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【茶道】韓国人が茶道ウリナラ起源説を自ら否定

【悲報】 「うちの国のほうが上品だ(笑)」 日本のご飯の食べ方が韓国人にバカにされる 

1 : ムーンサルトプレス(岡山県):2013/09/14(土) 19:10:07.29 ID:IXO9+n4H0
 
韓国のネット掲示板に「韓国・日本・中国、ご飯の食べ方」というスレッドが立っていたのでご紹介。

 

1. 韓国人(スレ主)

 

韓国
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/0/2/0274e9ba.jpg
食器を食卓に置いたまま食事をする 茶碗を持って食べれば、乞食が食べているように見られる
アジア圏で食器を置いて食べるのはほぼ韓国だけ なぜなら韓国はご飯をガツガツ食べる時も
スプーンを使ったから こんな感じで

 

日本
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/c/4/c434d864.jpg
日本は茶碗を持って食事をする 茶碗を置いて食べるのは、犬が食べているようだと悪く見られる
この理由は、かつて雑穀を混ぜた米を食べていたため、ご飯に粘り気が少なかったから
ご飯が残りわずかになると、茶碗を口に近づけ、そのわずかなご飯を箸で口の中に流し込むようにして食べる

 

中国
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/f/e/fef69ed7.jpg
基本的には日本と同じだが、さらに貪欲に食べるのがポイントだ
食事をするときは、おかずを口いっぱいに頬張り、ご飯は茶碗を口につけ流し込むようにして食べる
食器を食卓に置くことは「食事が終わり」または、「ここの食事は口に合わない」などの意味が込められている
お淑やかに食べるのはマナー違反となるので、下の画像のようにガツガツと食らうのだ

 

http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/32923898.html
(>>2に韓国人の反応)
 

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1379153407 より

 

 

 

相変わらず、下朝鮮人は頭の悪い事です。

 

自分たちの、立て膝で犬食いを優雅な食事マナーだと思い込むのは勝手ですし、日本の食事マナーをバカにするのも勝手ですが、それが「茶道ウリナラ起源」を自ら否定している事に気づいていないあたり、やっぱりバカですわ、下朝鮮人は。

 

 

 

>この理由は、かつて雑穀を混ぜた米を食べていたため、ご飯に粘り気が少なかったから

 

やはり、下朝鮮人はバカですね。

雑穀を混ぜたコメというか、ほんど雑穀のみを食べていたのは、朝鮮人ですよ。

だから、未だにご飯をスプーンで食べるんです。

 

 

>茶碗を口に近づけ、そのわずかなご飯を箸で口の中に流し込むようにして食べる

 

これは、本来、日本の食事でもマナー違反。

ですが、自宅でくつろいで茶づけなどを食べる際には、細かいマナーはとやかく言わないものです。

そんな日本でも行儀の悪いとされる食事風景を、日本のテレビなどがCMやドラマなどのシーンに盛り込むものですから、バカな下朝鮮人が勘違いするわけですね。これは、日本のバカテレビの仕業ですから、下朝鮮人のバカさ加減だけを批判する訳にはいきません。

 

 

 

さて、なにかと下朝鮮人が馬鹿にする、茶碗を手に持って食べる日本の食事マナー。

 

すべては、茶道の茶懐石のマナーだというのはご存知ですか?

 

 

バカな下朝鮮人は茶道は茶を立てて飲むだけだと勘違いしているようですが、通常、茶事は懐石と呼ばれる食事から始まります。

 

 

懐石は、折敷(おしき)という脚のない膳に、まず飯椀、汁椀、向付がのせられて供されます。

 

 

膳よりも低い折敷にのせられた食事を、正座して姿勢を正して食べるわけですから、当然、椀を手に持ち適正な高さに保つようになるわけです。

 

 

その後、煮物、焼物、預け鉢、八寸など順々に供されますが、これらも、椀の蓋などに取って食します。

 

 

但し、口を付けてよいのは汁ものだけで、それ以外は椀などを顔に近づけ過ぎずに食べるのがマナーです。

 

ご飯を残さず食べるのは、禅僧の精進料理が懐石の源流であるためです。

 

 

実は、椀などを手にして食事する理由が、もうひとつあります。

 

 

それは、茶の湯が盛んに行われた安土桃山時代から、日本人が芸術品と呼んで差し支えないような、美しい小袖を来ていたからに他なりません。

 

