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優良図書のご推薦

>> 推薦優良図書 <<

 

米国で刊行後、数々の賞を受賞。公立学校の教材として採択された感動の物語。

 

☆ The Courage of Conscience Award from the Peace Abbey in Sherborn

☆ ALA Notable Book

☆ Parents' Choice Gold Award

 

 

 

      竹林はるか遠く ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著

 

 

邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版

大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。
終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつけぬ、愛と涙のサバイバルストーリー。

 

 

 

推薦図書運動:

 

複数購入し、地域の図書館へ寄付しましょう。

 

自治体の推薦図書運動に情報提供しましょう。

 

PTA推薦図書として学校の図書館に寄付しましょう。

 

米国の中学校で教材とされた名著を、日本の義務教育の教材として採択するよう教育委員会に働きかけましょう。

 

英語版を義務教育の英語教材として採択するよう、教育委員会に働きかけましょう。

 

 

                 So Far From The Bamboo Grove

 

 

 

 

 

啓蒙活動

 

この本を、身近な人に贈りましょう。

 

贈る際には、ギフトカードに以下の文章を添えましょう。

 

 

この本の記述に、終戦直後朝鮮人が日本人の女性や子供を迫害し、性的暴行を行っていたという部分が含まれることから韓国人・韓国アメリカ人が反発、2007年現在ではこの本の教材使用禁止運動も行われており、活発なロビー活動が行われた。韓国領事館も米教育当局へ嘆願書を提出。これらの圧力を受けて、一部の地域では教材から取り除くなどの対応が行われている。またこの抗議活動の過程で、作中にて父親の職業が「満洲で働く高級官僚」であり、後の本で「6年間という長期のシベリア抑留を受けていた」とされていることを根拠に、731部隊の幹部であったという疑惑がもちかけられている(作者自身は、父親は満鉄社員であったと証言している)。また、作品の内容にも矛盾がある、などとしている。
 

竹の森遠く(Wikipedia)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E3%81%AE%E6%A3%AE%E9%81%A0%E3%81%8F

 

 

 

 

 

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泥棒って金目のモノ以外、盗まないんですよ。

仏像盗難「交流やめる」 怒る対馬、募る反韓

長崎県対馬市の観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」(高さ50・5センチ)が、韓国で発見されながら韓国の裁判所が返還差し止めの仮処分を決めた問題は日韓の溝をますます深めた。

韓国仏教界は「倭寇に略奪された」と主張するが、この論法に従えば朝鮮半島伝来の仏像や古美術品の大半が返還の対象になりかねない。
日本と朝鮮半島の懸け橋となってきた対馬では怒りが渦巻いている。

 

廃棄の歴史は無視

「対馬の人が大切に守ってきた信仰の対象を盗んでおきながら屁(へ)理屈をこねて返さないとは…。北朝鮮による拉致事件と同じ論法じゃないですか。盗っ人猛々(たけだけ)しいとしか言いようがない」観音寺前住職、田中節孝氏(66)はこう語った。

長男の節竜氏(37)に住職を譲るまで30年間仏像を守ってきただけに憤りを通り越してむなしさを感じる毎日という。

 

朝鮮半島では統一新羅-高麗時代(7~14世紀)に数多くの仏像が制作されたが、14世紀末に成立した李氏朝鮮は儒教を国教としたため各地で仏像破壊が起きた。惨状を見かねた日本人が廃棄された仏像を持ち帰ったと伝えられる。

 

 対馬の寺社は統一新羅-高麗時代の仏像を数十体所蔵するが大半は焼け跡や欠損がある。観音寺の仏像も14世紀前半に浮石寺で作られたようだが、傷があり光背がない。浮石寺は李朝時代に一時廃寺になっており、この時期に対馬に持ち込まれたとみられる。

 だが、韓国仏教界は歴史的背景には触れず「盗まれた」の一点張り。浮石寺の僧侶は今月14、15両日、「仏像が早く元の場所(浮石寺)に戻るのを願う」と書いた手紙と、寺のお土産用人形(約850円)を携えて観音寺を訪れた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130324/crm13032406210000-n1.htm

 

 

 

これは、いい傾向ですね。

 

バカ民族との交流は、とっととやめにしましょう。

 

 

それにしてもキチガイ民族は、自分で破壊しておきながら、日本に盗まれたとか、キチガイにもほどがあるだろ。

 

そもそも泥棒というのはですよ、カネになるものしか盗まないんですよ。

 

現代のバ韓国人窃盗団がこの仏像を盗んだのは、日本で何百年も大切に保存された付加価値がついたからなんですね。

 

