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茶の話(17) 丁宗鐡をぶった斬る その5

前回に引き続きまして、今回も茶の湯と正座の関係についてぶった斬らせて頂きとう存じます。

 

さて、恐縮ながら前回とおなじウェブサイトの記事を引用させていただきます。

 

=== 引用開始 ====

http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/zaturoku27.html

 

茶道と正座

 

茶道は、昔から正座で行っていたと思っていた。しかし、先の『正座と日本人』では、茶人はもともと正座をしていなかったと強調している。

茶道を大成した千利休、利休の師にあたる武野紹?(たけのじょうおう)、千家三代目であり三人の息子たちがそれぞれ表千家、裏千家、武者小路千家を興した千宗旦(せんそうたん)、江戸時代に江戸千家を創始した川上不白(かわかみふはく)などの肖像画や木像は、“アグラ”や坐禅の座法である“半跏趺坐(はんかふざ)”である。

 

さらに千利休の愛(まな)弟子であった細川三斎(ほそかわさんさい)の伝書『細川茶湯之書』には、「客が安座してくつろいでいる時は、主人は片膝を立てていた」と記している、などの例をそれぞれ詳しく説明し、次のように述べている。

<<これらを総合して考えると、寺院の儀礼的な飲茶茶礼から亭主と客が心を通わせる茶の湯、さらには精神性を高めた茶道へと発展する過程に、正座はまったく関与していなかったといえそうです。少なくとも江戸時代後期までは正座と茶道を結びつけるものはないと考えるのが妥当です。また、茶会における座り方は明治時代になるまでは自由だったと、多くの専門家が指摘しています(『文化としてのマナー』熊倉功夫、岩波書店)>>
 
『正座と日本人』の著者は、正座が武家を中心に広まったのは江戸時代中ごろから後半であると推測している。

江戸城内では刃傷沙汰(にんじょうざた)がときどき起きていた。そのため、刃傷沙汰を防止する意味を含めて、足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたす作法が注目された。やがて各大名が将軍に拝謁(はいえつ)する際、動きづらい長袴(ながばかま)を礼装にして、正座をとらせるようになった。これが八代将軍・吉宗(1684~1751)の代からとしている。

 

この支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた。これが、女子教育の茶道にも取り入れられた。茶道と正座の関係は、思っているほど深くはないようだ。

=== 引用終 ====

 

 

今回は、図絵をふんだんに活用いたしますので、気楽にお楽しみくださいませ。

 

 

>茶道を大成した千利休、利休の師にあたる武野紹?(たけのじょうおう)、千家三代目であり三人の息子たちがそれぞれ表千家、裏千家、武者小路千家を興した千宗旦(せんそうたん)、江戸時代に江戸千家を創始した川上不白(かわかみふはく)などの肖像画や木像は、“アグラ”や坐禅の座法である“半跏趺坐(はんかふざ)”である。

 

 

千宗旦の肖像は、胡坐だけではござません。正座のものもございます。

 

 

 

利休の肖像も胡坐が有名でございますが、「茶湯六宗匠傳記」には正座像が描かれております。

 


それぞれの胡坐像と正座像の共通点がおわかり頂けますでしょうか。
 

服装が違うのでございます。胡坐の方は道服、正座の方は現代の着物の原型「小袖」に羽織を付けた十徳姿でございます。
茶道の道服は、禅僧の法衣と同じでございまして、正式には道服に絡子という小型の袈裟を着用いたします。
茶人は、禅宗の高僧の下に参禅し得度いたします。胡坐の肖像を残してもなんら不思議ではございません。

 

 

利休の師、武野紹鷗の銅像も法衣姿でございます。
道服と呼びならわすようになりましたのは利休以降でございますので、これは法衣でございます。

川上不白の像は、まさに坐禅いたしております。

一方、紹鷗の先人、村田珠光は正座の肖像を残しております。

 

 

 

>さらに千利休の愛(まな)弟子であった細川三斎(ほそかわさんさい)の伝書『細川茶湯之書』には、「客が安座してくつろいでいる時は、主人は片膝を立てていた」と記している、などの例をそれぞれ詳しく説明し、次のように述べている。


細川三斎自身、正座の肖像を残しております。他にも古田織部や織田有楽斎(信長の弟)も正座の肖像を残しております。

 


こちらも巧みに誤解を招く文章が書かれておりますが、茶事において「客が安座してくつろいでいる時」とはどのような時でございましょうか。

 

茶会の構成は、初座と後座に分かれております。初座は、炉の場合は初炭の後に、風炉の場合は初炭の前に懐石がございます。懐石も正座で頂くのが好ましいとされておりますが、懐石の一番の目的は主客歓談の一時を持つことでございます。食事を楽しみ、客同士酒を酌み交わして頂きますので、安楽にしていただいても構いません。

 

この時亭主は、杯に最初のお酒を注いだり、汁物のお代りを勧めたりいたしますので、「片膝を立てていた」というのは、いつでも客に応対できる姿勢でいたということでございます。朝鮮人のように、立て膝をついてドッカリ座るということではございません。
つまり、①正座、②踵を上げた正座、②の状態で片膝を少し上げるなど、亭主が客に対応しやすい姿勢をとるのでございます。

 

また、後座では濃茶の後で後炭点前を行いますが、この際、煙草盆と薄茶のためのお菓子が出されます。ここでは緊張感のある濃茶の後で、客にゆっくりと寛いでいただきます。その後の薄茶は、亭主と客が楽しく語らいながら行うのでございます。

 

 

>これらを総合して考えると、寺院の儀礼的な飲茶茶礼から亭主と客が心を通わせる茶の湯、さらには精神性を高めた茶道へと発展する過程に、正座はまったく関与していなかったといえそうです。少なくとも江戸時代後期までは正座と茶道を結びつけるものはないと考えるのが妥当です。

 


こちらは「人倫訓蒙図彙」第2巻にございます「茶湯者」の図(左頁)でございます。
右上におりますのが茶の湯の師匠で、お武家が二人指導を受けております。
三名とも、しっかり正座致しております。

 

「人倫訓蒙図彙」は江戸時代初期の元禄3年に書かれた職業図鑑全7巻でございます。
巻頭に「上貴き公卿より庶人の賤しきにいたるまでの其の所作をくわしく家々に尋ねて来由をたゞし云々」とございますように、公卿・武家・商人・職人・百姓・漁師・芸能人など、あらゆる階層の仕事の内容を図絵と解説で表した書物でございます。

 

元禄3年(1690)といえば、三千家の祖宗旦から裏千家を継いだ四男仙叟宗室(1622-1697)も、まだ存命の頃でございます。

 

「江戸時代後期までは正座と茶道を結び付けるものはない」というのは大間違いもいいところでございます。
一体何をお調べになったら、このような結論がでるのでございましょう。

 

因みに、上図の右頁に描かれておりますのは「軍法師」でございまして、軍法師の講義を受ける武士は畏まって正座いたしております。

「人倫訓蒙図彙」には、このように畏まる武士の姿が多く描かれております。従いまして、著者による以下の推測も全くの間違いと言えましょう。

 

>『正座と日本人』の著者は、正座が武家を中心に広まったのは江戸時代中ごろから後半であると推測している。

 

 

以下は、ウェブページを書かれた方の文章でございますが、丁宗鐡の論説の代用として引用させていただきます。


>江戸城内では刃傷沙汰(にんじょうざた)がときどき起きていた。そのため、刃傷沙汰を防止する意味を含めて、足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたす作法が注目された。やがて各大名が将軍に拝謁(はいえつ)する際、動きづらい長袴(ながばかま)を礼装にして、正座をとらせるようになった。これが八代将軍・吉宗(1684~1751)の代からとしている。


いえいえ。刃傷沙汰が「ときどき」起きたりしておりましたら、どれだけのお家が改易になったことでございましょう。
後にも先にも城内の刃傷沙汰で改易になったお家は、赤穂藩浅野家だけでございます。
赤穂事件は、元禄14年、五代将軍徳川綱吉の御代に起きた事件でございまして、この時すでに長袴が礼装になっておりましたのは皆様もご存じのとおりでございます。

 

長袴が礼装になったのが八代将軍吉宗の時代からなどと、本当に一体何をお調べになったのやら・・・

 

因みに、茶道頭の礼装も長袴でございまして、長袴は武士だけのものではございません。


 

武士の長袴は江戸時代以前から礼装として用いられております。

 

伊達正宗は、豊臣秀吉の没後、脇差・鎬藤四郎吉光を遺品として賜り家宝と致しておりました。
この脇差を徳川秀忠が所望した際、正宗はこれを断り息子の忠宗に語っております。


「公毎年元日には白綾の御小袖に菊桐の御紋府たるをめさられ、御長袴の上に鎬藤四郎の脇指を指せらる」
秀吉公は、毎年元旦に白綾の小袖に菊桐の紋付を着用し、長袴の上に鎬藤四郎の脇差を指しておられた。

これは、伊達家の歴史書「貞山公治家記録」に記されているものでございます。


 

礼装に、長ったらしいものを引きずりますのは平安時代からの伝統でございます。

こちらも「人倫訓蒙図彙」にある図絵でございますが、公卿文官の夏束帯でございまして、江戸時代になっても引き続き用いられております。

 

 

 

また、正座の肖像を残された江戸時代以前からの武士もおります。

武田信玄公、武田勝頼公、武田家に仕えた真田幸村でございます。

 

 

武田家は長篠の合戦で滅びましたが、幸村は江戸初期まで生き延びております。

 

とはいえ、武士も冠束帯を着用の際は、このように胡坐をかくのが習わしでございます。

 

 

徳川家康でございますが、因みに足の裏と裏を合わせるこの座り方は合せき坐(せき=あしへんに庶)と申しまして、禅の座法の一つでございます。

 

禅宗の「座禅」の由来は、インドのヨーガスートラ第2章にございます「ディヤーナ」の音訳でございまして、ヨーガには以下の6つの座法がございます。

 

1)結跏趺坐 パドマ・アーサナ

2)半跏趺坐 パッドゥラ・アーサナ

3)盤坐 スワスティカ・アーサナ

4)合せき坐 バッタコーナ・アーサナ

5)金剛坐 ヴァジラ・アーサナ

6)長坐 パダターナ・アーサナ

 

アーサナとは、サンスクリット語で姿勢という意味でございます。

結跏趺坐は、釈迦が悟りを開いた際にとっていた姿勢で、両足を腿に乗せる最も知られた座法。半跏趺坐は、片方の足だけを腿に乗せる座法でございます。盤座は、いわゆる胡坐でございまして、合せき坐は上記のとおりでございます。

 

そして、金剛坐でございますが、これがまさしく正座でございまして、ヨガにおきましては座法の王様と呼ばれております。

サンスクリット語のヴァジラ・アーサナは、不動の姿勢を意味します。

また、釈迦が悟りを開いた菩提樹の下の座所を「金剛座=ヴァジラ・アーサナ」と呼びます。

 

ヨーガ(瑜伽=ゆが)が、日本に入ってまいりましたのは、空海の時代にさかのぼると言われております。

 

茶道が、ヨーガの座法を取り入れた禅宗と深い関わりがございますことを考えれば、不動の姿勢である正座でお点前を行いますのも自然な流れと申せましょう。 

 

 

 

次回は、このあたりを少し弄ってみたいと存じます。


>支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた。

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

  

 

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茶の話(16) 丁宗鐡をぶった斬る その4

前回は、purple-dさまよりコメントにご提供頂いたテキストにより、茶室にまつわる丁宗鐡の間違いをぶった斬らせていただきました。
 

今回は、茶道と正座と女性の関係についてでございます。

 


恐縮ながら、今回は丁宗鐡の著書を読まれた方のウェブサイトの文章を引用させていただきます。


==== 引用 =====

http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/zaturoku27.html

 

茶道と女性

 

江戸時代、女性が茶道(茶の湯)をすることはなかったという。明治に入ると文明開化の煽(あお)りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途(いっと)をしばらくたどった。それが女子教育に茶道が取り入れられ、茶家にとって起死回生の順風が吹き始めた。『正座と日本人』では次のように述べている。

 

<<江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。茶会は武将たちの面接の場であり、茶の湯は武将たちのたしなみとして発展しました。そこに女性の入り込む余地はありません。また、狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした。

 

それを変えるきっかけの一つは、女子教育の中に茶道が取り入れられたことです。1875(明治8)年、跡見花渓(あとみかけい)は跡見女学校を創設し、そこで茶道も教え始めました。当初、跡見女学校に集まった生徒は良家の子女が中心で、その後、跡見女学校は跡見女子大学などに発展していきます。

 

明治の半ば以降、跡見女学校に続くように、華族女学校(のちの女子学習院)や共立女子職業学校でも茶道が教えられるようになります。裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります。

 

こうして、いわゆる良家の女子を中心に、茶道は女性のあいだにも広まっていきました。その際、茶道は正座をして行われました。アグラや立て膝をして行われることはありませんでした。>>

 

現在、茶道をたしなむ人は、女性のほうが多いと思われる。しかし、室町時代の村田珠光(じゅこう)、千利休(せんのりきゅう)から連なる茶道は、男性中心に伝えられ、明治になるまで女性には無縁であったとは驚きである。

==== 引用終わり ====

 

 

さて、今回も客観的事実と大きくかけ離れた間違いのテンコ盛りでございます。

 

 

>江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。

 

全くの間違いでございます。

 

まず、安土桃山時代に遡りますが、北政所が豊臣秀吉の死後菩提を弔うために高台寺を建立いたしました。北政所は、この高台寺でたびたび茶会を開いており、多くの公家や大名が秀吉を偲んで茶会を楽しんだのでございます。

 

高台寺にございます遺芳庵という茶室は、茶人・灰屋紹益が夫人の吉野太夫を偲んで建てたものでございます。
 

吉野太夫(1606-1643)は、江戸初期の六条三筋町の太夫でございます。六条三筋町七人衆の筆頭で、和歌、俳諧に優れ、琴や琵琶なども弾きこなし、書道、茶道、香道、華道など極めた現代風に言うならばマルチ才女でございました。

 

高台寺では、現在でも北政所の月命日に献茶式が催され、吉野太夫ゆかりの遺芳庵に因み島原太夫道中とお点前の披露がございます。

 

男性ほど数は多くないものの、身分のある女性にとっても茶の湯は嗜みの一つでございました。

また、豊臣秀吉の催した北野大茶会では、老若男女身分国籍の隔てなく茶の心得のある者は参加を呼びかけられ、茶が振舞われたのはよく知られたことでございます。

 

  

  広重「神田お玉が池の故事」             渓斎英泉「炉ひらき」

 

 

>また、狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした。

 

茶道の師匠が男性だけだったと勘違いしているような文章でございますが、そのようなことはございません。

 

裏千家六世の六閑斎(1694-1726)は、ご母堂並びに表千家如心斎のもとで茶道修業をしております。

 

裏千家十世の認得斎(1770-1826)の夫人、松室宗江は認得斎に次ぐ茶人として知られ、養子に迎えた十一世玄々斎(1810-1877)の茶道教育に尽力いたしております。

 

茶室においては誰もが平等というのが、利休の茶の思想でございます。

 

 

>裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります。

 

大きな間違いでございます。

 

裏千家十四世淡々斎が、円能斎の後を継いだのは大正13年。翌年、大徳寺円山伝衣老師の下で得度し「無限斎」の号を授与されます。京都第一高等女学校が設立された明治37年、淡々斎は弱冠12歳でございました。高等女学校で教授をするなどあり得ません。

 

京都第一高等女学校の前身、新英学級及女紅場が設立されたのは明治5年でございますが、こちらで茶道教授をしておりましたのが十一世玄々斎の長女で十二世又玅斎の夫人にして淡々斎の祖母、真精院でございました。真精院の婦人層への茶道教育の功績は大きく、大正期には女性の茶道人口が男性を凌ぐほどになった程でございます。

 

また、大正3年には十三世円能斎が高等女学校での茶道指導を開始。茶儀科のために簡略な「盆略点前」を考案いたしました。

 

 

>その際、茶道は正座をして行われました。アグラや立て膝をして行われることはありませんでした。

 

この文章は、利休時代に茶道が胡坐や立て膝で行われたという丁宗鐡の主張の流れから来るものでございますが、茶道が胡坐や立て膝で行われたという歴史的文献は存在しません。

 