侘び茶といえども、茶の湯は晴れの席です。晴れの席には、格の高い着物を着て行くのが当然の礼儀。

 

椀を手に持って食事するのは、美しい着物や帯を汚さないための工夫でもあります。

 

 

 

 

まー、汚物まみれの白い服しか着た事のない朝鮮人には、理解不能なマナーでしょう。

 

 

 

「茶道はウリナラ起源」などと寝言を抜かすバカな下朝鮮人には、「食器を床に置いてスプーンで喰らう文化は茶道ではあり得ませんねー」と、憐みのまなざしを向けてやってください。

 

また、日本の食事マナーを笑うバカな下朝鮮人には、「やっぱり茶道は朝鮮半島とは何の関係もないですねー、あーよかったー」と、慈悲深いほほえみを投げかけてやってください。

 

 

 

 

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朝鮮半島の茶道への影響力は、木の葉以下。

前のエントリでは、高麗物の茶道具を用いた場合の専用のお点前が無い事をご説明しました。

 

 

しかし、中には、

 

「幕末や戦国時代みたいに、世の中が動乱していれば茶の湯が変わるのはあたりまえニダ」

 

「高麗物のお点前がないからって、日本の茶道が朝鮮の影響を受けていないとは言えないニダ」

 

と、思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

おっしゃるとおりでございます。

戦国時代だの幕末のような、動乱の時代は滅多に起こるものではありません。

ニダー様方が、納得されないのも道理です。

 

 

というわけで、今日のお題!

 

「朝鮮半島の茶道への影響力は、木の葉以下。」

 

 

何事も、「影響を与えた」というからには、影響を与えられた対象に変化が起きるのが当然なわけでございまして、何の変化も起きなければ「影響を与えた」とは言えないのでございます。

 

茶の湯において、変化が生まれるとは、イコール新しいお点前が考案されるということに他ならないのでございます。

 

高麗茶碗が使われるようになったんだから、確かに影響を与えたニダ!という理屈がまかり通るなら、ベトナムやタイの陶器、ヨーロッパ陶器やギヤマンやらも影響を与えた事になるわけで。

近年では、備前焼でビールを飲むのがツウの間で密かに流行っているようですが、だからといって岡山がビール文化に影響を与えたとは誰も思いません。

 

 

しかし、そのような明快な理屈より恨の精神が勝るのが、ニダー様方の特徴でもあります。

 

 

というわけで、これはもう、何をきっかけにどのようなお点前が考案されてきたかをリストアップするのが一番でしょう。

 

 

 

<その1> 貴人点

 

「うちの殿様がゴリ押ししたせいで、禁中で茶会やるんだって」

「え?まじ?でもあの人達、箸より重いもん持ったことないっていうじゃん。茶碗とかにじって取りにいけんの?」

「無理」

 

という会話が、秀吉の家臣の間で交わされたかどうか知らないが、お公家様がお客様の場合に行う至れり尽くせりのお点前。

 

 

<その2> 入子点

 

「足元のおぼつかねぇ年寄りの点前は、見ちゃいらんねーや」との理由で考案されたのが、

道具の運び出しが一回でできる入子点。

 

 

<その3> 茶碗荘、茶入荘、茶杓荘

 

特別な由緒のある茶碗、茶入、茶杓などを使う場合に、

「今回の茶碗は、特別なんだからね!どうゆう由緒のものか、ちゃんと聞いてよね!」

と、由緒自慢を促す質問をすることを客に強要する、俗に「かざりもの」と呼ばれるお点前。

 

 

<その4> 中置点前

 

「10月も末になると、以外に冷えるよね」という理由で、寒々しい水差しを遠ざけ、風炉を客に近付けて置くサービス精神満点のお点前。

 

 

<その5> 流し点

 

「なんかさー、毎回毎回、マジんなって茶会やるのもかったるいよねー」

「そうそう。マブダチ同士で集まってんのに、バカ話の一つもしないでお道具の問答とかwww」

という発想からできた、親しいダチ同士がカジュアルにお茶を楽しむお点前。

 

 

<その6> 重ね茶碗

 

「茶碗2個重ねて運び出せば、手間が省けるよねー」

 

そのまんまです。

 

 

<その7> 葉蓋

 