仏像が日本に渡ったとされる時代に、この仏像にそれだけの価値があったはずもなく。

 

 

いや、別に高麗の仏像様にケチつけるつもりはないんです。

 

 

しかしですよ、高麗と同年代の日本の仏教美術は、

 

 

   こんなのとか、

 

 

 

  こんなふうに怒ってるのとか、

 

 

    こーんなキンピカのとか、

 

 

 

  極めつけは、こーんなデカいのとか、

 

 

鎌倉・室町時代の日本は、半島から盗んでこなきゃならんほど、仏教美術に不自由していませんでしたから、

 

 

 

この高麗の仏像様に、高値がつくとは思えないんですわ。

 

 

 

わざわざ海を渡ってまで、かっぱらいに行く価値はなかったでしょう、当時。

 

 

しかも、光背もなく、傷があるということですが、小さな仏像だったからその程度の破壊で済んだんでしょう。

 

デカい仏像は、みんなこんな状態ですから。

 

 

 

壊れた仏像をわざわざ拾ってくるのは、どう考えても泥棒ではなく、荒廃した李氏朝鮮に心を痛めた仏教関係者でしょう。

 

 

 

今も昔も東シナ海を乗り越えて・・・

1:蚯蚓φ ★:2012/12/15(土) 15:37:19.98 ID:???

1千500年余り前、大伽揶人らはとても遠い倭国まできて何をしたのだろうか?

彼らが当時未開だった日本の土地に文物を伝え交易した事実は誰でも十分察することができる。記録もなく伝えられる話もない。残っているのは古い墓だけだ。日本で5世紀中後半の古墳を発掘すれば例外なく大伽揶人の遺物が大量にあふれ出る。

パク・チョンス教授(慶北(キョンブク)大考古人類学科)は日本列島の大伽揶の重要遺跡だけでも27県、70カ所に達すると言う。当時、辺境地を除き人口がある程度ある所には大伽揶人の跡が発見されている。大伽揶人らが倭国を自分の家のように往来したことは明らかだ。優れた文化的素養を持つ彼らがこちらで何をしたのか、どのように暮らしたのかその痕跡を探してみた。

 

■四国は中間寄港地

日本へ行く航海ルートの出発点は大伽揶が制海権を掌握した蟾津江(ソンジンカン)下流の慶南(キョンナム)河東(ハドン)だった。そこから釜山(プサン)近海をすぎ本州と九州の境界である関門海峡を通過し海岸線にそって航海する。瀬戸内海を経て大和政権がある関西地方(大阪とその近隣地域)に向かった。瀬戸内海は最も大きな島の本州と小さい島の四国の間を分る幅が狭くて小さな島が点点とある平和な感じを与える小さい海だ。

小さい木船に身を任せ数千里の旅行をしてきた大伽揶の旅行者らは目前にせまる四国島に自然に上陸し旅行の疲れを取ったろうし、一部は長く留まったりもしただろう。大伽揶の旅行者なら、誰でも訪れたと見られる場所が現在の愛媛県今治市と松山市の海辺だ。この話を証明するかのように今治市の海辺から4キロ離れた低い丘陵地にあるか唐子台遺跡から大伽揶産特有の脚のある皿2点が発掘された。

 

「カラコダイ」という名前から分かるように大伽揶人らの集団居住地だった可能性が高いところだ。隣接した朝倉村にある樹之本古墳と城ケ谷古墳では各々首の長い長頚壷とふたのある脚皿、首の短い壷が出土した。首の長い壷は首の部分に三重の波紋とやわらかい曲線の胴が特徴の美しい土器だ。光山郡芝山洞(チサンドン)32号古墳から出たものと同じ形だ。朝倉美術古墳館学芸員、窪田利子(54)氏は「昔はこの村に港があったし交通が便利で暮らしやすく豪族がたくさんいたと伝えられる。ここの地理的特性上、航海者などが下関を通過したら一番先に見る港だっただけに、伽揶人たちがこちらの豪族と文物をやりとりして交流をしたでしょう」といった。
(中略:>>2あたり)

 

1千500年余り前、日本列島のあちこちに鉄、土器、文字など先進文物を伝えてその威勢をふるったと考えると胸が満たされる。大伽揶人らは優れた文化力だけでなく挑戦精神まで持った偉大な人々だった。

日本、愛媛県=パク・ビョンソン記者

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [伽揶文化の世界化]⑦日本で探した大伽揶の跡~未開だった倭国に先進文物伝播した大伽揶
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=65668&yy=2012

 

 

 

 

相変わらず妄想大炸裂なバ韓国人ですが、なにしろ教授だのという連中ですらこの程度の認識なものですから、まあ呆れるというか、バカ丸出しというか。

 

 

 

>「カラコダイ」という名前から分かるように大伽揶人らの集団居住地だった可能性が高いところだ。

 

アホですか?