茶道をなさってみればお分かりになりますが、茶道の動作には正座でなければ不可能なものが多くございます。
 

まず、茶道は武道などと同じく礼に始まり礼に終わると申します。お辞儀の仕方も、真行草の三段階に細かく規定されており、茶会の間に何度もお辞儀をする場面がございますが、胡坐や立て膝でお辞儀はできません。
次に、躙る(にじる)という動作でございますが、正座の姿勢のまま両手を使って進むものでございます。小間の茶室において、茶碗や拝見道具を受ける際、また返す際、客の動作はすべて躙って行います。胡坐や立て膝では躙ることはできません。
 

また、亭主が道具を拝見に出す際、水指正面から客付の間を最大90度、体の向きを回転させる必要がございます。その際、左手に茶入れなどの道具を持ち右手は膝頭に置いて回ります。この動作を胡坐や立て膝でもやってやれないことはございませんが、非常に見苦しいものとなります。一度、和服を着てお試しになって下さいませ。美の求道者でもある利休が、そのような真似を致したとは到底考えられないことでございます。
茶道においては、立ち上がったり座ったりする動作も美しくなければなりません。胡坐や立て膝から立ち上がる動作と、正座から立ち上がる動作では美しさに断然違いがございます。

 

もうひとつお試しいただきたいのは、胡坐や立て膝で、煎茶でもインスタントコーヒーでもよろしいですからお淹れになってみてください。足元に置いた湯飲みやコーヒーカップで入れた飲み物を、美味しくいただける方がいらっしゃるとは思えません。況や、そのようなものをお客様におすすめするなど、失礼この上ないと感じるのが正常な日本人の感覚と存じます。


茶道において最も重要な教えは「和敬清寂」でございます。
このうち「敬」は、尊敬の敬でありお互いを敬い合うことを教えているのでございます。互いを敬う気持ちがございますれば、自然と胡坐や立て膝のような姿勢は致さないものでございます。

 

 

 

以下は、ウェブページを書かれた方の文章でございますが、丁宗鐡の論説の代用として引用させていただきます。

 

>明治に入ると文明開化の煽(あお)りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途(いっと)をしばらくたどった。


一部日本人の間にも、このような言説を唱える方がおいでですが、これは明治維新で大名が廃止され茶人のパトロンがいなくなったという勘違いから起こるものでございます。確かに廃藩置県で大名は廃止されましたが、明治維新はシナ朝鮮の易姓革命とは異なります。大名の多くは華族に列せられ、茶の湯へのサポートも続いたのでございます。

 

また、三菱の岩崎弥之助を始め、江戸時代からの豪商、三井、鴻池、住友や明治政府の政治家などの新興勢力が、茶の湯をステータスと考え深く傾倒する人物や、財力によって茶道具を収集する数寄者などが多く出現いたしました。

 

中でもよく知られておりますのが井上世外、明治の元勲・井上馨でございます。長州の下級武士の子であった井上は、当初攘夷に参加しておりましたが、伊藤博文らと渡英し開国派に転じ、維新後は大蔵大輔、元老院議官、外務大臣、農商務大臣を歴任いたしました。明治20年には天皇を招いて茶会を行っております。

 

井上世外に招かれた茶人には、三井財閥の益田鈍翁や三井八郎右衛門、帝国蚕糸の原三渓、鉄道王根津嘉一郎、大日本麦酒(現アサヒ・サッポロビール)の馬越化生、安田銀行や帝国ホテルを設立した安田財閥の安田松翁などがおり錚々たる顔ぶれでございます。

安田財閥の安田松翁は43年間に378回もの茶会を催す程の茶人で、彼の茶会には渋沢栄一、大倉喜八郎、高橋是清らも招かれております。

 

帝国蚕糸の原三渓が残した横浜の三渓園には、茶席を備えた聴秋閣などの重要文化財がございます。三渓は、数寄者としてよく知られ、多くの茶道具や美術品を残しております。

 

また、朝日新聞創設者の村山龍平、藤田組の藤田香雪、初代大阪市長の田村太兵衛、大阪商船の田中市兵衛、百三十銀行の松本重太郎、帝国銀行・北浜銀行を創立した磯野小右衛門、白鶴酒造の嘉納次郎左衛門、住友春翠らが毎月交代で釜をかける「十八会」なる会を結成し、政財界人の間に同じような茶の湯の会が多く発足したのでございます。

 

このように明治期の茶の湯は、開国で財をなした新興勢力によりかつてないまでに華々しいものとなり、本来の茶の湯の精神からかけ離れていると却って批判を浴びるほどでございました。

 

裏千家においても、幕末維新の時代の流れに敏感であった十一世玄々斎は、長女真精院を婦人層への普及に努めさせた以外にも、外国人の生活様式を考慮したお点前を数多く考案しております。第一回京都博覧会では、正座の習慣のない外国人のために考案した立礼式を披露しております。この他、ピクニックを好む欧米人にも親しみやすい茶箱点前などがございます。

 

明治維新で大名が華族に列せられたことにより、千家等の町人茶道家元と宮家茶道との関わりができ、現在でも姻戚関係が続いております。

 

 

 

次回も引き続き、正座について。

 

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」 (13)

前回】のつづき>>>>

 


「先輩が欲しかった情報にどういう意味があるのか、きっと答えてくれないでしょうから聞かないでおくわ。それにしても、先輩が欲しい情報がすでに手に入ったのなら、私が局に戻って仕事をする必要はないんじゃないかしら」
美和子は、君江の手料理を頬張りながら、気のないふりをして祐介の本心を探ってみようと試みた。久しぶりの家庭の味に、気持ちが和む。祐介も、うれしそうだった。


「君も、なぜあれだけ無能な民主党が政権を取れたのか興味あるだろう。民主党政権実現のために、マスコミがどういう役割を果たしていたのか、局の中で仕事をすれば数日で理解できると思うよ。マスコミは以前から狂っていたけど、君のいない6年間に、どれだけ異常さが増したか確認してくるといい」
「以前から狂っていただなんて、その言い方はひどいと思うわ」美和子は、反発した。

「内部にいた君には同意できないだろうけど、僕ら受け手からすればずっと狂っていたさ」
祐介はニヤリとして美和子を見た。
 

「日本のテレビ局は、昔からどこも横並びだったろう。どこの局も同じ時間帯に同じものを流してる。ニュースの時間帯といえば、どこを見てもニュースばっかり。ドラマの時間帯にはドラマ。ワイドショーの時間帯はワイドショー。視聴者には選択肢がほとんどない。視聴率を稼ぎたい局の都合だけ。挙句に大きな事件が起きれば、どこも同じような映像ばかり一日中垂れ流す。局が複数存在する意味が全然ないだろう。そのくせ、自分たちの横並びを棚に上げて、一般の業界や省庁などの横並びを批判している。異常だと思わないか?それに、」
美和子が何か言いかけたが、祐介は続けた。

 

「論調が全局同じというのも異常だよ。特に第二次大戦における日本の評価なんて、すべての大手マスコミが全く同じ。中国や韓国の主張なら嘘でもなんでも同調して、とにかく日本を批判してさえいれば安心してる。反論されたら自信を持って議論できないことの裏返しなんだろうけど、そんなことアメリカで通用するかい?」
「それは、しょうがないわ。日本とアメリカでは、立場が全然違うもの」
美和子は気色ばんだ。

 

「終戦から何十年たっていると思うんだ?君の頭の中では、いまだに日本はGHQ占領下か?アメリカでも、報道の立場は様々だろう。君たちマスコミも、いつまでも占領下気分で甘えていないで、一人前にアメリカの批判でもしてみたらどうだったんだ?全くできていなかっただろう」
「そんなことないわ。沖縄での米兵による女児暴行事件では、マスコミは一丸となって基地反対住民と戦ったわ」
「あれは沖縄で基地を提供している日本政府を批判しただけだろう。それに、どうして近年発生した事件だけを取り上げるんだい?どうして、戦時中のアメリカの非人道行為を正面から批判しないんだ?」
祐介は、美和子をわざと追い詰めるように問いかけた。

 

「当然だわ。だって戦争を起こした日本の責任ですもの」
「責任云々の話じゃない。そんなことは講和条約が結ばれれば消滅する。綺麗サッパリ忘れていい。どちらが戦争を仕掛けようが、どちらが勝とうが負けようが関係ない。戦時中に行われた非人道行為は、どちらが起した事であれ将来の教訓として正面から取り組むべきだろう」
「当然よ。だから私たちは、日本が起こした数々の非人道行為を取り上げてきたわ」
「だから、なんで日本が起こしたとされている事件ばかりなんだ?アメリカや中国が起こした事件も沢山あるだろう。なぜそこに斬りこまない?海外からの批判がそんなに怖いのか?」
「ち、違うわ!日本人は、今後絶対に戦争を起こしてはいけないのよ。何があっても戦争はだめなのよ。日本人全員が戦争に対する罪悪感を持たない限り、戦争はなくせないわ。私たちは、日本人が二度と戦争を起こさないように、そう願って、平和を願って報道を続けていたのよ。多少、話に誇張があったとしても、それも平和のためよ。戦争を起こさせないためよ!」
美和子は、一段とトーンを上げてまくしたてた。祐介は、フフッと笑った。
「何?何がおかしいの?」

 

「君は、局に入ってずっとそれが正しいと教育されていたんだろうけど、君らがやっていることは洗脳だよ。マスコミが最もやってはいけないことだ」
「そんなことないわ」
「いや。君は今、日本人に戦争を起こさせないために罪悪感を持たせる報道をしたと言ったね。しかも誇張も交えて。つまり、ウソだ。君らは、それが平和目的のつもりかもしれない。だが、戦前のマスコミが戦争を煽っていたのと同じ過ちを繰り返していることに気付かないか?」
「どういうこと?」
「マスコミが扇動して日本人全体を同じ考えにする。正に全体主義だよ。これこそファシズムだ。いいかい?社会の安定を保つには様々な考えがなくてはならない。それがバランスを保つことだ。だが、全員が同じ思考を持っていたら、正しい道だろうと間違った道だろうと、疑問を持たずに全員が同じ方向に進むことになる。」
「そんなことないわ。日本人さえ罪悪感を持って国際社会に貢献していれば、戦争は起きないのよ」
「君は、日米戦争を起こしたのは日本だと言いたいのかい?」
「当然よ。真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本ですもの」

 

「オーケー。じゃあ、それが原因だとして、アメリカが対日戦に参加するのは理に適っているけど、ヨーロッパ戦線に参加したのはなぜなんだ?別に日本と戦争を始めたからと言って、ドイツと戦争する必要はないだろう」
「それは、日本がドイツと同盟を結んでいたから」
「はっは!同盟を結んでいたら、同盟国すべてと戦争しなくちゃいけないのか?ドイツがアメリカ大陸にまで空襲に来たって言うなら話はわかるよ。でも、あの当時アメリカがドイツに危害を加えられる可能性は、ほとんどゼロだった。にも拘わらずアメリカは、わざわざヨーロッパ戦線に兵を送って、数十万もの犠牲を出したんだ。なぜだ?」
「しょうがないわ。ヒトラーという独裁者が暴虐の限りを尽くしていたんですもの」
「だとしても、アメリカ人の若者の血を流す理由にはならないだろう。そもそも、自分で闘おうとしない腰ぬけのフランス人のために、アメリカ兵がノルマンディーに上陸して血を流すなんて割に合わない話さ。フランスがドイツ帝国の支配下に置かれたからって、アメリカは経済的にも外交的にも全然困らないだろう」
反論しても、反論しても、祐介は攻めてくる。美和子の表情に困惑の色が浮かんだ。

 

「やれやれ。君らは、情緒的なこと以外全く頭にないんだね。これじゃ、いつまた戦争が起きても可笑しくないよ。もっと実利的な側面から情勢を観ることはできないのかい?」
「実利的って・・・。そうね。あの戦争に勝つことで、アメリカは戦後のスーパーパワーの地位を築いたんだわ」
「やっと理性的な回答が出たね。戦争で助けてやって恩を売る、か。まあ、悪くないけど、それでも何十万もの血を流すほどの価値はないと思うよ。放っておいてもアメリカは、圧倒的な経済力と技術力で戦後のスーパーパワーになれたし、その程度の予測はできていたはずだ。アメリカが参戦することで、却ってソ連と中国を利することになって戦後の冷戦状態を生んだんだ。決して、いい結果だったとは言えない」
「ええ、確かにそうね」美和子は、テーブルの上を見つめながら力なく返事した。

 

「世の中の事象の起こる原因は、必ず複数ある。ところが、君らマスコミは事象の原因を必ず一つにしたがる。つまりは犯人探しだ。これが原因だ。こいつが悪い。そうやって悪者を作って物事を単純化しようとする。マスコミの本当に悪い癖だ。いいかい、例えば戦争。本当に原因が一つなら、外交で回避できるはずなんだ。それでも敢えて戦争に踏み切るのは、当事国にとって無視できない複数の要因が存在するからだ。単純に日本が悪い、日本さえ謝っていれば戦争は起きないなんてことは絶対にないんだよ」

 

「いいかい。アメリカは全くの実利的な国だ。得にならないことでは絶対に動かない。結果的に悪く転ぶこともあるけど、最初から損すると思って行動はしていない。第二次大戦におけるアメリカの利害は複数ある。まず、中国進出に出遅れたアメリカにとって日米戦争に勝つことで、日本が中国に持っていた利権がアメリカに転がり込んでくるはずだった。だが、世界の潮目が植民地独立の流れに変わってこの目論見は外れた。次に、ヨーロッパ戦線。確かに、イギリスとフランスに恩を売ることができた。だが、ソ連を引き込んだことで戦後得られる利益が半減したと言っていいだろう。ある意味、アメリカは全くのバカを見ることになったんだが、アメリカが本当に参戦したかったのは太平洋戦線ではなくてヨーロッパ戦線だ。英仏にヨーロッパ戦線に参戦する約束をしてから、日本との開戦の方法を模索している」

 

祐介の饒舌に、美和子はついて行くのがやっとだった。

 

「実は、アメリカは英仏に対して莫大な債権を持っていたんだ。つまり、英仏がドイツに敗れればアメリカの持っていた債権は取り立て不能になりかねなかった。ヒトラーもそのことは熟知していた。だから、対米債務を増やそうと努力していたんだが、十分な借金ができる前に戦争に突入してしまった。この事実を現代の日本に応用して考えたらどうなる?」

 

「どうって?」


 

「君は、怖くならないのかい?日本は世界一の債権国だ」

 

 


>>>>つづく

 

 

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サヨクフェミの系譜・上から目線は伝統です

トラバで紹介されてた論文です。

 

まあ、大して読む価値もない論文なんで、下の方においやってますが、興味あったら読んでみてください。

 

笑えます。

 

「移民を受容できないのは自尊心の低い連中だけ」という論調に導こうという魂胆みえみえ。

 

それを、存在脅威管理だの文化的不安緩衝機能だの、もったいつけた用語を駆使して尤もらしく論文化しているのも昔のサヨク・フェミ風味で笑える。

 

 

>「自分が勝者だと認識し,グローバル資本主義や市場原理主義に基づく世界観を信奉できる少数のエリートだけが文化的不安緩衝機能を維持できると述べている。」

 

要は、自分の仕事や生活に影響のない勝ち組は、移民を受容できると言っている訳なんだが、当たり前だろう。

自尊心云々じゃなくて、移民と仕事の奪い合いになる層の生活防衛だろうが。

で、何だ?移民受け入れ派のお前は「少数のエリート」だってか?

 

 

>「失業が自尊心に与えるインパクトは個人主義文化を基礎としている場合よりも集団主義文化を基礎としている場合の方が弱くなるという研究があるように、成功や失敗の原因を個人にのみ帰さないような考え方,つまり社会全体に帰するような考え方を定着させる必要性を感じる

 

成功や失敗の原因を社会全体に帰するような考えを定着させたからって、問題が解決するわけじゃねぇよ。

景気を上昇させて雇用を拡大して失業率を下げるしかないんだよ。バカ。

実際、バブル時代には大量のイラン人が上野公園で野宿しながら現場の日雇いやってたけど、同じ日雇い労働層ですらイラン人と仲良くやってたよ。仕事がふんだんにあったからな。

失業しても食うのに困らない確信があるかどうかの問題だろう。それとも、これ書いたバカ、もとい、向井さんは失業しても「生活保護が簡単に受給される在日なりすまし」か?そりゃ、おめーらは何の心配もねーだろーよww

日本人は、失業したからって生活保護申請しても受理されずに、自殺や餓死に追い込まれるんだ、バカ。

 

自尊心じゃなくて、生きるか死ぬかの問題なんだよ。

 

 

 

移民受け入れ容認派のアタシ・カッコイイとか、上から目線のくだらない調査やってるヒマがあったら、雇用創出できるような事業の一つでも立ち上げてみろよww

少数のエリートなんだろ?おい?