「夏場に、葉っぱとか水差しの蓋代わりに使ったら涼しげじゃん?」

と言う発想で、蕗などの大ぶりの葉を使い涼しさを演出する葉蓋のお点前。

 

 

<その8> 包帛紗

 

「あー!濃茶やりたいのに茶入が無いーーー!」

 

という緊急時に、通常薄茶に使う棗を、茶入代わりに使って濃茶を練るお点前。

 

 

 

このように、茶の湯の世界では、動乱のような大きな世相の変化がなくとも、日常のちょっとしたきっかけや、生活の知恵から考案されたものが少なくありません。

 

 

 

葉っぱですら、新しいお点前を考案させるほどの影響を与えているのに、朝鮮半島ときたら・・・。

 

 

 

 

 

朝鮮半島が日本の茶道に何の影響も与えていない、明らか過ぎる証拠

前のエントリのコメント欄で、相模様への返信として書いたのですが、

 

茶道具のコレクターを「数寄者」と言います。

 

「すきしゃ」と読みます。「スキモノ」ではありませんwww

 

 

ですが、数寄という言葉は、「好き」という言葉に別の漢字を当てたものですので、「スキモノ」でも当たらずとも遠からずです。

 

「好き」を「数寄」と書くとか、なんだか「四六死苦」みたいなノリですが、「スキ」という音に「数を寄せる」という字を当ててコレクターを表すって、結構、良くできた言葉なんですよ。

 

 

そんな数寄者は、オタクなスキモノとでも言いましょうか、とりわけレア物集めが大好きです。

 

もちろん有名作家の高価な作品にも食指を動かされますが、世界中にコレ一つしかない系には目がありません。

 

オレだけが持っている世界で唯一の茶道具を、ライバルの数寄者達に見せびらか・・・口が滑った。お客様にご覧いただく茶席は、オタクの集う超小規模なコミケ会場のようなもので・・・って全然フォローになってないです、数寄者の皆様すいません。

 

 

そんな茶道具オタク、もとい、数寄者がどのくらい変態・・・じゃなくてエキセントリックな趣味をお持ちかと言うと、

 

 

間違っても二つと同じものを作れない、欠けた茶碗を金接ぎで修復したものとか、

 

 

 

 

やつれ鉢と称して、端の欠けた鉢をそのまんま使うとか、

 

 

 

 

原型をとどめない、壊れ放題の風炉に茶釜をかけるとか・・・・・・

 

(写真:いずれも阿部宗正著「茶席の会話」より拝借)

 

 

茶席でこういったものを用いては、ライバルの数寄者に

 

「大変お珍しいお茶碗で・・・」

「やつれ具合に風情のある菓子鉢で・・・」

「何ともいえぬ趣のある風炉で・・・」

 

などといった賛辞を強要・・・いや、なんでもありません。

 

そのような賛辞を浴びながら、オタク数寄者は、今日の茶席の趣向にこんな道具取り合わせちゃうオレカッコイイ的な、奇妙な満足感に満たされるのであります。

 

 

 

ここまでくれば皆様も、朝鮮の陶工や高麗茶碗が安土桃山時代の数寄者に、なぜ持て囃されたかおわかりの事と存じます。

 

まあ、あまり多くは語りますまい・・・

 

 

因みにこちらが、当時開発された代表的高麗茶碗の井戸茶碗。

 

 

どうみても、庶民がメシをガッツくための茶碗です。

 

 

 

ところで、前のエントリで唐物、国物、高麗物、島物といった分類をご紹介しました。

 

なぜこのような分類になっているかという経緯を話せば、

 

中国から茶が伝わった当初、唐物と呼ばれる中国からの輸入品の道具を用いて、それに合わせて考案された点前をしていました。

やがて、高価な舶来品を使い華美を競う傾向が強まると、それに反発して「侘び茶」が起こります。

 

侘び茶では、素朴な国産の道具を使うようになり、点前も簡略化されていきます。

 

つまり、唐物と和物(国物)では、お点前が違うのです。

そのため、唐物と和物を明確に区別するようになったのです。

 

 

 

 

現在でも、唐物を用いた場合は、中国伝来当時に考案された複雑なお点前をします。

これは、間違いなく茶の湯が中国から伝わったことを示しています。

 

茶の湯には様々なお点前がありますが、そのいずれもが、世の中の変化などの「影響」により考案されたものです。

 

