

韓国茶道は、お茶が全員に行きわたるまで飲むのを待つのでしょうか?だと致しますと、韓国茶道のコンセプトは日本の茶道のコンセプトとは全く異なるものなのでございましょう。

 

さて、本題の「韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか」というより「日本茶道では、なぜ保温ポットを使わないか」の続編でございます。

 

前回は、炉や風炉の炭火もお客様へのおもてなしの一部というお話をいたしましたが、保温ポットが日本の茶道で用をなさないもう一つの理由をご説明申し上げましょう。

 

 

炭火と茶釜の組み合わせにできて、保温ポットにできないことはなんでしょう。

 

はい、湯の温度を上ことでございますね。

 

 

茶会では、濃茶と薄茶の両方をお出ししますが、濃茶と薄茶では美味しく頂ける温度に違いがございます。

濃茶は低めの温度、薄茶は高めの温度なのですが、茶会では懐石→濃茶→薄茶の順に行いますので、薄茶を点てる際に湯の温度を上げる必要がございます。

 

日本の茶道のお手前では、茶釜の蓋を開けたり閉めたり、炉と風炉で作法が違ったりと、お茶をなさらない方には「意味わかんねーよ」と思われる動作が多くございますが、実はすべての動作に意味がございます。

 

茶釜の蓋を開けたり閉めたりするのは、湯の沸き加減を調節しているのでございます。夏場の濃茶の場合、チンチンに沸騰したお湯に水を一杓差した温度が丁度良いとされております。水を一杓差すのは、蕎麦などを茹でる時に入れるビックリ水と同じ発想でございます。昔は竈で煮炊きしておりましたので、火加減の調節が難しいため、水を差して温度を下げておりましたが、現代のガスコンロなどでは温度調節が自在ですので、蕎麦を茹でる際にビックリ水を差す必要はございません。コンロの栓をお回しください。

 

湯の沸き加減は、暑い夏場と寒い冬場では変わってきます。

 

冬場は、茶釜の蓋を直前まで閉めておき、充分に沸き立たせてから濃茶を練ります。

夏場は、茶釜の蓋は開けたままにして置き、水を一杓差して濃茶を練ります。

 

            水差しと柄杓

 

このように、水を差すことを「湯相を整える」と申しますが、薄茶の場合は湯相を整えることは致しません。

 

茶釜の蓋が開いた状態で沸いているお湯をそのまま汲んでお薄を点てます。

 

ウリナラ茶道におきましては、以前抹茶をお使いのようでしたが、ウリナラの歴史に抹茶を飲む習慣はないと指摘されて以来、中国茶に似た煎茶を用いておりますため、炉や茶釜は必要なく、保温ポットでどなたでもお手軽にお茶を淹れることができるのでございます。

中国の功夫茶とどこが違うのかというツッコミは、この際お忘れいただき、ウリナラ茶道を存分にご堪能いただければと思う次第でございます。

 

 

 

茶の話(4) 韓国茶道ではなぜ保温ポットを使うのか?

本家maazブログ2010/06/29のエントリです。
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民潭新聞記者発「茶道の起源は韓国ニダ」旋風が巻き起されて以来、韓国におきましても様々な普及活動が行われておりますようで、まことに喜ばしい限りでございます。
 先般も「全国青少年茶の礼節競演大会」の模様が報道されるなど、日本のウリナラ起源愛好家にも目が離せない活況ぶり、心よりお祝い申し上げます。
 
礼節競演大会の様子を伝える写真で、ウリナラ起源愛好家達から最も注目を浴びましたのが「保温ポット」でございました。別名、魔法瓶とも申します。「高麗茶礼起源ニダの伝統ある韓国茶道に、なぜ現代の魔法瓶が使われてるの?」「これでこそ韓国茶道」「ブルーシートはどこへ行った?」などと話題も大変に盛り上がり、ウリナラ起源愛好家の間での韓国茶道の人気の高さを伺わせました。
 
 

全国青少年茶の礼節競演大会
 
 
さて、本題でございます。
韓国茶道ではなぜ保温ポットを使うのか?
 
これもトイレットペーパーと同様に、21世紀に創作された捏造だからと簡単に片づける訳にはいかない、深い事情がございます。<参考:茶の話(3)
 
しかしながら、朝鮮半島の住宅事情やウリナラ精神にも関わる深すぎるお話ゆえ、ここはむしろ「日本の茶道ではなぜ保温ポットを使わないのか」をご説明申し上げた方がよろしいかと存じます。
 
さて、日本の茶道では保温ポットを使わないかと申しますと、絶対に使っちゃいかんということはございません。
 
茶の心には、「ありあわせ」と申しまして、道具がそろわなくともその場にあるもので心を尽くすという考えがございます。以前も書きましたが、枯野に打ち捨てられた壊れ兜を茶釜代わりに茶を点てたという話もございますゆえ、ポットでも薬缶でもお客様の心が温まるなら問題はございません。
 
また、家庭や職場などでも手軽にお茶を点てられるようにと、「千歳盆点前」なども考案されております。
千歳盆(ちとせぼん)とは、日本旅館でよく見られる急須や湯飲みが入った丸い容器で、そこに茶道具を仕舞い、蓋を盆として用いて茶を点てます。通常、風炉の上に鉄瓶を置いてお点前しますが、ご家庭などではポットや薬缶をご利用頂いても結構です。
 