 

こういうサヨク連中は、戦前の「精神論」を批判するくせに、てめーらのやってることもまるっきり戦前の精神論と一緒なんだよな。

 

コイツらは、100万人も移民が増えた過去10年に日本経済が低迷し続けた原因をどう説明するんだ?100万人の移民が、どういう経済部門に寄与したのか調査した事あんの?

 

移民がどれだけの雇用を創出したのよ?単純労働を日本人労働者と奪い合っただけじゃねーの?で、そいつらがどれだけ日本で消費したわけ?本国の家族に送金して、本国のGDP拡大に貢献しただけじゃねーの?

 

それでも、仕事する連中はまだマシだよ。仕事もしねーで、生活保護で食ってるのが何万人いると思ってんだよ?え?

 

移民受け入れで経済問題が解決するってぇなら、確実に解決する道筋を作ってみろよ。少数のエリートさんなんだろ?wwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

=== 以下、くだらない引用 ===

 

http://blog.livedoor.jp/tak_tak0/archives/51665500.html

 

自尊心と外国人受容
向井有理子   大阪市立大学
都市文化研究 Vol.9,2007


存在脅威管理理論~文化的不安緩衝機能(cultural anxiety buffer)の維持

存在脅威管理理論は,人間は生存本能と高度な認知機能により,生きている限り存在脅威を抱えているが,健全な日常生活を送るためにこの恐怖を意識下に抑圧していると主張する。存在脅威の抑圧を可能にしているのが,文化的世界観と自尊心である。
文化的世界観とは自己の所属する文化が描く世界観であり,世界に意味を与え,自己が死後も永遠に続いていくという感覚を直接的,および間接的に与える役割を果たす。
また,より良く生きるための基準を示す役割も担う。
自尊心は,自己がこの基準に従って生きており,社会的に価値のある存在であるという信念として定義される。このような文化的世界観や自尊心によって,人は個を超えた永続性を手に入れ,存在脅威を抑圧し,身を守っていると考えられている。
なお,このような心理機制を文化的不安緩衝機能と呼ぶ。
存在脅威管理理論の観点からは,異文化は自文化の普遍性を脅かすものであり,ひいては自身の永続性を脅かすと考えられる。
Salzman(2001)はグローバル資本主義のシステムや文化の中では,自分が勝者だと認識し,グローバル資本主義や市場原理主義に基づく世界観を信奉できる少数のエリートだけが文化的不安緩衝機能を維持できると述べている。

近年の状況は文化的不安緩衝機能の低下をもたらし,外国人の受容の妨げとなると考えられる。



日本:調査は2005年8月に行われた。満20歳以上の大阪市民について,選挙人名簿から無作為抽出により男女2000名を調査対象とした。
質問紙は郵送によって配布,回収された。795名から有効回答が得られた(回収率39.8%)。
調査協力者は男性361名,女性424名,不明10名,平均年齢は52.2歳(SD=14.86)であった。

韓国:仁川市において,2003年9月~ 10月に調査は行われた。満20歳以上の仁川市民に対し,区・郡別,性別,年齢別の割り当て法によって対象者数を割り出し,質問紙を用いた戸別訪問による面接調査を行い,1018名から有効回答を得た。
調査協力者は男性510名,女性508名,平均年齢は39.6歳(SD=12.05)であった。

台湾:調査は2004年8月~ 10月に行われた。板橋市の満20歳以上の市民について,選挙地域別,性別,年齢別の割り当て法で対象者数を割り出し,質問紙を用いた戸別訪問による面接調査を行った。
1000名から有効回答を得た。調査協力者は男性,女性500名ずつであり,平均年齢は36.7歳(SD=10.93)であった。



..........................................

考察


台湾,日本においては,外国人への態度に対し,自尊心が影響を与えるという仮説は概ね支持された.
つまり,外国人が文化的不安緩衝機能への脅威として捉えられており,
自尊心が不十分であったり,信奉できる安定した世界観が保持されていない場合には,外国人への拒否的態度が強まりやすく,
存在脅威が顕在化するような場面ではそれはより過激な行動へとつながる可能性を秘めているといえる。


平和な多文化共生社会を実現するためには,高く安定した自尊心を多数の人々が維持できなければならず,
そのためには社会の安定が望まれ,また,社会的に「敗者」と考えられるような状況でも自尊心を維持できる社会制度や価値体系をもつ必要があると考えられる。

例えば,失業が自尊心に与えるインパクトは個人主義文化を基礎としている場合よりも集団主義文化を基礎としている場合の方が弱くなるという研究があるように(Martella, D. & Maass, A., 2000, Unemployment and life satisfaction: The moderating role of time structure and collectivism., 2000),
成功や失敗の原因を個人にのみ帰さないような考え方,つまり社会全体に帰するような考え方を定着させる必要性を感じる。

 

 

 

 

 

大阪市立大学で、都市文化研究?

つまり、実務能力ゼロの経済オンチww

どっかの首相と同じだなww

 

経済オンチって、なんでこう「精神論」が好きなのかね?

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日韓併合?無効で構いませんが。

在日韓国朝鮮人が、日本で特別永住許可を得ている根拠は、日韓併合時代に日本国民であったことに基づいているわけだから、日韓併合が無効になれば、特別永住許可も無効になって、在日韓国朝鮮人の皆さんには、祖国にお帰りいただくことになるので、韓国の言うとおり日韓併合は無効でも全然構いませんが。

 

 

 

 

 

~オススメ記事~

 

韓国茶道(高麗茶道)シリーズ

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茶の話(1) 茶葉の話

茶の話(2) 「相棒」杉下右京の珍推理

茶の話(3) 韓国茶道では、なぜトイレットペーパーを使うのか?

茶の話(4) 韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(5) 続・韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(6) 韓国茶道では、なぜ急須を使うのか?

茶の話(7) 韓国茶道では、なぜトレイを使うのか?  

茶の話(8) 韓国茶道では、なぜ茶杓を使わないのか?

茶の話(11) 韓国茶道には、なぜ流派がないのか?

茶の話(12) 高麗茶道は、なぜ廃れたのか? 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

 

 

 

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茶の話(15) 丁宗鐵をぶった斬る その3

お待たせいたしました。今回は「小間」についてのお話でございます。

 

では早速、丁宗鐵の著書の「小間」に関する記述をお読みくださいませ。


『正座と日本人』(丁宗鐵著、講談社、初版:2009年4月21日、)
 「利休の茶の湯はインターナショナル」p56より引用

 

 たとえば、四畳半以下の茶室のことを、小間(小間造り)、小間囲い、あるいは小座敷や草庵茶室といいます。この小間は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のことです。小間には、にじり口が付きものですが、にじり口は朝鮮建築の典型例です。おそらく両班(高麗朝、李朝の文官と武官の総称)の家の隅にある書生部屋をイメージしたものと思われます。
 にじり口とは、高さと幅が六十数センチほどの小さな出入り口で、武具、飾りなどの一切を除き、にじって入るのでこの名が付いています(「にじる」とは、座ったまま膝で進むこと)。朝鮮半島の冬は日本よりずっと寒いため、こうした小さな出入り口が発達しました。おそらく利休は、堺で高麗人やその後に来日した李朝の朝鮮人と交流する中で、高麗茶道の作法とともににじり口をはじめとした小間を発想したのではないでしょうか。
(※以上、原文のまま)

 

 

前回同様、あまりにも明らかな間違いがございますので、先ずはそれらを正しておきましょう。


>四畳半以下の茶室のことを、小間・・・

 

「四畳半より小さい」が正解でございます。

 


>四畳半以下の茶室のことを、・・・草庵茶室といいます。

 

草庵とは元々、藁や草で葺いた田舎家のことでございます。
自然美あふれる田舎家の風情を取り入れた外観の茶室を、草庵風と申します。
四畳半以下でも草庵でない茶室もございます。

 


>この小間は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のことです。

 

高麗と書いて「こま」と読むのは、高句麗を指して言う場合のみでございます。
江戸時代でも、人名や地名などの固有名詞を除き、高麗は「こうらい」と読んでおります。
この先生には、茶室の小間が高麗と書かれている江戸時代の文献を、是非ともご紹介いただきたいものでございます。

 


>にじり口は朝鮮建築の典型例です。

 

このような事は、ぐーぐる先生が一番よくご存知でいらっしゃいます。
"korean traditional house"で画像検索してみましょう。

 

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=korean+traditional+house&rlz=1R2TSJH_jaJP342&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=-A5xTPP2HI3AuAOr08xC&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCIQsAQwAA&biw=1039&bih=589

 

「にじり口」を発見できた方は、ぜひコメントにてご連絡くださいませ。

 

そもそも高麗時代の建築は、唐の様式を取り入れてございまして扉はすべて観音開き。日本の茶室の躙り口に見られる引き違い戸はございませんし、扉は縦に細長いのが特徴でございます。

ご参考に、典型的な高麗建築として有名なMuryangsu Hallの画像をどうぞ。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic-art/117405/2849/Muryangsu-Hall-of-Pusok-Temple-wood-13th-century-Yongju-South


 

>おそらく利休は、堺で高麗人やその後に来日した李朝の朝鮮人と交流する中で、高麗茶道の作法とともににじり口をはじめとした小間を発想したのではないでしょうか。

 

はてさて、この先生は朝鮮の歴史を勉強なさったことがないのでござましょうか。
 

まじめに世界史を学んだ方ならご存知の通り、高麗が滅びましたのは1392年。
利休が生まれましたのは1522年。如何にして、利休が堺で高麗人と交流し高麗茶道の作法を知る事ができるのでございましょう。韓国茶道の先生方は、皆さん李氏朝鮮時代には儒教の影響で喫茶の文化が廃れたとおっしゃっておりますがww

 

 

尤も、急須の話といい、高麗茶道の時空を捻じ曲げる力は我々日本人の想像を絶するものがございますが。

 

 

 

では、気を取り直しまして、茶室の成り立ちについてご説明申しあげましょう。

 

平安時代から鎌倉時代にかけての日本建築の主流は、寝殿造でございます。寝殿造は、源氏物語絵巻などに見られますように、宴会場のような広い座敷を几帳などで仕切って居室としておりました。

 

室町時代になりますと襖や障子が発達し、区切られた部屋がつくられるようになります。部屋には、床の間、違い棚、付書院などが備え付けられ、このような設備を備えた座敷や家屋を書院造と呼びます。

 

室町初期の遊びの茶は、宴会のように華やかに行われておりましたが、村田珠光の始めた草庵茶では広い座敷を必要としなくなりました。そこで、書院造の広い座敷の一部を屏風などで囲って、茶を点てましたのが茶室の起源でございます。

珠光に茶の湯を学んだ足利義政は、慈照寺に建てた東求堂に同仁斉と呼ぶ四畳半の自身の居室を作りました。また、珠光も四畳半の茶室を作っております。

 

やがて、素朴で飾り気のないことに侘びを求めた武野紹鷗は、百姓家をもとに藁葺や雑木を使った四畳半の離れを作ります。そこに田舎家の囲炉裏を模した炉を切りました。これが、母屋から切り離された独立した茶室の誕生でございます。

このような侘び茶室を数寄屋といい、それを模して造られた建築を数寄屋造と呼ぶようになります。

 

紹鷗時代の古図に、既に躙り口が存在しております。よって、利休が朝鮮建築を取り入れたという説は正しくございません。

 

利休の時代になりますと、亭主と客がより親密に点前を行うには四畳半では広すぎると考えられ、三畳や二畳のいわゆる小間が登場します。さらに、四分の三畳分の大きさの台目畳が考案され、点前をするための台目畳と客畳一畳を合わせて、一畳台目という最も狭い茶室が完成いたします。

 

多くの戦国武将らと茶の交流を重ねた利休は、亭主と客が近づくことにより真剣勝負にも似た緊張感を高めることで、侘び茶の精神をより研ぎ澄まされたものにすることを試みたのでございます。

 

茶室は四畳半を基本とし、それより広い茶室を「広間」、狭い茶室を「小間」と呼びます。
広間と小間では、動作や行える手前に違いがございます。

広間では、客が拝見した道具を返す際などに歩くことができますが、小間ではすべての動作を躙って行います。また台子点前などは、広間で行い小間では行いません。
四畳半は、広間と小間のどちらの扱いも可能でございます。

 

 

ということで、やはり丁宗鐵先生には何はさておき、祖国の歴史について正しくお勉強して頂く必要があろうかと存じます。

 

 

次回は、正座について。

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 


 

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茶の話(14) 丁宗鐵をぶった斬る その2

前回のエントリで、ぶった斬りました丁宗鐵の著書に関しまして、コメントを下さったpurple-dさまから補足説明を頂きました。丁宗鐵も、一応、利休の幼名が田中与四郎であった事については調べていたようです。


purple-dさまには、誠にご迷惑をおかけしまして。

 

また、著書も読まずに批判を書きましたこと、丁宗鐵には大変申し訳なく・・・と思ったら、おいおい、全然間違ってるじゃねーかよ!!

 

 

(以下、本文より)
 千利休はとても視野の広い、進取の気性に富んだ人に違いないと私は思っています。
 たとえば、「千」という名字。日本では今ではめったにない名字です。しかし、高麗には普通にあった名字で、朝鮮半島には今でも「千さん」はけっこういます。
 利休は、田中与兵衛(與兵衛)を父に、宝心妙樹を母に持つことからもわかるように、
「千」は利休の本名ではありません。利休が「千」を名乗った理由は諸説ありますが、足利義政の同朋衆だった祖父・千阿弥(専阿弥)の名から「千」を名字としてとったとする説が最も有力でしょうか。
 私の考えはこれとは異なります。堺に生まれ育った利休は外国風、つまり高麗風の名字を拝借して自分の名字としたのではないでしょうか。彼は多分に高麗趣味を堂々と表に出す人であったと私は考えています。
(『正座と日本人』丁宗鐵著、講談社、初版:2009年4月21日、
 「利休の茶の湯はインターナショナル」p56より引用)

 

 

はて、利休の母が宝心妙樹とな?

 

利休の母は名を月岑妙珎と申し、宝心妙樹と申すは、利休の最初の妻。

 

妻と母を混同するなど、著者は一体何をお調べになったのやら。

 

それにしても講談社の編集担当は、何をボンヤリされておる。
相手は妄想力あふれる著者ゆえ、ゲラを刷り上げる前にこの程度の単純ミスぐらい直して差しあげる優しさを持ちなされ。

 

 

さて、それでは、千利休が「高麗趣味」で「高麗風」の姓を名乗ったと言う著者の妄想について、ちょいとばかり茶々を入れてみましょう。

 

まず、利休の生まれた1522年は室町時代中期。このころの堺の貿易は明との勘合貿易、琉球貿易、南蛮貿易が中心ございいました。織田信長が南蛮(ポルトガル)趣味だったことはよく知られております。そのような世相の中で、インターナショナルな人間がわざわざ高麗趣味というのもどうかと思いますが、その前に。

 

この時代、すでに朝鮮半島は李王朝、国号も高麗から「朝鮮」と改められておりました。
故に、当時存在したのは朝鮮貿易と朝鮮趣味のはず。

 

著者は、利休の趣味を云々する前に、祖先の国の歴史を整理されてはいかがかと。

 

事の真偽は別にして、このような場合、利休は朝鮮趣味で朝鮮風の姓を名乗ったとでも書くべきでございましょう。

 

しかし、利休が「李」とか「朴」とか名乗ったのであれば、朝鮮風と言われても納得いたしますが、「千」となりますと、やはり身内である祖父の名前を取ったと考えるのが自然でございます。

 

さらに、この説は利休の曾孫の記した「千利休由緒書」に書かれていることでもございます。また、信長より賜ったという説も、信長との出会いと時期が一致するという根拠もございます。それとて、本人が書き残したものではないとの理由で疑問視する向きもございますが、何の根拠もない妄想より信憑性の高いものでございます故、茶道教科では代々この説を伝えておるのでございます。


さて、ここで著者が時代はすでに李氏朝鮮でありながら、高麗趣味や高麗風などと言う言葉を使ってしまった背景を察しますに、茶の湯の世界の「高麗物」という言葉に踊らされているようでございます。

 

李氏朝鮮は1392年に始まっており、利休の時代には既に100年以上も経過しております故、この時代には日本におきましても正統な国号の朝鮮が使われておりました。

 

しかしながら、茶の湯の世界におきましては、中国からの輸入物を「唐物」と唐の昔に滅びた国号で呼びならわすなど、古い呼称を好んで使う傾向がございます。その唐物に対応する朝鮮からの輸入物ということで「高麗物」と呼ぶようになったのでございます。日本における高麗の名称は、元々、三国時代の高句麗を指すもので、その後も朝鮮の古風で雅な名称として用いられ、必ずしも高麗時代を指すものではございません。

 


やはり、著者には利休の前に先祖の国の歴史を学ばれた方が・・・

 


というわけで、次回こそ「小間」について

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

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まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

 

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茶の話(13) 丁宗鐵をぶった斬る!