もっとも大きな変化が起きたのは、和物を使う「侘び茶」が発達した室町時代後期と、西洋人が流入してきた幕末です。

 

幕末に考案されたものの代表として、机と椅子を用いた立礼式があります。

これは、正座に慣れない西洋人にも茶の湯が可能なようにと考案されたものです。

 

また、西洋人のピクニックの習慣に合わせて、茶箱点前が季節に合わせた形にまとめられました。

 

このように、様々な「影響」により、新しい点前が考案され、古い点前の改編が行われてきたのが茶道の歴史でもあります。

 

 

 

ところで、皆様もご存じの通り、朝鮮半島人はよく「茶道の起源は韓国」だの「韓国の茶禮が日本の茶道に影響を与えた」だの「朝鮮の陶工が茶道文化を形成した」だのと寝言を垂れていますが、「影響」を与えたというわりには、

 

 

高麗物専用のお点前は、一つもありませんwww

 

 

 

 

 

 

高麗茶碗こそ、朝鮮半島が日本の茶の湯に何の影響も与えていない証拠

前のエントリでは、司馬遼太郎先生のズバ抜けた創作力の罪深さについて触れました。

 

が!しかし、司馬先生は、あくまでも小説家なのであって、歴史家ではないわけで、先生が書くのは、時代小説であって歴史書ではありません。やはり、そこんとこをしっかり理解してない読者の罪深さ、創作エッセイをノンフィクションであるかの如く出版する編集者の罪深さの問題でしょう。

 

 

というわけで、本日のお題。

 

「高麗茶碗こそ、朝鮮半島が日本の茶道に何の影響も与えていない証拠」

 

 

さて、「強制連行(笑)」はさておき、文禄慶長の役の2年後に朝鮮の陶工が多数、日本に渡ってきたことは事実でありまして、また、それ以降、日本の陶器の技法に多くのバリエーションが生まれた事も事実でございます。

 

このように書きますと、当時の朝鮮の陶工はさぞかし優れた最先端技術を持っていたのだろうと「勘違い」なさる方も多いかと思います。

 

しかし、前のエントリで書きました通り、当時の朝鮮の陶工の仕事と言えば庶民向けの日常雑器作り。精巧な高麗青磁が廃れて、100年以上も経とうと言う頃です。

 

それでも、陶工たちは高麗青磁の技法を細々と伝えてはいたのですが、やはり、当時の日本の茶人の目に留まったのは彼らが量産していた「日常雑器」でした。

 

その日常雑器が、なぜ茶人を魅了したかと言う話は後ほど説明いたしますが、その前に、たかだか日常雑器の技術ごときで、どのように日本の陶芸の技法のバリエーションが広がったのかをご説明いたしましょう。

 

 

ものづくりに携わる方はご存じのことと思いますが、ものづくりの技術は「より端正に、より精緻に、より美しく」進んでいく傾向があります。やきものの歴史も同じで、荒々しい手触りの陶器から、なめらかで光沢のある磁器に変遷していったことはどなたもご存じのことと思います。

 

日本のやきものの一大生産地である愛知県の瀬戸では、12世紀からすでに表面に光沢をあたえる施釉陶器が作られていました。磁器生産の開始こそ17世紀に入ってからですが、瀬戸ではそれ以前から陶器でありながら磁器の風合いに近い繊細なやきものを大量に生産しておりました。

地方によっては、備前焼や信楽焼のように素焼きの風合いを生かしたものを特産としている所もありましたが、その素焼きでさえ常滑焼のようになめらかさを極めたものが作られるほどでした。

 

朝鮮の陶工が日本へ渡ってきたのは、日本人がより繊細でなめらかな陶器を追い求め、日本の陶工たちが腕を競い合っていたそんな頃。

 

彼らのもたらした陶器は、粉引きのようなマットな感触の白化粧や、ざんぐりとした素朴な風合いの素焼き、大胆な刷毛目、朝鮮唐津に見られるかりんとうの表面のような釉薬使いなど、技術的にはむしろ後退するようなものでした。唯一、精緻な技巧といえば、細々とつないできた高麗青磁の技法を応用した三島象嵌。

 

ところが、この素朴な風合いが当時の日本人には却って新鮮に映ったのです。

 

それは、写実的な絵画の技術が極限まで高められた後に、抽象的な絵画がもてはやされるのと同じような現象と言えましょう。

 