 

唐子台って名前は、地形が「唐子の髷」に似てるから付けられただけで、伽耶とはなんの関係もありません。

 

唐子ってのは、中華食器の絵柄によくある、一部を残してツルツルに剃り上げた頭に残った髪の毛で曲げを結ってる子供ですね。

 

 

 

>鉄、土器、文字など先進文物を伝えてその威勢をふるったと考えると胸が満たされる

 

 

まあ、胸が満たされるのは勝手ですけどね、朝鮮半島から伝わったものが「先進物」とは限らないんですよ。

 

特に、土器に関して言えば、縄文土器の方が弥生土器よりデザイン性も優れています。ただ、大陸から伝わった弥生土器は、シンプルさがたまたまその時代のニーズに適していたということです。

 

着付けや手入れに時間と手間のかかる着物より、シンプルな洋服が現代生活にマッチしているのと同じ理屈ですね。これだけ洋服が普及しても、着物の価値が下がるわけではありません。むしろ上がっていると思われます。

 

桃山時代に輸入された高麗茶碗も半島から伝わった「後進物」であることは、以前説明したとおりです。

 

現代でも、バ韓国ドラマが30~40年前の愛憎ドラマを懐かしむ日本のオバちゃんに受けたりして、半島からは結構「後進物」が輸入されているんですね。

 

 

 

 

しかし、何が大伽耶人ですかねぇ。

 

伽耶なんて、任那日本府のあった任那なわけですが、日本人に支配されていただけじゃないですか。

 

まあ、これこそバ韓国人が一番認めたくない事実なんですが。

 

 

 

しかし、伽耶の遺跡から出土する「鉄」こそ、伽耶の独立性を胡散臭くさせるものなんです。

 

同時代の新羅や百済からは、鉄製品はあまり出土していないんですね。代わりに銅製品と石器の出土品が目立つんです。

 

しかし、なぜか伽耶からの出土品は鉄製品が中心で、これを日本人が伽耶に鉄を求めて進出したとか、伽耶から日本に製鉄技術が伝わったという学説の根拠にしているんですが、現在の半島南部に鉄鋼資源が豊富なんて話は聞いたことがないわけで。まあ、釜山あたりにショボショボある程度で。

 

今でも、鉱物資源は南より北のほうが豊富で、未開拓の鉄鉱石鉱山も北にはありますが南にはありません。その鉱物資源が豊富だった北部で鉄製品が出土しないのに南部からは鉄製品ばかり出土しているわけです。

 

 

さらに言えば、朝鮮半島に染色技術がなかったのは有名な話です。

 

朝鮮半島で作られた赤絵の陶器は、一つもないんです。

 

つまり赤い顔料がなかったわけなんですが、赤い顔料といえばベンガラ、酸化鉄なんですね。

 

日本に製鉄技術を伝えるほど、製鉄技術が高度化するには相当な量の鉄鋼資源が必要なわけですが、そのくせ酸化鉄を原料にした赤い顔料すら作れなかったという。

 

 

これまでの朝鮮半島の歴史の学説って、経済や芸術など別の側面から見ると本当にチグハグな話が多いんです。

 

 

このようなチグハグな話も、任那が日本に支配されていて、製鉄技術を持った日本人が乗り込んで行って採掘した残りカスが現在の釜山近辺のショボショボ鉱山だと考えればスッキリしますし、日本中から伽耶式土器が出てくるのも、任那に乗り込んでいった日本人が作った日本式土器と考えればなんの不思議もありません。

 

因みに日本最古の鉄器は、宮崎県の遺跡から出土した縄文時代のもので朝鮮半島で製鉄が始まるより古いものです。

 

 

 

いや、私は別に朝鮮から日本に先進物が伝えられたという説を、闇雲に否定しているわけではないんです。

 

 

ただ、経済学的側面から考えれば、金儲け大好きの中国人が日本との交易で、みすみす朝鮮人に仲介させて利益を上げさせるようなマネするとは思えないんですよ。

 

中国人が今も昔も大好きな、翡翠が採れるのはアジアでは日本とミャンマーだけです。それが古代の中国人にどれほど魅力的だったことでしょう。

 

 

 