前の茶の話エントリで、 purpule-d さまから大変興味深い本のご紹介を頂きまして、居ても立ってもいられなく、飲みから帰って早速取り上げさせていただきます。ということで、以下、酔っ払いの乱筆乱文お許しいただければ幸いです。

 

まず、purple-dさまのコメントから、本の内容の説明を抜粋させていただきます。

 

「正座と日本人」丁宗鐵(てい むねてつ、講談社刊)が発端となり、貴ブログを知りました。
この本には、正座を主題に論じながら、茶道が朝鮮由来ということが当たり前のように書かれていたのです。

「高麗茶道」という聞き慣れぬ言葉(54ページより記述)が、史実に織り交ぜたように書かれています。
加えて、高麗茶道の確立を補強するかのように、千利休の名字である、「千」は「高麗には普通にあった名字」と記載されている。
あるいは、「にじり口」は朝鮮建築の典型例とあり、茶室の「小間」は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のこと……などと言い切っています。
そして利休は「高麗趣味を堂々と表に出す人」だとも記してある。
キリシタンを俎上にあげたうえで、利休の思想とは、インターナショナルであるとも結論づけています。
日本史の説明のなかに巧みに、何気なく、紛れ込ませているように思えてならないのです。
はっきりいえば、このような叙述には、強い違和感があり、史実や実在した人物に憶測を巧妙にブレンドした書き方に感じたのです。一種のサブミリナルを狙うような記述とでもいいましょうか。
高麗茶道については、さして言及せず、すでに事実として存在した文化で、しかも脈々と伝わっていたように記載されているのです。
私はいまだにこの著者の正体や思想が判然とせず、それが逆に狡智に感じるばかりでいます。

 

何とも面白すぎて、笑いが止まらず言葉がでない状況でございます。

ツッコミどころが多過ぎて困るのでございますが、差し当たって今回は、『千利休の名字である、「千」は「高麗には普通にあった名字」』を、ぶった斬らせて頂きとう存じます。

 

では、千利休の生い立ちからご説明させていただきます。

 

千利休は、幼名、田中与四郎といい、1522年に堺の今市に生を受けたのでございます。

 

おーっと、ここでもう既に丁宗鐡のウソが簡単にぶった斬られてしまいました!

 

はい、利休の姓は、田中でございまして、千は後から名乗ったものでございます。高麗人に普通にあった名字などと、あたかも利休が高麗の末裔であるかの如くデタラメを書いているようですが、全く違うのでございます。そこの朝鮮人!ウソも大概にしなさい。

 

利休が、千姓を名乗るようになりましたのは、祖父の千阿弥の一字を取って織田信長から与えられたと言われております。

利休の祖父、千阿弥は能阿弥と同じ同朋衆(どぼうしゅう)で、足利家に仕える身の回りの相談役でございました。

能阿弥の能が名字でないのと同様、千阿弥の千も名字ではございません。一種の芸名のようなものでございます。

 

利休の父、田中与兵衛は納屋衆で、現代の総合商社のような会社を営んでおりました。納屋衆は、相当な地位と財力がなければなれないもので、利休はその財力を背景に、幼いころから茶を学び、十六歳になりますと当時の有名な茶人を自分の茶会に招くまでになったのでございます。

 

十七歳の時に北向道陳に師事し正式に茶を学びますが、すぐに道陳の奨めで武野紹鷗に弟子入りすることとなります。

その当時、利休は抛筅斉宗易と名乗っておりました。

 

利休の美的感性には、紹鷗も感心するほどでございまして、利休は紹鷗の下で修行に励み、新たな茶道具の創造に努力するなど美術面で大いに活躍したのでございます。

 

その後、織田信長に召されて茶頭役となり、本能寺の変以後は、秀吉に仕え三千石を与えられることと相成りました。

秀吉の茶の湯への傾倒も大変なもので、戦場にまで利休を同行させ、陣中で茶会を催すほどでございました。

 

1585年に秀吉が初めて宮中茶会を催した際に、利休にも茶席を受け持たせたのでございます。当時、宮中に入るには一定以上の身分である必要がございましたため、秀吉の願い出により、正親町天皇(おおぎまちてんのう)より「利休居士」の号を勅賜され、これ以降、利休は書状などに正式に「千利休」と記すようになったのでございます。

 

因みに「居士」とは、在家のまま悟道に入った男子の法名の下に付ける称号でございまして、一般には死後の戒名に授けることが多うございます。

 

 

というわけで、purple-dさま。千利休は高麗人とは縁もゆかりもございませんので、ご安心くださいませ。

 

 

次回は、小間についてぶった斬らせて頂きとう存じます。

 

 

その前に、茶の話(14)にて補足と訂正がございます。

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

 

 

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茶の話(12) 高麗茶道は、なぜ廃れたのか?

さて、今回は韓国茶道最大の謎「高麗茶道はなぜ廃れたか」でございます。

 

現在の韓国では、茶を飲む習慣がございません。その韓国に茶道の歴史があったと主張される方々は、どなたも「李氏朝鮮時代に儒教の影響で仏教が衰退したため」という言い訳、もとい、理由に、朝鮮半島における喫茶文化衰退の原因を求めるようでございます。

 

さて、衰退する以前の朝鮮半島の喫茶文化でございますが、韓国茶道協会京都支部の尹道心先生によりますと、

 

「わが国の茶文化は三国時代から中国から伝来し新羅、高麗にかけて仏教とともに隆盛をみせておりましたが、朝鮮王朝三大王(太宗)時から衰退していく中、僧やソンビ達によって脈を繋いで参りました」

 

とのことでございまして、なんと朝鮮半島の喫茶文化は三国時代の新羅に続き高麗にかけて、500年もの長きに亘り隆盛を見せていたのでございます。

 

そして、その500年間に亘り隆盛を見せた喫茶文化が、儒教の影響で仏教が衰退しただけで廃れてしまったというのでございます。

 

このような現象は、世界広しと謂えども、朝鮮半島以外では見当たらないものでございます。

 

例えて言うならば、16世紀の安土桃山時代に隆盛を見せた日本の茶の湯文化が、20世紀の廃仏毀釈で衰退するようなものでございます。

廃仏毀釈で衰退どころか、裏千家十五世鵬雲斉は大戦中、飛行場の特攻機の前で野点を行い特攻仲間に茶を振舞っております。この特攻仲間には、水戸黄門で有名な俳優、西村光さんもいらっしゃいました。

 

喫茶も一つの食文化でございますが、食文化というものは隆盛を極めますと、あらゆる階層に広まります故、それを伝えた階層が衰退いたしましても無くなるものではございません。室町時代に、ポルトガル人が伝えたとされるカステラ、天ぷら、金平糖が、秀吉によるバテレン禁止令で衰退したという話は寡聞にして聞きません。それどころか、それまで一部の階層でしか食されなかったこれらの食品が、江戸時代には町人が食するまでに広まり、天ぷらに至りましては、現代では、ずうずうしくも日本食の代表のような顔をして世界中に知られておる程でございます。

 

また、食文化は一度広まりますと、その担い手も増え、様々な形に変化するものでございます。

日本の茶文化も、平安末期に栄西禅師が伝えた以降、僧侶が茶文化の担い手として中心的役割を果たしておりましたのは鎌倉時代まででございます。鎌倉末期に禅僧と交流の深かった武家階級に広まりますと、室町初期には一般にまで普及し、路上で一服一銭の茶を売るものまで登場いたします。

 

そもそも僧侶の茶文化は、修行時の覚醒に役立てたり、薬効を調べたりと、文化というより学問に近く、武家や一般には面白くないものでございました。そこで、豪華な食事の後に茶を飲み銘柄を言い当てて賭けをする「闘茶」など、遊びの茶が大流行いたします。この傾向に反発しまして「草庵茶」を始めましたのがわび茶の祖、村田珠光でございまして、やがて、利休のわび茶が完成することとなります。ところが、江戸時代に入りますと、今度は形式ばった茶の湯に反発しました文化人が隠元禅師の持ち込んだ「煎茶」を流行らせることとなります。

現代に至りましては、ペットボトルのお茶から抹茶アイスクリームまで、茶の用途は更に幅広くなり、仏教には縁のない異教徒の方々にまで楽しまれておるのでございます。

 

このように、時代が変わりますと担い手と共に文化の形も変わります故、一度、隆盛を極めた文化というものはしぶとく生き残るものでございます。

 

茶の湯そのものを見ましても、現存するのは宮家茶道、武家茶道、町人茶道でございまして、僧侶の茶道はございません。もっとも、茶道とは茶の湯を通して一般人が仏教の修行をするものでございますから、僧侶が茶道を行う理由もございません。嗜みに茶の湯をされる方は、いらっしゃいます。

 

1191年に栄西が茶と点茶法を伝え、1403年には一服一銭の茶売りが登場。つまり、およそ200年のうちに一般人も茶を飲むようになったのでござます。さらに、豊臣秀吉が北野大茶会を開催いたしましたのは1587年。この時、茶の湯の心得のある者は、町人、百姓に至るまで必ず来るべし、服装、履物、序列は問わず、道具はどのような物でも茶が点てられれば良し、数寄者(道具マニア)は自慢の道具を展示せよとお触れが出ております。

なんと、点茶法が伝えられて396年後には、百姓までもが秀吉の前で茶を点てられるほどに、茶の湯の心得までが浸透していたのでございます。

 

 

一方、朝鮮半島で喫茶文化が隆盛を極めたのが500年間。

その間、僧侶以外に喫茶文化の新たな担い手は育たなかったのでございましょうか。

「高麗茶道は華麗な宮廷文化」などという宣伝文句すらございますが、朝鮮の宮廷人たちは仏教を離れた独自の喫茶文化を育てる能力がなかったのでございましょうか。

 

このミステリーを解くヒントが、李氏朝鮮時代の清国への貢物リストに含まれております。

清国は、朝鮮に茶千包を毎年贈らせておりましたが、その茶千包は北京より輸入したものを清国に貢がせておりました。

まるで、ジャイアンがのび太に実家の雑貨屋で購入したものを自分にプレゼントさせるような横暴ぶりでござますが、つまり、朝鮮の茶は清国に貢げるほど品質も高くなく生産量も少なかったということでございます。

 

 

このことは、高麗茶道が廃れた原因の2つの可能性を示しております。

 

一つは、喫茶文化を維持すべく茶の生産を試みたが、どう頑張っても朝鮮半島では良い茶が育たなかった。

 

もう一つの可能性は、良い茶を生産しようという熱意が生まれるほど、高麗茶道は隆盛を極めていなかった。

 

 

いずれに致しましても、かの半島の方々は、うまい飯が食いたいという一心で寒冷地でも育つコシヒカリを開発する日本人とは、農業に対する熱意が大きく異なるようでございます。

 

 

 

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韓国茶道(高麗茶道)シリーズ

 

茶の話(1) 茶葉の話

茶の話(2) 「相棒」杉下右京の珍推理

茶の話(3) 韓国茶道では、なぜトイレットペーパーを使うのか?

茶の話(4) 韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(5) 続・韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(6) 韓国茶道では、なぜ急須を使うのか?

茶の話(7) 韓国茶道では、なぜトレイを使うのか?  

茶の話(8) 韓国茶道では、なぜ茶杓を使わないのか?

茶の話(11) 韓国茶道には、なぜ流派がないのか?

茶の話(12) 高麗茶道は、なぜ廃れたのか? 

 

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」(12)

前回】のつづき>>>>

 

 


「美和子が帰ってきてくれるなんて、本当に嬉しいわ」
越善マユミは、以前より幾分濃い目のメイクを施した目を、眩しそうに細めながら微笑んだ。

 

テレビ局近くのカフェは以前と変わりなく営業していたが、テラスのテーブルは夏も盛りになろうと言うのに閑散としていた。普通なら、採算がとれずに閉店するような状況でも続いているのは、この店が民主党政権による新体制の受益者であることを物語っている。
活気のまるでなくなった街の中で、派手目のキャリアウーマン風ファッションを身にまとい、自信に満ちたポーズをとるマユミの周りには虚しい空気が漂っているように見えた。

 

「何年ぶりかしら?」
「6年よ」
「そんなに前だった?じゃあ、きっと局を見たら驚くわ。何もかもが変わっていて。素晴らしいわよ」
「素晴らしい?」
美和子は、訝しんだ。
ホテルでテレビを見た時、NBSは韓国語放送しかしていなかった。社会に役立つ報道が使命のはずなのに、日本社会の大多数を占める日本人が見て役立つ番組を一つも流していない。アメリカの報道でもマイノリティへの配慮は重視されていたが、公共の電波を使ってこのようなことをすれば放送免許が剥奪される。

 

「局がどう変わっているかは、戻ってきてもらえば分かるから。楽しみにしていて」

 

美和子には、マユミの態度が鼻についた。
以前は、そんなことを感じることはなかった。6年の間に、自分が変わったのか、それともマユミが変わったのか。
それにしても、今朝祐介に頼まれてマユミに連絡を取って、その日の午後にこうして会えるなんて、閑職に回されているとしか思えない。

 

「そう。で、いつ面接に行けばいい?」美和子は、事務的に聞いた。
「それは必要ないわ。私が上司に話を通しておいたから。以前、局にいた時も優秀だったし、下野ゼミの優等生なら猶のこと大歓迎ですって」
「ちょっと。面接が必要ないだなんて、いくら私が以前在籍していた人間だからってイージー過ぎるわ。それともマユミは、そんなに出世しちゃったのかしら?」
「そうでもないわ。報道部長付きのアシスタントよ。」
「アシスタント?それじゃ、マユミは報道の最前線から退いたってこと?」
「今の体制では、報道の最前線より上よ。特別な功績が認められたのよ」
「特別な功績?」

 

マユミは、意味ありげに美和子に視線を向けながら、局の入管証を首からはずし、テーブルの上で裏返して見せた。

 

昨日、寺坂君江が見せたIDカード、納税者登録証明証と同じデザインだったが、赤と青の縁取りがあった。
ID番号は「K」で始まっている。

 

「マユミ、あなたまさか?」
「Kカードよ。私も特権階級の仲間入りしたのよ」
「特権階級ですって?」
「Kカードは、在日コリアンと民主党政権実現に功績のあった日本人しか取得できないのよ。私は一昨年、前政権の大臣を辞任に追い込んだ功績が認められて取得できたの」
マユミの態度は、一層鼻に付くものになった。
「辞任だなんて、どうやって・・」
「大臣の国際会議に取材で同行したのよ。チャンスを窺って薬を飲ませて、会議で大失態を演じさせたの。それは、ものすごい反響だったわ。おかげで大臣は辞任して、その後の衆議院選挙はあの通りの結果でしょう。それ以来、私は局でもジャンヌ・ダルク扱いよ」
夏の日差しを仰ぎながら、マユミは誇らしげに笑った。
「そんな真似、マユミの考えでやったの?」
「いいえ。トップからの指示よ。局のオーナーから直々に話があって、何人かが実行に携わったのだけれど、成功したのは私だけ。すごいでしょう」
大臣に海外で恥をかかせて誇らしげになっているマユミを、美和子は異生物を見るような気持ちで見た。

 