 

つまり、当時の日本では、朝鮮の陶工により、むしろ技術的には後退した陶器が量産されたと言えますが、同時に、前衛芸術のような「おもしろい」技法が次々と生み出されたとも言えます。

 

 

さて、ではなぜ当時の日本の茶人は、競うようにそのような陶器を求めたのでしょうか。

 

 

茶の湯の世界では、陶器を「唐物」「国物」「高麗物」「島物」と分類しています。

 

「唐物」は、読んで字のごとく中国より伝来したものですが、より具体的に言うと、天目茶碗などの中国から茶が伝わった当時のデザインの物を指します。つまり、国産の「唐物」もあります。

 

「国物」または「国焼き」は、侘び茶の発達により高価な唐物に代わり、侘び茶に適した国産の焼き物をという気運から茶の湯に採り入れられた国産品です。

 

そして、「高麗物」は朝鮮半島産、「島物」は琉球や東南アジア産のものを指します。

 

 

茶の湯の世界では、道具に関して「お珍しい」というのが最大の賛辞となっていますが、これは、珍しい物をセレクトした亭主のセンスを褒めているのです。

これは、外国産だから良いとか、安ものだからダメだということではないのです。

どんなものでも唯一無二の物で、その茶席に最適のものであるのが素晴らしいとされます。

 

つまり、茶人は高麗茶碗だからという理由で選ぶのではなく、茶席に適した茶椀であれば、ベトナムの安南だろうが、ポルトガルのおらんだ焼(笑)だろうが産地など二の次なのです。

 

茶人でもあった毛利輝元が、李兄弟を囲い込んで萩焼を作らせたのも、高麗茶碗が欲しかったのではなく「毛利家門外不出の茶碗」が欲しかっただけなのです。

 

すでに腕の良い陶工を抱えていた茶人は、特に朝鮮の陶工に拘りませんでしたし、利休お抱えの楽長次郎は明の陶工を父に持つ日本人でした。

 

 

 

というわけで、「文禄慶長の役を別名やきもの戦争という」というフレーズは真っ赤なウソです。

後世の人間が勝手にそう呼んでいるだけで、そんな記録はどこにもありません。

 

 

 

 

次回は、「朝鮮半島が日本の茶道に何の影響も与えていない、明らか過ぎる証拠」をお送りします。

 

 

 

 

 

司馬遼太郎も結構罪深い奴なんである

前のエントリでご紹介した、在米バ韓国人が意味不明な妄想を米国の教科書に記述させようと必死な件ですが。

 

*****

韓人教育専門家たちはこの法案が成立した場合、以下の様な新しい韓国記述内容が含まれると期待している。

▲韓国の陶工が日本に渡って日本文化形成に寄与した。

▲東アジア思想と文物を韓国が日本に伝えた。
韓国は1980~90年代、大きな経済成長を成し遂げ、現在のインターネットおよび情報技術(IT)産業の主導的な役割をする国家

 

******

 

どうせ、「東海」表記の要求と同じで、米国人に蹴っ飛ばされるのが関の山と思いますが。

なんたって「韓国は1980~90年代、大きな経済成長を成し遂げ」なんてのは、米国や日本の経済援助によるものと米国人が知らないわけないわけで。

 

でも、せっかくなので、弄ってやりましょう。

 

 

というわけで、今日のお題はこちら!

 

▲韓国の陶工が日本に渡って日本文化形成に寄与した。

 

 

始めに結論を申し上げましょう。

 

× 韓国の陶工が日本に渡って日本文化形成に寄与した。

 

○ 安土桃山時代の空前の茶の湯ブームが、朝鮮の失業者を救済した。

 

 

日本の安土桃山時代といえば、朝鮮半島では高麗を滅ぼした李氏朝鮮が確立して150年以上も経過したころ。

明の属国として、中国文化というより中国の悪弊を忠実に、というか劣化あるいは悪化させて採り入れて浸透しきった頃。

科挙による官僚制度で、腐敗しきった王族、上流階級のみならず、搾取に苦しみまともに働くなんてやってらんねーやと、下層階級まで碌に仕事もしなくなるという、まあ、現在の朝鮮半島とさして変わらぬ状態にありました。

 

そんな中、権謀術数で政敵を嵌めたり、自分が嵌められたりした上流階級が、中国を真似て毒殺防止に採り入れたのが金属食器。

 