古代においては翡翠目当てに、黄金の国ジパングの時代においては金銀目当てに、現代においては領土を目当てに、中国人は東シナ海を乗り越えてダイレクトに日本にやってくるのです。

 

 

 

>記録もなく伝えられる話もない。残っているのは古い墓だけだ。

 

記録もないのに想像だけで学説を唱える、バ韓国人教授よりはるかに論理的だと思うんです。

 

 

そういえば、最近も全羅南道で発見された5世紀の日本式墓が発掘されて、バ韓国学会は大混乱だったようですが、まさか埋め戻してなかったことに・・・

 

↓こちらのブログさんで詳しく紹介されています。

http://ameblo.jp/novausagi0116/entry-11422798805.html

 

 

 

 

日本とポリネシア・ちょっといい話

日本人は先住民と韓半島人の混血?

現在の日本人は日本列島の先住民である縄文人と韓半島から渡ってきた弥生人の混血という遺伝子分析の結果が出たと、日本メディアが1日報じた。

報道によると、日本の総合研究大学院大学などで構成された研究チームは、こうした内容の日本人遺伝子分析結果を日本人類遺伝学会誌電子版で発表した。

以前にも日本人の遺伝子を分析した研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析することで、結果の信頼性を大きく高めた。

研究チームは日本本土出身者と中国人、西欧人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を追加して分析した。その結果、日本人は縄文人と韓半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返しながら現在に至っていると解釈された。これは「混血説」を裏付ける遺伝子分析の結果だ。

アイヌ民族は遺伝的に沖縄出身者と最も近く、その次が本土出身者だった。また、本土出身者は韓国人とも遺伝的に近かった。

http://japanese.joins.com/article/366/162366.html?servcode=400&sectcode=400

 

 

毎日変態新聞が気持ち悪い記事を書きやがったと思ったら、やっぱり朝鮮人向けかいwww

 

いつまでたってもノーベル賞が手に入らないバカ民族が、ノーベル賞量産の日本人と実は先祖が同じだったニダと主張するための、バカによるバカのためのマスターベーション学説でした。

 

おわり。

 

 

あ、終わりにしちゃいけませんね。

 

バカによるバカのためのバカ学説はどうでもいいんです。

 

気色悪いバカミンジョクは無視して、我々日本人のご先祖様、縄文人の一要素を成すポリネシア民族についてのお話をひとつ。

 

 

ポリネシア民族も日本に渡ってきた民族の一つであるという説の根拠の一つに、言語があります。

 

ご存知のとおり、日本語は世界でも希な「すべての音に母音がついている」言語です。

 

日本人が、独立した子音が多い、英語の発音や聞き取りに難しさを感じる原因のひとつでもあります。

 

 

で、その世界でも珍しい全音母音付き言語を操るもう一つの民族が、ポリネシア人です。

 

 

ポリネシアとは、太平洋上のハワイ、タヒチ、ニュージーランドの三点を結ぶ三角形の海域に広がる、サモアやトンガなどを含む島嶼国家群をさします。

 

太平洋上の島々には、他にミクロネシア(グアム・サイパン周辺)とメラネシア(ニューカレドニア、フィジー、パプアなど)があります。

 

 

ポリネシア言語と日本語のもうひとつの共通点は、虫の声を「声」として楽しむことが挙げられます。

 

実は、日本語とポリネシア語以外の言語地域では、虫の声は単なるノイズ、つまり騒音としか捉えられていません。

 

中でも蝉の声の嫌われっぷりは半端なく、特に欧米では殺人的とまで表現され、日本で俳句の季語に使われていると知ると「理解不能」とさえ言われます。

 

 

この違いは、どこから来るのかと言いますと、日本人とポリネシア人は虫の声を言語を司る「左脳」で処理しており、その他の言語話者は「右脳」でただの音として処理しているのです。

 

全音母音付きの日本語の世界では、音を言語で表現するとき「パタパタ」とか「ニャンニャン」などと、一旦、母音付きの音に変換します。

 

これをオノマトペといいますが、オノマトペになった瞬間、「音」は「言葉」に置き換わるのです。

 

蝉の声なら「ミンミン」、鈴虫なら「リンリン」、コオロギなら「コロコロ」などと変換されるため、日本人は虫の声を聞くと自動的にこれらのオノマトペに置き換えつつ言葉として左脳で処理していると言われます。

 

同様のことがポリネシア人にも起こっているわけですが、独立子音の多い言語では元の音に近い表現が可能なため、あくまでもノイズはノイズなんですね。

 

 

ポリネシア人の特徴の一つに体格の良さが挙げられます。

 