美和子は、遠くを見つめた。
以前の美和子なら、局のオーナーから同様の指示を受けたら迷わず実行していたかも知れない。得意になっているマユミに違和感を感じさせているのは、アメリカ滞在の6年間だ。

 

自国の大臣を海外で陥れる。

 

アメリカでも、マスコミが敵対する政党の要人の足を引っ張ることはよくある。だが、すべて国内での事案だ。たとえ敵対政党の大臣であっても、海外で失態を演じさせるのは国の威信に拘わる。絶対にありえないことだった。

 

―― 国の威信なんて言葉が浮かんでくるなんて。

 

下野教授のゼミにいたころは、そんな言葉に反発すら感じていた。
そして、マユミも美和子も、特権階級などという言葉には拒絶反応すら示していたはずだ。
美和子は、力のない微笑みを浮かべた。

 

「ねえ、美和子。他ならぬあなたのためなら、私からKカードを取得できるように取り計らうわ。あなたには、その資格が充分にあると思うもの。是非、そうしなさいよ」

 

マユミの言葉に、美和子はハッとした。
矢頭祐介の言ったとおりだ。
「ええ、そうね。もう少し落ち着いたら考えるわ」
美和子は祐介の言葉を思い出し、言葉を濁した。

 


    *  *  *

 


マユミの手配したタクシーを降りると、ビルの下で与一が待っていた。


「おねえさん。母さんが、うちでご飯食べて行けって。矢頭さんも来てるよ」
そう言うと、与一はエレベータを使わずに階段を駆け上がった。美和子も、与一の後に続いた。

 

与一たちの部屋に入ると、寺坂君江はテーブルの準備中だった。
「おかえりなさい。すぐに、食事の準備ができるわ」
「ありがとうございます」
中に入ると、祐介が奥のソファに腰掛けていた。
「就職おめでとう」
祐介は、立ち上がって美和子を手招きした。美和子は、祐介の隣に座った。
 

「まるで見てきたように言うのね。確かに就職できたけど」
「君が連絡を取ったら、越善さんが仲間に引き入れるのは分かり切っていたからさ。それで、Kカードの取得は勧められなかった?」
「早速、勧められたわよ。バカバカしい。先輩に言われなくても、あんなものお断りだわ」
「そう?君なら彼女と同様に、喜んで取得したがるかと思ったんだけど」
「冗談言わないで!私は、フェミニズムに傾倒していたけど、自分が特権階級になるなんて私の考えるフェミニズムとは全然違うわ。私は、マユミみたいに大臣を失脚させた功績を買われたとしても、そんなもの断るわ。見損なわないで」
「大臣を失脚させた功績?」
祐介はニヤリとした。
「なんだか知らないけど、そんなこと言ってたわ。なんでも局のオーナー直々の命で、大臣に薬を盛ったんですって。あんなこと得意気に話すなんて、マユミはどうかしてるわ」

 

アハハハハハハハハハ・・・

 

祐介が突然笑い出したので、美和子は目を丸くした。
「何?先輩、どうかしたの?」

 

「ごめん。何でもないよ」
笑いを押さえながら、祐介が言った。
「君は、本当に優秀だよ。欲しいと思っていた情報をこんなに早く入手してくるなんて。さあ、食事の支度ができたみたいだ」
祐介は、美和子をエスコートした。


 

美和子は、祐介の笑いの意味が分からないまま席についた。

 

 


>>>>>つづく

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誇り高き人々

オーストラリアの先住民族アボリジニは、何百もの部族に分かれており、それぞれ言葉や習慣も違う。
 

オーストラリア中央に位置するノーザンテリトリー州に、ウルル・カタジュタ国立公園がある。

その一帯で、2万年以上前から狩猟採取して暮らしていた部族をアナング族という。

 

ウルルとはこの国立公園内にある、アナング族の聖地の名称である。
一般的にはエアーズロックの名称で知られている、高さ348メートル、周囲約9.4キロメートルの世界で二番目に大きな一枚岩のことだ。別名「地球のヘソ」とも言う。

 


 

エアーズロックは、1873年にイギリスの探検家ゴスがこの巨大な一枚岩を発見した当時の、植民地総督ヘンリー・エアーズに因んで付けられた名称で、長年世界中でそのように呼ばれてきた。

 

ウルルというアナング族の名称で呼ばれるようになったのは、1980年代からである。

この名称が使われるようになった経緯は、先進各国で見られる「先住民族を尊重しようキャンペーン」のような、腐れ人権屋どもが上から目線で行う偽善とは全く違う。アナング族が、自ら闘ってこの聖地と名称を取り戻したのだ。


ウルルは、アナング族が儀式や集会を行ったり、地形を利用して子供に人生の教訓を教えたりする大切な聖地であった。また、ステップ気候で乾燥した土地で、雨水を集める大きな樋の役割を果たす巨大岩はアナング族の命をつなぐものでもあった。

 

その聖地がイギリス人に発見されて以降、観光地化され目の前に飛行場が作られ、ホテルが建てられ、挙句に登山する人間まで現れ、先住民族の聖地は見るも無残な状態となった。

 

この状況に怒りを燃やした先住民族アナングは、1976年、国を相手取り聖地の返還を求めて連邦裁判所に提訴する。
1970年代といえば、豪州では白豪主義の全盛時代で、南アでもアパルトヘイト政策が厳然と行われ、ベトナム戦争に負けて自信をなくしたアメリカで漸く黒人の地位が向上し始めた時代だ。
そのような世相の中で、有色人種の先住民族が自らの聖地を取り戻すために、国を相手取って訴訟を起こして勝てるなどと誰もが思わなかったことだろう。

 

だが、9年間に及ぶ長い法廷闘争の末、アナング族はウルル一帯の土地を取り戻す。

 

現在、アナング族の所有となっている1326平方キロメートルの土地は、ウルル・カタジュタ国立公園として豪州政府に99年間の契約でリースされている。
豪州政府からは国立公園の入園料の売り上げからアナング族にリース料が払われ、その収入はアナング族居住地のインフラ整備などに使われている。

 

ウルルの目の前にあった飛行場やリゾートは撤去され、20キロほど離れた場所に新たに建設されている。
登山や写真撮影などもアナング族の慣習に合わせて、制限されている。

 

旅行案内などで見るウルルの写真は、同じ方向から撮影されたものしか使用されていない。
写真で見ると、のっぺりとした表面の側しか分からないが、反対側を見ると岩が崩れたり大きく裂けた部分などがある。これらは、アナング族が儀式を執り行う聖地であるため撮影が禁止されている。

 

カタジュタは、ウルルから50キロほど離れたところにある巨大奇岩群である。こちらも、以前の名称はマウント・オルガスだったが、先住民の名称カタジュタで呼ばれるようになった。36個の砂岩が高さ500メートルのドーム状に連なるカタジュタは、アナング族の男性の聖地とされている。


よく知られている通り、白人による豪州植民地の歴史はイギリスの流刑地として始まった。
流刑囚のほとんどは男で、圧倒的に女性の不足していた流刑地で、先住民族の女性は格好のターゲットとなった。
また、先住民族の男性が殺人や暴力の犠牲となるなど、豪州での先住民族虐待は凄惨を極めた。

更に、白人の持ち込んだ伝染病により、免疫のない先住民族の多くが命を落とし、白人入植後50年間でアボリジニの人口は半減したと言われる。


政府による同化政策も行われ、先住民族を居住地から強制的に移住させ、西洋式の生活様式を強制した。子供が生まれると、親元から引き離し白人家庭に里子に出した。同化政策は1985年まで続き、現在でも、実の親の顔を知らないアボリジニは多数存在する。アボリジニには、褐色の肌や黒髪の代わりに白い肌や金髪を持つ者もおり、同化政策や女性虐待の歴史を物語っている。慣れない生活を押し付ける同化政策は、それまで先住民族が持っていなかった酒や煙草、ドラッグなどに溺れる者を生みだす弊害も齎した。

 

 

このような激しい差別と虐待の吹き荒れる豪州で、国を相手取り正々堂々と長年にわたる法廷闘争を繰り広げ勝利したアボリジニには、本物の民族の誇りを感じる。

 

 

 

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歴史を語るのに資格が必要なのかよww

先日のエントリで、竹島に関して「日本に対抗できる十分な資料」を米国で発見した鄭秉峻教授を取り上げたが、その資料の有効性はともかく、日本に対抗できる資料を探してこようという姿勢は評価できる。

 

少なくとも、NHK日韓討論で自分の気に入らない意見を述べた男性に対し「歴史を語る資格がない」などと有無を言わさぬ暴言を吐いて、相手を抑え込もうとした崔洋一に比べりゃずっとマトモだ。

 

映画監督かなんか知らんが、いい年した大人が気に入らない意見を言う人間には聞く耳持たない、まるでガキのような精神構造だ。

相手の意見が気に入らないなら、理路整然と証拠を示して間違いを指摘すりゃいいだろう。

なぜ、できないのか。

 

そりゃ、崔自身も自分達の主張が捏造だってことが分り切ってるからだ。

 

国籍すら北朝鮮から韓国にコロコロ変えるようなご都合主義の人間に、それこそ「歴史を語る資格」などあるのか?

 

 

こんな人間のクズに比べれば、竹島を韓国領だと信じ込んで資料を探して必死に正当性を証明しようとするだけ、鄭教授ってのは人間として一応筋が通っている。

 

 

 

崔は、歴史を語る資格を云々しているヒマがあったら、教員の資格のないド素人が教師をやってる朝鮮学校を何とかしろ。

 

 

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備忘録

 

961 :Venom ◆vr7wMBGNJ2 :sage :2010/08/13(金) 18:06:53 (p)ID:5PL1n2c/0(3)
>>945
>「悪い奴を誉め讃え、英雄視する集団」が問題

安重根や金九みたいなテロリストね。でもそれを真似しようという奴は余りいません。

半島にたくさんいるのは、混乱に乗じて他者の財産を盗み、気に入らない奴に暴力を振るい、
欲情したら男女を問わずレイプする、火事場泥棒みたいな連中です


1919年の3.1独立運動(万歳事件)でも、独立宣言を朗読した33人の学生・宗教家ら運動の
指導者は、すぐ日本官憲に逮捕されたけど、ほとんど処刑されていません。 その多くは
出獄後に転向し、日本の統治を褒め称える親日派になっています。

そして3.1運動で日本官憲に殺されたのは、騒ぎに便乗した暴徒たちです。独立宣言文には
非暴力を謳っていたにもかかわらず、数万の朝鮮人暴徒が交番や役場、学校などを襲撃し、
放火・略奪・暴行などを働いたので、日本の警察や憲兵がやむを得ず鎮圧する課程で、
けが人や死人が出たわけです。

大多数の無教養な朝鮮人に、「英雄的行為」の意味が、理解できるもんですか。
あいつらの関心は、混乱に乗じて暴れたいだけ。 関東大震災でも同じです。
 


962 :Venom ◆vr7wMBGNJ2 :sage :2010/08/13(金) 18:13:03 (p)ID:5PL1n2c/0(3)
>>961を書いてて思い出した話。

金永三時代末期、次期大統領が金大中に決まった頃のソウルで、日本人駐在員の
奥さんが、韓国人のお手伝いさんと街へ買い物に行った。

お手伝いさんが言うには、
「もうすぐ左翼の金大中が大統領になるから、この国は貧乏人の天下になる。
 金持ちはアメリカや日本に逃げ出すだろうから、あの豪邸もこのお屋敷も、
 自分のものにするのは占拠さえすれば良い。 早い者勝ちだ。
 自分はもう、ある屋敷に目をつけてある」

日本人の奥さんは、それを聞いてぞっとしたそうですが、要は韓国人の庶民は
大多数が世の中の乱れを待っているのです。 火事場泥棒のチャンスだから。
結局金持ちは韓国から逃げ出しませんでしたね。 残念でした。
 


964 :Venom ◆vr7wMBGNJ2 :sage :2010/08/13(金) 18:42:19 (p)ID:5PL1n2c/0(3)
さらに言えば、日本の終戦直後、朝鮮進駐軍が暴行・略奪したときも同じ。
朝鮮戦争で人民軍がソウルを占領したときも同じ。
韓国軍が、ソウルを奪還し、平壌を占領したときも同じ。

朝鮮人の多くは、子供っぽい欲望を抑え切れない。 
日頃は権力者の抑圧が恐くて大人しくしているが、それは面従腹背で、世の中が
乱れたら、チャンスだとばかりに暴れだす。

本当はいつ情勢がひっくり返るか分からず、軽挙妄動したら身の破滅なのだが、
彼らは一時的にでもホルホルして、我が世の春を謳歌する欲望には勝てない。

つまり彼らは、リアル北斗の拳の、「ヒャッハー!」を待ちわびて、現世の
貧しさ、苦しさに耐えている。 そんな彼らが、人権擁護が行き届き、遵法
精神に溢れて、真面目で大人しい人たちの住む日本にやってきたら、もう
すき放題し放題。 絶対に帰ろうとは思わないでしょう。

 

 

 

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ウリの辞書に「矛盾」の文字はないニダ

独島:「韓国領」明示1949年の米国の地図を発見

鄭秉峻教授が米国で発見

「日本に対抗できる十分な資料」

 米国が、第2次大戦終戦後、対日講和条約の草案を準備する中で、独島(日本名:竹島)を韓国領と明示していた地図が、12日に公開された。

 

 この地図は米国務省が1949年11月2日付で作成し、東京のマッカーサー連合国軍総司令部(GHQ)司令官に送ったもの。韓国・日本・台湾の領土を表示しており、独島は韓国領内に明示されている。この地図は、鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大教授(韓国現代史)が2008年に米国バージニア州ノーフォークのマッカーサー・アーカイブで発見し、今週発行される著書『独島1947』(石枕)に収録した。

 

 この地図と共に送付された「対日講和条約草案」の領土条項6条では、「日本は、韓国本土および近海のすべての島に対する権利・権限を放棄し、これには済州島・巨文島・鬱陵島・リアンクール岩(独島)および東経124度15分より東、北緯33度より北…を含む」とされ、独島が韓国領に属すると明白に記している。また鄭教授は、このほかにも独島を韓国領と表示した米国政府の地図があり、その地図は敗戦国日本の領土を確定するため1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成した、という事実を明らかにした。この地図は、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されていた。

 

 鄭秉峻教授は、「独島を韓国領とした国務省の1949年の地図は、カイロ宣言・ポツダム宣言により事実上日本の領土を確定する権利を持っていた米国が、これを具体化した最終的な作品。しかし米国は、日本を同盟国として育てるため、1951年のサンフランシスコ講和条約で日本の領土を確定せず、独島領土紛争の発端を作った」と語った。独島学会会長を務める漢陽大のシン・ヨンハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は、「1949年の米国務省の地図は、学界に知られていなかった新たな資料で、今後の日本との独島領有権論争で十分な根拠となるだろう」と語った。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語

http://www.chosunonline.com/news/20100813000016

 

 

 

よかったな!韓国人!

「日本に対抗できる十分な資料」が見つかって。

それ持って、ハーグの国際司法裁判所に来い!