とはいえ、中国で使われた銀食器とは異なり、真鍮だったりするんですけどね。

 

それで、毒が見破れたのかどうかは、わかりませんが、本人たちが満足ならケンチャナヨ。

 

 

というわけで、その結果、大量に発生したのが元陶工の失業者。

 

高麗時代には、高麗青磁という精巧な磁器を作っていたんですが、そんな高級品の需要が無くなり、日常のつまらない雑器ばっかり作らされていたんですねぇ。気の毒に。

 

 

そこへ登場するのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵でやってきた日本の大名たち。そして、彼らによる「強制連行(笑)」・・・

 

と思ったら大間違い。

 

朝鮮の陶工は、秀吉の朝鮮出兵より以前から職を求めて日本に来ていたんですねぇ、これが。

 

その証拠に、朝鮮出兵の前年に切腹させられた千利休の所持品に、唐津焼の一種である奥高麗茶碗が含まれていたのです。

つまり、朝鮮出兵以前から朝鮮の陶工は日本に来て、すでに新しい焼き物を開発していたのですねぇ。

 

唐津焼や伊万里焼は、朝鮮出兵の時に「強制連行(笑)」された朝鮮の陶工によって技術が伝えられて云々って言うのが、朝鮮人の主張なわけですが、

 

 

これだと、唐津焼や伊万里焼に関しては、「朝鮮の陶工が技術を伝えた」あるいは、「強制連行」のどちらかがウソって事になってしまいますねぇ。

まあ、事実や証拠なんざ関係ないウリナラ史観ですから、矛盾が発生するのも当然なんですが。

 

 

実際には、唐津には「古唐津」というルーツがあって、これは唐津市の南方にある岸岳に城をかまえていた波多氏が、早くから大陸へと勢力を伸ばして技術を取り入れたという経緯があります。名前が波多氏というぐらいですから、まあ中国とは昵懇の間柄だったのでしょうねぇ。朝鮮よりも。

 

いつの頃からか、一説によると司馬遼太郎が「故郷忘れじがたく候」という『創作的エッセイ』を書いた頃からとも言われているが、日本の陶芸関係者に拘わらずどいつもこいつもだが、日本の陶器のルーツというと「慶長文禄の役」で完全に思考停止してしまうバカばかりになりました。

 

 

「創作」と「史実」の違いも理解できないって、まるで某国人のようですが、バカなの?死ぬの?

 

 

 

慶長文禄の役の後、唐津焼をはじめ日本の焼き物にバリエーションが広がったのは確かです。

唐津の窯では、昔からの陶工と朝鮮から渡ってきた陶工により、新たな技法が次々と生み出されています。

 

また、新しく生まれた焼き物として有名なところでは、毛利輝元に仕えて御用窯を務めた李勺光・李敬兄弟による「萩焼」があります。

それにしても、「強制連行」されてきた割には、「坂高麗左衛門」の名を賜って御用窯を務めさせてもらうとか「破格の待遇」ですねぇ。

 

司馬遼太郎の創作エッセイのモデルで、薩摩に渡った陶工「沈壽官」の初代沈当吉は、遠い異国の地で辛い生活を送っていたとされる割には、第一次朝鮮通信使の「帰国」の呼びかけに応じることなく、なぜか代々日本でご活躍でございます。

島津藩主からは、沈当吉に士分を与えられ、門を構えて塀を張り巡らすことを許されたにも関わらず、「名前を変えるな」と命令されたとゴタクを述べているようですが。

 

朝鮮人ってのは、面倒くさいですなぁ。

 

朝鮮名を名乗らせれば、「名前を変えるなと命令された」

 

日本名を許可すれば、「名前を変えさせられた」

 

とか、やってられんわ。アホ。

 

 

 

このようにして「強制連行(笑)」された朝鮮の陶工たちは、茶の湯ブームに沸き立つ日本で、自由気ままな創作を許され、様々な焼き物の技法を生み出していくのでありましたが、そのころには「やきものインフレ」を起こし、最先端の茶人にとっては「お珍しいお道具」でもなんでもなくなってしまいましたとさ。

 

 

 

次回は、「高麗茶碗こそ、朝鮮半島が日本の茶の湯に何の影響も与えていない証拠」をお送りします。

 

 

 

 

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