トンガやサモア、マオリ族のいるニュージーランドは、ラグビーが強いことで有名ですし、小錦や曙などハワイ出身の力士も大相撲を賑わしていました。

 

この体格の良さから、以前は、ポリネシア人にはヨーロッパ系の血が流れているのではないかとさえ言われたこともありましたが、現在では、明確に否定されています。

 

ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアは、すべてパプアニューギニア周辺から太平洋に散らばっていった、元は同じ民族で、ポリネシア人の体格の違いは進出した時期の違いによるものとされています。

 

ニューギニアに比較的近いメラネシアとミクロネシアへは、小さな舟でも渡れたため、かなり古い年代に民族の移動がありました。

 

しかし、さらにその先のポリネシアへ向かうには、大きな舟が作られるようになる時代まで待つことになります。

 

その大きな舟に乗り込んで大海原に出発したのは、厳しい航海に耐えうる体格の良い選抜された人々と言われています。

 

元々体格の良い人々が、荒海を乗り越え、寒さに耐えて航海を繰り返すうちに、ポリネシアとミクロネシア、メラネシアの間で大きな身体的な差が生まれたのです。

 

そんなパワーあふれる人たちですから、はるばる南太平洋から日本まで足を伸ばしてやってきたという説も、ぐうたらな朝鮮人がえっちらおっちら陸地を伝い、ショボいボロ舟で対馬海峡を伝って、日本にやってきたニダという渡来人説よりも説得力があるわけですね。

 

弥生人にしても、実際には、摩擦係数の大きな陸地伝いに半島経由でやってきた人々よりも、呉越同舟の越あたりから海上をスイスイやってきた人々の方が多かったでしょう。というか、同時期に海上をスイスイわたって半島へ行った人々も多くいましたんで、大きな流れとしては逆じゃないですかね。

 

 

それでも、半島から日本へ渡ってきた人々は、半島に留まった朝鮮人・バ韓国人よりも好奇心の高い知的な人々だったと思います。

 

大海原を渡ってきたわけではないので、ポリネシア人のように体格に差は現れませんでしたが、技術と文化を変態的といわれるまで開花させた一端を担っていたのですから。

 

 

もっとも、別の民族が文字通り「半島を通って来た」だけかもしれませんが。

 

 

 

 

歴史家ひろゆき氏

歴史家 西村博之氏「原爆以外に太平洋戦争を終わらせる手段があったなら教えてください。」

 

1 名前:サーバル(SB-iPhone):2012/08/07(火) 12:21:43.64 ID:wcxD/GwTi


 Hiroyuki Nishimura @hiroyuki_ni
他に戦争を終わらせる手段があったなら教えてください。
RT @iscreaming_here あなたは一般市民へ無差別殺傷である国際法違反の原爆投下を肯定するのですか。
 

 

 

 

逆に聞きたいんだが、

 

原爆が開発されていなかった時代には、戦争を終結させる手段はなかったのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、今日は原爆投下についてのお勉強。

 

 

1) 投下地点の候補は、空襲を受けていない無傷の都市。

 

2) 米軍内で京都を強硬に押す声もあったが、文化遺産を破壊するようなマネをすると野蛮人になるからとボツにされた。

 

3) 原爆投下の時間は、午前8時20分。日本人の大人は通勤時間帯で、子供達は朝礼の時間。多くの人が屋外に出ている。被爆効果大。

 

4) 当初の目標だった小倉が天候による視界不良のため、急遽、長崎に変更。

 

5) テレビなどの映像メディアの発達した現在と違い、ピカドンがどれほどのものかリアルタイムには知れ渡らなかったので、日本中がビビって戦争終結を急いだというのはウソ。

 

6) 上層部をビビらせるだけなら、既に焼け野原になってる所に落としても効果は同じ。

 

7) 戦争終結後、米軍は真っ先にヒロシマ・ナガサキに乗り込み、他国のメディア等を締め出した。

 

8) 乗り込んだ割には、被爆者に治療を施すことはせず、自然に経過を見守った、というか原爆症の変化を観察した。

 

9) まともに治療をしていれば、助かった人も多数死亡。

 

10) 実は、アメリカ人は、今でも日本人に恨まれているのではないかとビビっているが、ハッキリ恨み言を言う日本人に出会わないのが却って不気味でしょうがない。

 

おまけ) 軍港である真珠湾を攻撃されて、3000人も被害者を出した米軍は、リスクマネージメントができていなかったタダのバカか、意図的に被害を拡大させてアメリカ人を見殺しにした悪党。

 

 

 

 

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