 

 

日本との平和条約

本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約サンフランシスコ平和条約サンフランシスコ講和条約・対日平和条約・対日講和条約などともいう。

 

竹島について
竹島の扱いについては草案から最終版までに下記の変遷を辿っている。

* 1947年3月19日版以降 日本は済州島、巨文島、鬱陵島、及び、竹島を放棄すること。

 → 1949年11月2日 今回発見された「日本に対抗できる十分な資料」の作成
  1949年11月14日、アメリカ駐日政治顧問による竹島再考の勧告。「これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。」
* 1949年12月29日版以降 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。日本の保有領土の項に竹島を明記。
* 1951年6月14日版以降 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。(日本の保有領土の項は無くなる)

  1951年7月19日、韓国政府、日本が済州島、巨文島、鬱陵島、独島(竹島)、及び、波浪島を放棄することを求める。[7]
  1951年8月10日、米政府よりの回答、竹島は韓国の領土として扱われたことは無く、1905年以降日本領である。(ラスク書簡)
* 1951年9月8日版(最終版) 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。

 

 

 

ついでに教えてやるが、その地図に「JAPAN SEA(日本海)」って書いてあるぞ

 

 

 

 

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「韓国人」無能の代名詞

絶滅危惧種の独島アシカ、来年にも絶滅宣言見通し

【ソウル12日聯合ニュース】環境部は12日、独島アシカ(ニホンアシカ)の実態調査を独島(日本名:日本海)、鬱陵島、日本近海などで実施したが、生存は確認できなかったと明らかにした。同部は韓国海域から姿を消した独島アシカの復元に向け、韓国環境生態研究所に実態調査を依頼していた。

 一時は独島を象徴する動物とされていた独島アシカは、体長2.4メートル、体重490キログラムほどまで成長する。先史時代から韓国海域に生息していたと推定される。1900年代初めには独島近海に2~3万匹が生息していたが、日露戦争開戦の1904年から日本の竹島漁猟会社が乱獲を始め、1956年までに1万6500匹を捕獲したと伝えられる。1950年代には約100匹の独島アシカを見たと独島守備隊員が話しているが、1970年代の目撃談以降は情報がない。政府は1998年、独島アシカを絶滅危惧(きぐ)種に指定した。

 国立生物資源館は、独島アシカの研究が行われていない北朝鮮の東海側やロシア海域に、独島アシカが生存している可能性があるとみて、ロシア側に協力を要請し、昨年に研究を再開した。しかし、資源館関係者によると、ロシア沿海地方でも生息は確認できず「絶滅したと認定するしかない時期がきた」としている。資源館はこれまでの研究結果をまとめた最終報告書を今月にも発表する計画だ。

 環境部関係者は、来年に絶滅危惧種指定などに関する審査を行うが、ここで独島アシカの絶滅に関する話があるだろうと話した。資源間の報告書内容を検討し、外部専門家の諮問なども参考にした上で、絶滅宣言に向けた手続きに入る見通しだ。

 アシカは独島をはじめとする東海、米カリフォルニア沿岸、南米ガラパゴス諸島にそれぞれ生息する3種に分類される。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2010/08/12/0200000000AJP20100812001700882.HTML

 

 

1952年 李承晩が竹島編入を一方的に宣言。不法占拠

1956年 日本がこの年までにニホンアシカを乱獲ww   NEW!

1952~1950年のいつか 独島守備隊員がアシカを100匹目撃

1970~1979年のいつか 独島守備隊員、アシカ目撃できず

 

ニダの結論: アシカの絶滅は日本の乱獲のせいニダ

 

 

私の見解: 守備隊員による糞尿垂れ流しバイオテロで絶滅

 

 

 

 

朝鮮王室儀軌の原本は無くすわ、国印は無くすわ、石川五層石塔はボロボロにするわ

竹島のアシカは絶滅させるわ、糞尿は垂れ流すわ。

韓国人に管理能力がないのは、よーぉぉっくわかった。

 

 

 

 

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悪事を隠す一番いい方法は他人を非難すること

歴史に関して、日本を非難する国があったら、そりゃ相手に後ろめたい部分があると思って間違いない。

 

バ韓国の謝罪と賠償要求なんかその最たるものだが、中国の南京大屠殺なんてのも、戦ってもいなかった中国共産党が日本と戦って政権を得たなんて国民にウソをついたのがドロボウの始まりでして。

 

南京で、どれだけ人が死んだか知らねぇが、戦争なんだからてめぇんとこの国民ぐらいてめぇで守れってんだが、国民にウソをついちゃった共産党は、国民党の敗戦責任まで背負う羽目に陥って、何でもかんでも日本の責任とホザいているわけだ。挙句、「植民地支配で苦しんだのは韓国だけじゃない」とか甘ったれたことを抜かすわけだが、同じ事をイギリスやフランスにも言えってんだよ、この軟弱者めが。

 

ヨーロッパ諸国ってのも、結構、胡散臭い主張を平気でする。

 

よくあるのが「日本は鎖国だったから島国根性で、どーしたこーした」とか。

おいおい、商品もなきゃ資源もなかった17世紀のヨーロッパと、どうやって通商しろってんだよ。笑わせんなww

当時のヨーロッパの「通商」ってのは、アジアやアフリカから物資をタダ同然で巻き上げて利益を上げることだろう。なんで、物資豊かだった日本がおめぇらなんかと付き合わなきゃならんのよ。通商したけりゃ金持ってこいww

イギリスなんか19世紀になっても、中国人にすら買ってもらえる商品がなくてアヘンを売ってアヘン戦争おこしたりしてるしww

 

出島には、オランダ船だけでなく唐船も入ってきていたわけで、どちらかというと必要な物資を運んできたのは唐船の方だ。幕府がオランダ船の入港を許したのは、情報収集が主な目的なわけで。

 

ところが、この出島にオランダ人を閉じ込めてたってのを非難するバカもいる。

おいおい、放っておけば人を攫って奴隷にして売りさばくオランダ人を狭い所に閉じ込めておくのは、どう考えても正しい選択としか言えないだろう。一度、アフリカ人に意見を聞いてこいwww

 

徳川幕府は、鎖国で日本人の海外渡航を禁じていた!閉鎖的だ!悪政だ!とか寝言をたれる奴もいる。

そういうヨーロッパの平民は、領主の荘園から出ることすら自由にできなかったわけでww

バカも休み休み言え。

 

非難する代わりに実績をアピールする戦術に出るのもいる。

日本に鉄砲を伝えたのは、ポルトガル人だとか・・・

いや、それ伝えに来たんじゃなくて、鉄砲ちらつかせて脅しに来たんだろ?どこの世界に自分で開発した最新兵器を、さあどうぞお使いくださいって外国にプレゼントするバカがいるよ?

ところが、日本人に簡単にコピーされちゃったんで、仕方なく「ウリたちが伝えたニダ!」って、それじゃまるでどこかのミンジョクと同じだわww

 

鉄砲作戦で失敗した連中は、カソリック布教活動で日本征服を企んだわけだが、先見の明のある豊臣秀吉がバテレン禁止令を発令して見事追い払ったわけだ。追い払われたバテレンは、腹立ち紛れに日本のキリスト教弾圧を世界に宣伝するわけだが、一つ質問していいかい?

「カソリックに征服されて、先住民が豊かで幸せになれた国ってあるの?」

 

最近の歴史では、アメリカなんかがシロナガスクジラを絶滅寸前まで乱獲しといて、日本に罪をなすりつけて捕鯨反対とかやり始めたわけだが、日本近海での捕鯨を禁止しても南極海まで捕りに行くし、いくら圧力掛けてもUSビーフは売れないし。そこで、オーストラリアを焚き付けて、反捕鯨運動をシーシェパードごと押し付けた訳だが、最近、オーストラリアもアメリカに梯子外されたのに気づいたか、とりあえず国際司法裁判所の判断を仰ぎまーすとか、カワイ子ぶってるしww シーシェパードの支援を止めるのは、政府の判断じゃないからね!裁判所の判断だからね!ね!ね!

まあ、がんばって国民を納得させてください。

 

国内に目を向ければ、マスコミなんてのも後ろめたい過去を隠すために、一心不乱に反日報道をやっている。

いくら、戦前の日本を批判しようとも、お前らが戦争を煽っていた事実は消えないから、心配するな。

 

いくら、朝日新聞が朝鮮学校も無償化しろとか差別反対とか喚いても、お前らが「地上の楽園」と騙して、北朝鮮に帰った朝鮮人をどん底の被差別民に突き落とした事実は消えん。

 

そういや、マスコミが揃いも揃って「日本の携帯のガラパゴス化」とか言って電機メーカーをこき下ろして叩きまくってたけど、こういう事実があったんだね。

 

特に大きな問題は、今、総務省の「700/900メガヘルツ帯移動通信システム作業班」で行われている周波数の割り当てである。2011年には地上デジタル放送への移行で700メガヘルツ帯が空く。また、2012年には800メガヘルツ帯再編によって900メガヘルツ帯が空く。これらの2つの周波数帯を移動無線通信に使おうという作業を行っているのだが、世界各国とまったく異なる周波数割り当てが行われようとしているのだ。

 中でも重要なのは770メガ~806メガヘルツである。この帯域は、欧州やアジアでは次世代携帯電話に使われる予定である。日本でもここを使えるようになれば、国際標準の端末を国内で使うことができ、日本メーカーも国内用の端末をそのまま海外に輸出できるようになる。

ところが日本では、放送局が既得権を主張し、この帯域を開放しようとしない。現在、「FPU」と呼ばれるテレビ中継用の局間伝送に割り当てられているが、使われるのはマラソン中継などの臨時中継だけで、月にせいぜい数十時間しか使われていない。今では、ほとんどの中継は通信衛星で行われるからだ。

 

日本ビジネスプレスhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3184?page=3

 

 

 

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そりゃ、根深い民族的劣等感だろwww

 

日本の左翼人権屋、朝日新聞、民主党その他の左派政党が一団となって、定期的に「日本政府は韓国に謝罪せよ」と叫んで、塞ぎかかった韓国人の心の傷とやらをこじ開けて、荒塩を擦り込む。

 

終戦何十周年やら、日韓併合何十周年やら、日韓条約締結何十周年やら、韓国独立何十周年やら、なんでもかんでも記念日を作り、謝罪だ賠償だと騒ぎたて、韓国人を過去の悲惨な歴史を忘れたくても忘れられない状態にしておく。

 

おめぇたちゃ、植民地支配されてたんだよ。

 

おめぇたちゃ、慰安婦輸出しなきゃならんほど貧乏だったんだよ。(今でもだが)

 

おめぇたちゃ、文化も何もねぇんだよ。

 

おめぇたちゃ、要するに劣等民族なんだよ。

 

と、繰り返し、繰り返し、洗脳し劣等感を植え付ける。

 

すると韓国人は、日本より優位に立つことしか目標がなくなり、実質的な発展ができなくなる。

 

 

結果、韓国人はいつまでも劣等民族のままとなり、日本の左翼人権屋や朝日新聞、民主党など左派政党の食い物にされ続ける。

 

 

とりあえず、商売上手と褒めておこう。

 

 

 

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文化財の保管すらできないバカに、文化財を返すバカ

今回のバ菅談話に絡んで、引き渡される「朝鮮王室儀軌」だが、日本に保管されている物は「写本」と言われている。

現在、なぜか削除されているが、2008年9月までWikipediaに以下のような記述があった。

 

 

朝鮮王室儀軌 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝鮮王室儀軌(ちょうせんおうしつぎき)は李氏朝鮮時代の国家主要行事を文章や絵画で記録した文章類の総称である。
2007年にUNESCOの世界の記憶に指定された。

また、この日本側の写本は五台山史庫の原本を元に作られた物で1922年に朝鮮総督府を経由して皇室(現宮内庁)に寄贈されたものである。
もともと李氏朝鮮王朝は記録を紛失しないように3ヶ所の書庫に原本とその写本2部、合計3部を保存していたとされる。
この写本が日本に現存する物であるとされるが韓国には原本が既に存在していない
また明成皇后国葬都監など、日本による併合後に編纂されたと考えられる儀軌も含まれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%E5%AE%A4%E5%84%80%E8%BB%8C

 

 

 

実は、韓国で「朝鮮王室儀軌」の返還運動が持ち上がったのが2008年9月だ。

 

面白い現象もあるものですなぁww

 

要するに、原本なくしちゃったから、写本を寄こせという恥ずかしい話でして。

 

 

ところで、韓国って国は文化財はおろか憲法の原本の管理すらロクに出来ないアホ国家でして・・・

 

 

韓国国家記録院が憲法の原本紛失、監査院調査で判明 (読売新聞 2005/10/28)
韓国の公文書を保管する国家記録院が、1948年制定の韓国憲法の原本を紛失していたことが27日、明らかになった
監査院が初めて実施した調査によると、国家記録院はまた、52―62年の改正憲法の原本も重要書類としてではなく、一般書類として保管していた。
その一方、記録院が大統領関連の重要資料として保存していた文書の73・9%が資料としての価値がない一般文書だったという。
行政自治省も48年から62年にかけて使われた韓国建国後最初の国印を紛失していたほか、条約の関連文書など重要文書約15万枚を一般文書として大学に預けていた。

 

 

たった60年前の文書や、50年前まで使っていた国印すら紛失する国というのもまた、非常に珍しく。

 

日本の大倉財団に返せ返せと喚いている石川五層石塔も、韓国に存在する対の塔はこのような有様で。

 

       

 

 

一方、管理の行き届いたホテルオークラにある塔は、大変良好なコンディションで。

         

   ※なんか、これ返したら状態のいいのが元々韓国にあったやつで、

     ボロボロのは、日帝が破壊したやつだとか言い出しそうだなww 

 

 

 

保管能力のないバカに文化財を引き渡すバカ政府には、呆れてものも言えないが、せめて引き渡す前にしっかり「写本」を作っておけ

 

 

バカは50年後ぐらいに紛失して、

また寄こせと言ってくる。

 

 

 

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無償の愛を求めて共闘する醜女の物語

J<`∀´>し  あたし、ニダ子でーす♪

        100年前の元カレに謝罪と賠償を請求にイルボンまでやって来ましたのニダ。

 

MAAZ: なんだお前?何しに来たのよ?

 

J<`∀´>し  だ~か~ら~。100年前に付き合ってたニダ子よぉ~ニダ~。

 

MAAZ: おお、あの100年前のブスか。用はねぇから、とっととけえんな!

 

J<`∀´>し  ひっどーい。あたしって、そんな程度の存在だったのぉ。

 

MAAZ: 決まってんだろ。誰が好き好んでブスと一緒になるかよ。

 

J<`∀´>し  それって、あたしがタダの金ズルだったってことぉ?

 

MAAZ: バカ!金もねぇ貧乏ブスが寝ぼけた事言うんじゃねえよ。

       貢がされてたのは俺の方だろ、このオカチメンコがぁ!

 

J<`∀´>し  あたしのために、そんなにお金使ってくれたっけ?

 

MAAZ: トボけんな、この健忘症が!

       クソまみれの生活してたブサイクなお前に、人間並みの生活させてやったろうが!

         奴婢の身分から解放してやったろうが。読み書きできないバカにも学校作っただろうが!

          南大門前の通りの豚小屋を全部、近代的なビルに建て替えてやったろ!ドアホ!

 

 (@∀@)  イルボン・フェミニストのBUU子で~す。

 

MAAZ: なんだ、おめぇは?

 

(@∀@)  ニダ子ちゃん!騙されちゃだめよ!彼が貴女に貢いだのは、貴女のためじゃなくて彼自身のためよ!

 

J<`∀´>し  えええええ!そうだったのー!ひっどーい!

 

MAAZ: あったりめぇだろう。誰が好き好んでおめぇみてぇな醜女に貢ぐかよ。

       あの頃ぁ、露助がウロウロしてやがって、豚小屋だらけのおめぇん処に乗り込んできそうな勢いだったからな。

         危なっかしくて、しょうがねぇや。

 

J<`∀´>し  えええええ!じゃあ、あたしは何だったのぉ?

 

MAAZ: 金もねぇ醜女が、役に立つとしたら防波堤ぐらいしかないだろ。

 

(@∀@)  ほら!ニダ子ちゃん!酷いでしょ!男はみんなこうなのよ!

        謝罪と賠償を請求しましょ!

 

MAAZ: だから何で、嫌々貢いでたオカチメンコに謝罪だの賠償だのしなきゃならんのよ。

 

J<`∀´>し  ひっどーい。傷ついた!謝罪と賠償!謝罪と賠償!

 

MAAZ: 傷つくな!このオカチメンコが!!!

       おめぇがベネズエラみたいな美人の宝庫だったら、貢いだ上に謝罪でも賠償でもいくらでもしてやるわい。

        それで国が傾いたとしても男子の本懐ってヤツよ。けっ!

 

(@∀@)  女性を外見で判断するのは女性差別です!

 

MAAZ: ふざけんじゃねぇよ、このブスの集まりのフェミニストが!なんでブスを美人と同等に扱わなきゃならんのよ。

       てか何でお前らブスどもは、無償の愛を求めるんだよ。気色がわりぃな。

 

(@∀@)  女性差別反対!!!

J<`∀´>し  ニダーしゃべつ反対!!!

 

MAAZ: おいおい、ブスのフェミニストちょっと待て。俺は女性差別なんかしてねぇ。ブスを差別してんだよ。

 

(@∀@)  女性を外見で判断するのは人身売買と同じです!ミスコン反対!

         天皇制が生み出した奴隷制度です!!

J<`∀´>し  謝罪と賠償ニダー!!!