とは申しますものの、茶会などでポットを使用することは絶対にございません。
 
なぜなら、炉や風炉で炭を焚き、釜の湯を沸かすのも茶会におけるおもてなしの一部だからです。
まず、炉と風炉(ふろ)の違いですが、炉は畳を四角く切った囲炉裏が小さくなったものと言えば分かり易いでしょうか。茶道と聞いて誰もが思い浮かべるアレでございます。
 
一方、風炉と申しますのは、金属や陶器でできた火鉢のようなもので、冬場は炉、夏場は風炉というように、季節によって使い分けるようになっております。
 
炉は、亭主の座る点前畳と客畳の間にございますので、寒い冬場はお客様も炉の炭火で暖まって頂くことができます。春になってまいりますと、炭火が見えますのも暑苦しくなりますので、帽子の鍔のようなものがある透木釜を使い、お客様から火が見えないように工夫いたします。
 
夏場になりますと、炉を畳で塞ぎ、風炉をお客様から遠ざけて置いてお点前をいたします。秋も深まり十月になりますと、火も恋しくなってまいりますので、中置きと言って風炉をお客様に少し近づけて置きます。
 
また、炉や風炉に炭を継ぐ「炭点前」も茶会の見せ場の一つでございまして、最初に炭を継ぐ際にはお香を使いお客様に香りを楽しんで頂きます。
 
このように日本の茶道は、お茶を喫んで頂くだけでなく、茶室の空気や季節の移り変わりなどを感じて頂くことも重要な要素となっており、そこがウリナラ茶道とは違う大きな特色なのでございます。
 
ウリナラ的には「朝鮮半島には世界に誇る床暖房オンドルがあるニダ。炉だの風炉だの古臭いニダ。保温ポットを使うニダ。チョッパリもオンドルを使えニダ」なのでございましょう。
 
しかしながら、凝り性の日本人と致しましては、茶釜や風炉のデザイン、炉縁の蒔絵なども鑑賞の対象と致しておりますし、炊事をする竈の臭いがそこはかとなく漂うオンドルでは抹茶の香りも楽しめません。また、畳を使う茶室では火災が発生する危険性がございますゆえ、オンドルはご遠慮申し上げる次第でございます。

 

茶の話(3) 韓国茶道はなぜトイレットペーパーを使うのか?

本家maazブログ2010/06/28のエントリです。
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韓国人が「茶道の起源は韓国」を主張して以来、既にに数年経ちますが、当初、韓国茶道を紹介する写真で最も衝撃的だったのがトイレットペーパーの存在でございました。
 
この話題がネットを駆け巡り「韓国茶道」がお笑いの対象になりましたのはご存じの方も多いことと思いますが、近年では韓国人もこの可笑しさに気づき、トイレットペーパーを使わない茶道に変化させた模様でございます。

トイレットペーパーを使う韓国茶道(笑)
 
さて、なぜ韓国人は当初、「韓国茶道(笑)」にトイレットペーパーを用いたのでしょうか?
21世紀に創設された捏造だからと言ってしまえばそれまでですが、本当の理由は「懐紙」の代替品となる伝統紙がなかったからでございます
 
「懐紙」は、平安時代に貴族が手紙や和歌をしたためたり、菓子を包んだりして使用したものが始まりです。
 
当時、原料となる植物がよく育つ自然環境と製紙技術が両立しないと大量生産できない紙は貴重品として扱われ、文書や絵画に用いるのは一般的でしたが、菓子を包むなど日用品として用いるのは世界的にも珍しい文化と言えましょう。
 
紙漉きの技術は中国伝来ですが、中国よりも自然環境に恵まれた日本では、中国よりも多くの紙が生産され、それに伴い日本独自の紙漉き技術も開発され、更に生産量が増えました。
それにより紙の種類も増え、障子や襖、番傘、紙縒りなどの日常生活のあらゆるところに用いられるようになったのでございます。
 
江戸時代に、浅草紙などの再生紙も多く作られるようになりますと、日常生活における紙の用途も広がり、現代のティッシュペーパーのような消耗品としても扱われるようにもなりました。
店などを「ひやかす」という言葉は、浅草の再生紙作り職人が、煮溶かした古紙を冷ます間の暇つぶしに、買いもしないのに吉原をぶらついたことに由来すると言われております。
 
また、江戸の町には塵一つ落ちていなかったとよく言われますが、くず紙を拾い集めて再生紙の製造所に売る商売が成り立っていたためでございます。
 
江戸時代、町人や農民までもが識字率が高かった理由も、紙の大量生産と切り離して考えることはできません。
文字を覚えるには、読書と習字が不可欠ですが、どちらも紙という媒体がなければ普及は困難なのでございます。
ヨーロッパ中国などで、一般大衆の識字率が向上しなかったのは、紙の生産能力の違いにあったと言っても過言ではないでしょう。
 
況してや朝鮮半島においては、14世紀に発明された庶民文字ハングルが、20世紀に日帝の手によりようやく日の目を見るようになりましたのも、朝鮮半島の紙事情を如実に示すものでございます。懐紙を知らない韓国人が、21世紀の韓国茶道(笑)でトイレットペーパーを用いてしまうのも無理からぬことでございましょう。
 
とはいえ、読み書きを学ぶための紙すら手に入らなかった「哀号ー!」な歴史を華麗にスルーし、折り紙は韓国起源ニダと主張して憚らないのが韓国式ポジティブシンキングなのでございます。

 

 

 

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