 

MAAZ: 冗談じゃねぇよ。どこの世界に打算のない恋愛するバカがいるんだよ。

        顔が可愛いとか、オッパイがデカイとか、金があるとか、俺を養ってくれるとか、

          なんかメリットがなきゃ女なんかと付き合うか!!このヴォケェ!

 

(@∀@)  女性を見下してるから、そういう発想になるんです!!女性差別反対!!!

J<`∀´>し  ニダーしゃべつ反対!!!

 

MAAZ: ふざけんじゃねぇよ。

        女だって、イケメンとか、背が高いとか、金があるとか、そういう打算で恋愛してるだろーが!あああ?!

 

(@∀@)  女性は、人間の内面を重視してます!!

J<`∀´>し  謝罪と賠償ニダー!!!

 

MAAZ: けっ!笑わせんな、こら!内面重視だぁ?

        「やさしい人が好きでぇす」とか、図々しい要求してんじゃねえかよ。

 

(@∀@)  どこが図々しいんですか!純粋な愛を求めてるじゃありませんか!

J<`∀´>し  謝罪と賠償ニダー!!!

 

MAAZ: 優しくしろとか、100年安心の年金みたいなモン求めてんじゃねぇ―よ。

       そうかと思うと「面白い人が一番でーす!」とか、バカも休み休み言え。

 

(@∀@)  どこがバカなんですか!

J<`∀´>し  謝罪と賠償ニダー!!!

 

MAAZ: 年がら年中、あたしを楽しませてくれなきゃイヤ!とかフザケンナ!

        こっちゃぁ吉本新喜劇じゃねぇんだ。バカ!おととい来やがれ!

 

 

(@∀@)  最近、フェミニストの主張には誰も耳を貸してくれなくなったわ。

J<`∀´>し  最近、イルボンは全然ウリ達の要求に耳を貸さないニダよ。

 

           \  __  /
           _ (m) _ ピコーン!
              |ミ|
           /  .`´  \

(@∀@)  でも、民主党なら・・・・首相もバ菅だし

J<`∀´>し  民主党なら・・・・・首相もバ韓だし

 

 

J<`∀´>し/ ヤッタネ!\ (@∀@)  

 

 

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」(11)

前回】のつづき>>>>

 

 

 

翌朝、美和子は与一のエスコートで、祐介たちのいるオフィスへ向かった。

本来なら、通勤時間帯のはずなのに人は疎らで、道は閑散としている。

「与一君、あなたたちは自由に外を出歩いているようだけど、危険じゃないの?」

「ああ、僕たちは浮浪児やってたから、危ない所と危なくない所もよく知ってるし。それに、あの特権階級の連中は、男は狙わないんだ」

美和子は、昨日、君江に聞いた女性救済センターの話を思い出した。

 

センターには、臨月で入所する女性も多かったようだが、出産が終わっても誰ひとりとして出所しなかったという。その噂が広まると、今度は入所する女性がいなくなった。やがて、センターには妊娠もしていないと思われる若い女性が、どこからか連れてこられるようになった。同じころ、特権階級による横暴が街で頻発し始めた。君江は、自分のように家を乗っ取られて行く当てのない若い女性だけじゃ足りずに、路上で若い女性を拉致しているのではないかと疑っていた。

朝から嫌な気分になったが、与一と二人、黙ってオフィスまで歩き続けた。

 

オフィスに入ると、朝8時だというのに祐介たちの仕事は、すでに佳境に入っているようだった。

誰もが真剣に作業を続けていて、美和子の入室を気遣う者はいない。

入口近くで、昨日会った岡野という青年が黙々と作業している。美和子と目が合うと、軽く会釈した。

奥の方に祐介が見えた。

「おはようございます。」

「ああ、おはよう。早いね。」

「先輩達こそ」

「いつもの事さ。それより、部屋でゆっくり休んでいればよかったのに」

「そんな悠長なことしていられないわよ」美和子は、つかつかと歩み寄った。「昨日、寺坂さんから詳しく話を聞いて、もうビックリよ。世の中が、ここまで異常をきたしているなんて。何もかもが信じられないわ」

祐介は、茶色がかった瞳で美和子をじっと見た。

「先輩?私には、不平を言う資格はないって言いたそうね」

「そんなことないさ。まあ、ここまで異常だと気付かなかった僕らにも抜かりがあったわけだし。」

祐介は、マシンからカセットのようなものを取り出し入れ替えた。

「先輩、それは?」

「磁気テープだよ。大量のデータをバックアップする必要があるんでね。関東中から集めた」

「関東中?」

「まあ、立ってないで座って」

祐介は、美和子をソファに促すと、昨日と同じ動作でコーヒーを淹れテーブルに置いた。

 

「ねえ、先輩。あのお部屋はとても有難いんだけど、どうして川村さんをあんな小さなアパートに?あのビルの上の階、空いてるじゃない」

「川村さんの希望なんだよ。君の家の人たちが失踪してから、川村さんはずっと君が帰ってくるのを待っていたんだ。でも、君が戻る前に、川村さんが住んでいた家を出なくちゃならなくなったから、できるだけ君の家の近所で目立たないように暮らしたいって言って」

「そう。だったら、もう私は戻ったんだし、川村さんにも移ってもらったら?」

「一応、聞いてみるけど、仕事もあるからね」

「仕事?そういえば、ビル清掃だって言ってたわね。あのアパートの近くなの?」

「ああ、君も見たと思うけど・・」

「まさか、女性救済センター?」

祐介が目で頷くと、美和子の表情が険しく曇った。

「あんなところで何させてるの?危ない事じゃないでしょうね」

「心配いらない。ただの清掃だから」

「ただの清掃なわけないわね。でも、まあいいわ。川村さん本人に聞くから。ところで、与一君達には何をさせてるわけ?」

「相変わらず何でも知りたがるんだね、君は。彼らは有能だから、ありとあらゆることをやってもらってるよ。君の護衛もその一つ。あとは連絡係や、情報収集や、物を運んだりしてもらってる」

「運搬?」

美和子は、クスリと笑いながら興味深そうに聞いた。

「笑い事じゃなく、物凄く重要なんだよ。100%なんていう狂った消費税を払わないためには、物々交換が一番だろ。そのための情報交換やモノの移動をやってもらってる。それ以外にも、僕らの仕事に必要な物を運んでもらったりね」

「先輩たちの仕事の全体像が、全く掴めないわ」

「詳細は言えないけど、日本中のデータを集めて大切に保管する仕事が一つ。まあ、日本中と言っても僕らは関東エリアの担当なんだけど。あとは、世の中を元に戻すための準備」

世の中を元に戻すという話は昨日も聞いたが、美和子には、さっぱり内容が掴めなかった。

詳しい事は言えないと言うから、これ以上追及しても無駄だろう。

 

「ところで、アメリカでジャーナリズムを専攻してきた君を見込んで、頼みたい事があるんだが」

祐介は、身を乗り出した。

「何よ?突然」

「君の古巣のNBSテレビに戻ってみないかい?」

「NBSですって?あそこの男社会の古い体質が嫌で辞めたのよ。なんで今さら」

「まあ、ずっととは言わないよ。僕たちの仕事が完了するまででいいんだ」

「完了するって、どのくらい?」

祐介は、天井を見上げた。

「そうだな、あと3週間ぐらいかな。敵の動き次第だけど」

本当にそんなに短い期間で、祐介たちの仕事、つまり世の中を元に戻す作業は終わるのだろうか。

美和子は、疑わしい表情で祐介を見た。

祐介は、美和子の目を見て黙ってうなずいている。

「先輩が、それほどまで言うなら。でも、戻れるのかしら?」

「その点は、調べてあるから大丈夫。地デジに移行したり、人が大量に退職したりで、混乱して人手不足で困っている。君がアメリカから戻ったと言えばすぐに戻れるはずだよ。それに、君と大学で同じゼミだったっていう越善さんはまだいるから、彼女に連絡を取ればいい」

「ああ、下野教授のゼミの・・」

「そう、フェミニストで有名な下野先生の愛弟子だった君なら、局も大喜びで受け入れるさ。まあ、人が大幅に入れ替わっていて、行ったら驚くとは思うけど」

「先輩は、そういう所を利用するわけね。」

「非常事態なんだ。何だって利用するよ」

「分ったわ、それで私は何をすればいいの?」

 

 

「普通に仕事をしていればいい。でも、局の人間にKカードのID取得を奨められると思うけど、絶対に乗らないようにね。但し、強く拒絶しないで、そのうちやるとか言ってやんわり断るんだ」

 

 

 

>>>>> つづく 

 

 

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眩暈がするほど軽すぎる朝鮮半島人の民族主義

己の出自を隠そうとする、世界でも珍しい民族がいる。

 

日本にいる朝鮮人らは、日帝の過酷な植民地支配による差別で、朝鮮人であることを隠さなくては生きていけなかったなどと、意味不明な供述をしており・・・

それを真に受けるアホな日本人もいるみたいだが、チャンチャラ可笑しくて鼻で笑わせてもらうしかない。

 

ロンドンや東南アジアに住んでいた時も、今いる豪州でもそうだが、朝鮮人はなぜか自分がKoreanであることを隠そうとする。

名前を出さなくていい場面では日本人のフリをし、名前を出さなくてはならないと中国人のフリをする。

中国人のフリをする感覚は日本人には理解しがたいが、今や軍事的にも経済的にも圧倒的な大国になった中国の方が、韓国より権威があるということらしい。

売春婦などが警察に捕まった時に、国籍で扱いが違うと思い込んでいるらしいが、半島ではそういう差別が当たり前にあるからだろう。

 

日帝に名前を奪われたと言うが、朝鮮名に戻ったところで中国式の名前なわけで、朝鮮人の主張は相手にするのもバカバカしい。で、中国式の名前であることを利用して、大国である中国人のフリをする。

 

確かに、国力がその国民にもたらす恩恵というもの絶大である。世界中どこへ行っても日本のパスポートの威力は半端ない。

だがしかし、どんな小国でも自分の国籍を偽るような人間は、犯罪者でもない限りまずいない。

どこの国の人間も、自国や民族に誇りを持って生きている。朝鮮民族の誇りは、日本に謝罪と賠償を請求する時にしか発揮されないところが哀しい。

 

ここ豪州では南朝鮮(South Korea 韓国)のイメージは、完全に売春国家だ。

売春婦が数千人単位で輸出されてくるのだから当然だが、その売春婦すら日本人のフリをする。でもすぐにバレる。

 

面白いのは、南朝鮮(韓国)は北朝鮮より貧しいというイメージを持たれるケースまであることだ。

 

テレビなどで聞く韓国のニュースは売春婦の摘発だの不法入国だのばかりだが、北朝鮮のニュースは核開発やミサイル開発だ。

売春婦を輸出するのは貧しい発展途上国というのが世界の常識なわけだから、韓国が貧しいと思われるのも道理だ。

一方、核開発やミサイル開発のニュースが流れる北朝鮮から、売春婦の輸出実績はない。

キム・ジョンイルがニュースに登場することはあっても、イ・ミョンバクが韓国大統領だと知っている人間はほとんどいない。

これらが国家体制による現象であっても、そんな細かい事まで豪州人には分らないし興味もない。ニュースで見たまま受け止めるだけだ。

 

このようにして、南朝鮮(韓国)のイメージは自らの行為により低下し、益々出自を明らかにし難くなるわけだ。

 

これは、韓国企業でも同じだ。豪州でも、三星やLGを韓国企業と知っている人間は知っているが、基本的に豪州人は韓国なんて国には(買春以外)興味がないのでどうでもいい。一方の韓国企業自体も、過去に日本企業のフリをしたり、日本的イメージのマーケティングをしてきたせいで、三星やLGを日本企業と思っている豪州人も結構いるが、それを訂正しようとはしない。少なくとも韓国企業が消費者向けに韓国企業であることをアピールする事はない。

 

民族の誇りがあれば、企業のブランドイメージで売春国家の汚名をそそごうと考えるのだろうが、わざわざ韓国の名前をだして企業イメージが低下し売り上げが落ちる方が怖いらしい。

 

慰安婦団体の来豪も怖い。

ただでさえ売春国家のイメージが定着している所へ、何十年も前の売春婦が団体で乗り込んで売春イメージを増幅させにやってくる。慰安婦団体が来ても、日本企業には痛くもかゆくもないが、韓国企業には針の筵だ。

 

韓国の場合、財閥系の大企業でも、小さな商店でも、海外では日本企業の開拓した販売網に乗っかって商売するのが常だ。自動車メーカーも、日本企業が開拓したり設立したカーディーラーにおんぶにだっこで進出する。

おかげでKIAってMazdaの子会社?みたいな認識の現地人まで出てくる始末。

 

また、日本食レストランが数軒ある通りに、次々と韓国経営の商店やレストランを出店する。最初は、Koreanという看板は出さない。日本食レストランのブランド・イメージに乗っかるためだ。ある程度、繁盛してきたところでようやくKoreanの看板を出す。そうなると、今度はKorean街に変身してしまい元からあった日本食レストランの価値が低下する。そうして、日本食レストランはもっとイメージのいい街に移っていく。

 

この現象は、住宅地でも起こる。

移民してきたばかりのKoreansは、凝り固まって暮らしている。大概、中国人が沢山住んでるエリアの近くにまとまって住む。

そして、ある程度経済的にゆとりができると引っ越していく訳だが、引っ越し先は日本人が多い地域だ。

やがてKoreansが増えて、住みにくくなると日本人はもっと住みやすい場所を求めて出ていく。

 

日本のメディアは、この現象を「日本の衰退と韓国の興隆」のように報道する事が多いが、アレは大ウソだ。

単純に、日本人が住みにくくなって移動しているだけだ。特に、最近の日本人は英語に不自由する人間の方が珍しいぐらいだし、あまり凝り固まって住む事を好まない。むしろ、外国人のほとんどいない地域に点在して住んだりしている。

 

豪州の公的機関の文書は数ヶ国語で提供されているが日本語版はない。

電話での日本語通訳サービスはあるが、文書はほとんどない。日本人の場合、しゃべれなくとも読めるのが普通だからだ。こういう公的機関の文書を見て、これまた「日本の存在感が薄れた」と寝ぼけた事を報道するバカメディアもあるが、無視してよろしい。

 

確かに、日本企業は以前のような勢いを失ったが、韓国からやってくる人間の大半は「出稼ぎ」だ。

経済的に興隆している国の国民が、大量に出稼ぎにやってくる訳がない。況してや、売春婦の輸出など・・・

 

 

朝鮮半島の歴史は、属国化や植民地化や冊封により自己喪失の連続だったが、現代の半島民族は自らの行為により自己喪失している。

 

 

 

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」(10)

前回】のつづき>>>>

 

 

 

ドアを開けて部屋に入ると、ひんやりとした澄んだ空気の匂いがした。

オフィスを急ごしらえで改造した部屋のようだが、小さなキッチンとシャワールームも付いている。

部屋の中央には広めのベッドがあり、リネンがきれいに畳まれて置いてあった。

 

小さなキッチンの冷蔵庫には、水と保存の効く食料が入っていて、食器も一揃い用意されていた。

当座の生活には、充分な住まいだ。

 

美和子は、荷物を部屋の隅に置くと、ブラインドを開けた。

薄暗かった部屋に明かりが射すと、部屋が広々と感じられる。

 

ようやく落ち着いた気分になった美和子は、キッチンにある真新しいコーヒーメーカーにコーヒーをセットした。

窓辺のデスクに腰かけ外を眺めると、遠くの丘に西陽があたり、建物や岩肌を薄紅色に染めている。

空の色も夕暮れの風景も昔と変わらないのに、日本という国は今、異常を来している。

世間の様相が変わっても、自然の営みに変化がないことが、却って世の無常を感じさせる。

部屋に充満するコーヒーの香りが、疲れた美和子の神経を覚醒させた。

 

日本に戻って、まだ二日目だと言うのに、次々と起こる予期せぬ事態が、すでに数週間も過ぎたかのような錯覚を起させた。

行方不明になっている父母と妹の涼子を思い出すと、胸の奥が重く沈んでいくようだ。 

涼子が、大学の韓国語サークルに誘われて韓国へ出かけて行ったという話は、少し軽率なように感じた。

日本とアメリカでは、韓国人に対するイメージが大きく違うのだろうか。

アメリカでは、売春や麻薬で問題を起こしたり、 学内でも他のコミュニティに交わらず同胞同士で凝り固まっている韓国人留学生とは、誰もが自然に距離を置いていた。犯罪やレイプが多い韓国への旅行は、ほとんど見向きもされていなかった。美和子が、日本を発つ前に日本で韓国に興味を持つ人が多くいたような記憶もない。そういえば、中高年の間で韓国ドラマが話題になっていたような記憶がある。が、その程度だ。

 

コーヒーカップを探そうとして立ち上がると、ドアを叩く音がした。

 

「松永さん?与一の母の寺坂君江です」美和子が、ドアに駆け寄ると向こう側から声がした。 

 

美和子は、ドアスコープを確認するとそっとドアを開けた。

「こんにちは。与一から電話があったものですから」

寺坂君江は、四〇歳ぐらいの明るく気さくな雰囲気の女性だった。

「はじめまして、松永美和子です」

「何か、困った事はありません?足りないものとかあったら言ってちょうだいね」

「今のところ大丈夫です」

美和子は、微笑みながら答えた。

「あ、ちょうどコーヒーが入ったところですので、召し上がって行きません?私、帰国したばかりで、訳がわからなくて教えて頂きたことが・・」

「ああ、そうでしょうね。ご家族の件も聞いています。分る事なら、何でも答えるわ」

 

美和子は、君江を招き入れると小さなダイニングテーブルの2つある椅子の一つを勧めた。

コーヒーを入れたカップを二客、テーブルに置くと、君江に向かい合って腰かけた。

「寺坂さんは、川村さんのお知り合いなんですって?」

「ええ、そうなんです。コーヒー、いただきます」

君江は、コーヒーの香りを吸いこんでから口に含んだ。

「川村先生に、お花を習っていたことがあって」

「ああ、川村さんのお弟子さんだったの」

「先生のところには、何度か与一を連れて行ったことがあるから、先生が息子の顔を覚えていてくれて。街で物乞いをしていた息子を助けてくれたのよ」

「与一君は、児童福祉センターにいたそうですね」

「そうなのよ。でも、福祉センターとは名ばかり。ロクな食べ物もなくて、不衛生で、ほとんど収容所だったって与一や他の子供たちも言っているわ」

「他の子供たち?」

「与一と一緒にセンターを抜け出した子供たち。十人ぐらいいるんだけど、みんなで、協力して浮浪児をやってたみたい。浮浪児の方がましなんて、よっぽど酷い生活していたんでしょうね。今、一階と二階に住んでいるのよ」

「そんなに?全員がこのビルに?」

「与一が、川村先生に拾われてね、先生が昔からお世話になってた議員の先生に相談して、私を女性救済センターから引き取ってくれたのよ。そのついでに、子供たちもこのビルに住むことになって。」

「でも、そんなに大勢の子供たちを引き取ったりして、余程、財力があるのね」

「子供たちは、矢頭さんの仕事を手伝ってるのよ。みんな、自立した子ばかりだから、生活の場と食料なんかを提供するだけでしっかり仕事してくれるから、却って助かってるって、矢頭さん達も言っているわ」

「先輩は、子供達まで使ってるの?」

美和子は、声のトーンを高くして言った。

「みんな、何かをやりたがってるのよ。今の世の中じゃ自分たちの将来も何もないでしょう。それに学校は完全に崩壊してるから」

 

「そう言えば、女性救済センターにいらしたそうですけど、どんな所なんですか?川村さんが・・」

「女性の地獄って言ってたでしょ」君江は、笑った。

「あそこも、児童福祉センターと大して変わらないわ。ううん。もっと酷いかも。私のいた所は、おばさん専用のハピネス棟だったから、ただの収容所って感じでまだましだったんだけど。若い女の子たちがいるドリーム棟は、本当に地獄らしいのよ」

「らしい?」

「ええ、私たちも直接見たわけではないから。でもね、私があそこにいた何ヶ月かの間に、ドリーム棟で二回も飛び降り自殺があったし、あそこで働いてる職員がドリーム棟のことをブロイラーなんて言ってる事があったから、なんとなくあそこで何が起きているのか、ハピネス棟の人たちも薄々感づいていて」

「ブロイラー?」

「ええ。IDカードの事は、知ってるわよね。納税者番号が書かれている・・」

「ああ、はい。川村さんから聞きました」

君江は、バッグから自分のIDカードを出してテーブルに置いた。

「この番号Wで始まってるでしょ。これ『倭人』って意味なの。感じ悪いでしょう。日本人のNとかJapaneseのJなら分るけど。で、この日本人IDカードを民主党政権の連中はWカードって呼んでるの。Wカード保持者は消費税が100%なだけじゃなく所得税や相続税にも違いがあるの。」

君江は、険しい表情をした。

「うちの旦那が亡くなった後、旦那が残してくれた小さな家を相続したんだけど、Wカード保持者は相続税の控除がゼロだから、突然、何百万もの相続税を請求されて。旦那は、癌でずっと入院してたから医療費も掛ったし、私の収入だけじゃ生活するのがやっとで貯金なんて全然なかったのよね。それで、あんな小さな家なのに差し押さえられて、住んでいられなくなったの。あとは、与一から聞いたと思うけど、私たちそれぞれ収容所みたいな所へ入れられて・・。腹立たしいんだけど、今あの家には見ず知らずの韓国人が住んでいるのよ。民主党は、差し押さえた住居なんかを外国人にタダで提供してるのよね。もうメチャクチャ」

「そういえば、私の家を乗っ取ってるのも韓国人みたいだったわ」

「ともかく民主党政権は、日本人から搾取して外国人を優遇するのが基本政策だから。それでね、Wカード保持者の子供は、代々ずっとWカードになるのよ。そういうことが分ってると、若い人も結婚したり子供を作ったりしなくなるわよね。それで困った民主党は、Wカードの子供たちを産ませる施設を作ったみたいなの。それが、あの女性救済センターの実態なのよ。表向き生活に困窮した女性やシングルマザーの出産を援助するセンターってことになってるけどね」

 

シングルマザーの助産センターの話は、アメリカの新聞でも取り上げられていたが、国連人権委員会から絶賛されているという内容だった。美和子は、民主党政権が海外に発信するメッセージと実態の乖離に、旧共産圏の裏と表を見るような気がした。

 

「センターの同じ部屋にいた人から聞いたんだけど、カンボジアがポルポト政権だったころ、国が結婚相手を勝手に決めて、強制的に男女を結婚させて産めよ増やせよっていう政策をやってたらしいんだけど、それと同じやり方らしいのよね。で、そういう年齢を過ぎた私たち中年のおばさんは、貧困女性の救済センターっていうカモフラージュに使われているってわけ」

 

アメリカでも人権や女性の地位向上のために働いている人たちは沢山いた。でも、旧共産圏のような社会主義的な方向性には、誰もが否定的だった。

 

 

――― 気が狂っている。民主党は、気が狂っている。

 

 

 

 

>>>> つづく

 

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第二のWai Wai事件

週末と言うのに、仕事に追われブログ更新をサボッておりましたが、それで気づいたことが一つ。

 

毎日変態新聞が、英文サイトWai Waiでロクでもない記事を発信していた事件は記憶に新しいと思いますが、実は「第二のWai Wai事件」呼ばれる事件があったのをご存知ですか。

 

「地球人ネットワークを創るアルク」というサイトの「英辞郎 on the WEB」というウェブ辞書で検索される例文が、「反日すぎる」「変態すぎる」と利用者の間で問題になっておりました。

 

その例文のひどさを、↓こちらのサイトから引用いたしますと、

http://mendokusai.tumblr.com/post/85144627/japanese-troops

 

「日本軍」で検索した結果:

 

# 日本軍
Japanese troops

# 日本軍がこの貴重な化石を持ち去ったと非難する人もいます。
Some have accused the Japanese military of removing the prized fossil. 全文表示

# 日本軍が中国各地で一般人を虐殺する
Japanese soldiers slaughtered ordinary Chinese people at various Locations in China.〔【出典】『日本経済の秘密』(岸本建夫著)/株式会社ヤック企画◆URLhttp://www.hiraganatimes.com/index-j.html〕 全文表示

# 日本軍によるアジアの人々に対する卑劣な行為、そして被爆者の悲惨な体験を出演者はたどたどしい日本語ながらせつせつと朗読した。
In their faltering Japanese and with great emotion, the performers recited their lines about the tragic experiences of the bomb victims and the contemptible actions of the Japanese soldiers toward the people of Asia.〔【出典】『国際交流の秘訣』(長谷川勝行著)/株式会社ヤック企画◆URLhttp://www.hiraganatimes.com/index-j.html〕 全文表示

 

とまあ、このような調子なわけです。

 

「変態」系の例文については、アルク「英辞朗 on the web」の例文が反日すぎるをお読み頂くと分ります。

 

「回数」で検索した結果:


「それに男って、付き合う回数を重ねると、セックスで手を抜くようになるじゃない。」
「最後に彼女にこう言われたんだ。 『あなたは、イクのが早すぎるから友達に紹介できないわ』って。 そう言われてショックだったし、悩んだよ。 でも、男友達に『回数を重ねれば大丈夫だよ、心配するな』と言われた。 その時は半信半疑だったけれど、今は本当だったんだなと思うよ」

 

その他、このサイトには「永住資格を取得するための偽装結婚」を推奨するような例文や、「不法滞在は犯罪じゃない」という内容の例文なども多数あり、どんな辞書だよという状況でした。

 

実は、この反日・変態・外国人犯罪奨励の例文を提供していたのは、外国人向け雑誌「ひらがなタイムズ」を発行するヤック企画。ヤック企画は、かなり昔から↓こんな本を出版するようはエゲツない会社です。

 

ナンパ天国ニッポン―日本の女は簡単だ (ひらタイブックス)
「外国人にしつこくナンパされた」という日本人女性の訴えに対し、外国人男性からは「日本の女は簡単」という意見が多く聞かれる。日本に滞在する9人の外国人男性を取材し、その女性遍歴を明かす。英文併記。〈ソフトカバー〉

 

 

しかし、アルク「英辞朗 on the web」の例文が反日すぎるのスレッドに参加した人達や、ブログ「アルクのオンライン辞典「英辞郎」が変だ」の方などが、アルクに猛抗議をした結果、昨年11月にヤック企画の例文は全部排除されました。

 

ところが、ヤック企画の例文がまたぞろ復活しているのを発見しました。

ただし、ソースは2010年3月以降のもので、変態・反日傾向は無くなったようです。

しかしながら、「在日外国人」で検索すると、参政権関係の例文が出てくるなど、油断するとロクでもない例文を提供する素地はまだ残っています。

アルクによると、例文は提供元がライセンスしたものしか使えないため、例文選定はすべてヤック企画だったとのことで、ヤック企画が意図的にやっていたのか、あるいは、この手の企業によく紛れこむ「反日外人」の仕業かどちらかでしょう。

 

イエローキャブが話題になった当時から、「ひらがなタイムズ」にはロクでもない記事が載っていることは知っていましたが、こんなクソ雑誌に金を払うのはバカバカしいので、アルクの辞書は「ひらがなタイムズ」とその読者外人、というより害人の傾向を把握するのに便利だったことは確かです。

 

アルクの辞書は、「『ひらタイ』読んでる外人は変態ナンパ野郎」という宣伝戦を戦うには、もってこいだったものでwwww

 

昨年、日本で知り合った中米人に「ひらタイとか読んでる?」と聞いたところ「その雑誌読んでるとナンパ目的の外人と思われる」と言われた時、私は勝利を確信しました(笑)

 

まあ、それが原因ではないと思いますが、というより、アルクの契約を切られて慌てたのでしょうが、今年の初めぐらいまで「日本女性の体形がどーたら」だの「ブランド志向がなんたら」だの、くだらない記事を掲載していた「ひらがなタイムズ」のサイト自体も、だいぶ毒の抜けたものになっています。

 

この手の外国人向け雑誌や情報サービスは、反日・変態の最前線であることが多いので、今後も監視を怠ってはいけませんww

 

 

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茶の話(11) 韓国茶道には、なぜ流派がないのか?

侘び茶の祖は、利休の先人である村田珠光と武野紹鷗でございますことは、前回ご説明申し上げたとおりでございますが、多くの茶の流派の原点となっておりますのは千利休でございます。

 

利休の死後、利休七哲とよばれる利休の直弟子の武将茶人が茶の湯の普及に大きく貢献致しました。中でも古田織部は、利休が秀吉の不興を買い堺へ帰る時、他の弟子たちが秀吉を恐れ見送るのをためらう中、七哲の一人細川忠興(三斉)とともに淀川の対岸で見送る程、利休を信奉しておりました。織部は、利休の教えを最も厳格に守りとおした茶人の第一人者でございましたが、奇しくも後年、徳川家康の不興を買い利休と同じ運命を辿ることになるのでございます。
美濃焼の織部は、この古田織部が当時斬新な意匠を提案し、美濃の陶器職人に焼かせたのが始まりでございます。

 

織部の後を受けて、茶の湯の第一人者となりましたのは、小堀遠州でございまして、大名茶人らしく生涯に四百回も茶会を催し、その道具の好みは「綺麗さび」と呼ばれる価値の高いものでございました。また、作事奉行を務めた実績もある遠州は、現代にも遠州好みと言われる多くの建造物や庭園を残しております。

 

また、姫宗和と呼ばれた金森宗和の優美な茶道は、公家茶道に大きな功績を果たしたのでございます。
 

日本の茶道は、侘び寂びの世界で地味だというのは単なる思い込みに過ぎませんで、大名茶道や公家茶道など非常に華やかな世界もあるのでございます。

 

大名茶人の功績により、江戸期に入りますと「ひとかどの武将の中にあって茶の湯を知らぬものは恥」とまで言われるようになり、このような江戸初期の茶の湯の流行を「大名茶」と申しました。
この流れが、現代の遠州流や上田宗箇流などの武家茶道として続いております。

 

この他に、薮内、石州、宗編など、利休や宗旦の弟子たちが独自の流派を成しております。
この中で無意識のうちに、皆様に良く知られている流派が宗編流でございます。
宗編流の山田宗編は、宗旦四天王の一人で、吉良上野介の茶道指南役として活躍致しました。あの元禄赤穂事件におきまして、浪士大高源吾に吉良邸茶会の日程を教えた人物でございます。

 

一方、町人などに茶の湯を普及いたしましたのは、利休の直系三千家でございます。
利休の孫である宗旦には、四人の男子がおりました。宗旦は、その内の末子「宗室」に自分の茶を譲りたいと考え、三男「宗左」に不審庵を譲り、同じ敷地内の裏手に庵を建て末子とともに移ります。これが、現代に続く裏千家の「今日庵」でございます。因みに、二男「宗守」が分家として官休庵を建てたのが武者小路千家でございます。

 

三千家の家元は、代々、世に多くの茶人を送り出す他、加賀の前田家などの大名に茶道奉行として仕えるなど、武家茶道への貢献も致しております。

 

このように日本の茶道は、大きく町人茶道、武家茶道、公家茶道に分けることことができ、それぞれの茶道の点前にも特徴はございますが、基本は利休のお点前でございます。ただ、このような流れの違いがございますのは、町人・武家・公家の生活様式の違いに起因する部分が大きくございます。

 

例えば、大名などの場合、常に大勢の家来を連れて歩かねばなりません。それは、茶会に呼ばれた時も同じでございます。大名同士の茶会におきましては、家来などの連客の扱いや、武士が常に携帯する大小などの扱いにも気を配らねばなりません。そのため、茶室のしつらえ等も大名の生活様式にあったものを創造する必要がございました。

 

公家についても、同じようなことが言えましょうが、何分にも公家・宮家の茶道は伝聞でしか存じませぬゆえ、詳細は分かりかねます。ただ、宮家の茶道をご存じの茶人のお点前を拝見致しましたところ、大変ゆったりとした優美なものでございました。

 

このような生活様式の違い以外にも、時代の流れにより新たな点前を創造する必要性と言うのもございます。
実は、どの流派でも代々家元が、時代に合わせたお点前を考案しているのでございます。
現在、立礼式と言われる椅子に腰かけてお点前をする様式は、明治時代にすでに確立しておりました。考案いたしましたのは、裏千家第十一代弦々斉精中宗室(1810-1877)でございます。弦々斉は、松平縫殿頭乗友の子で、十歳の時に裏千家の養子となった人物でございます。幕末から明治の動乱にかけて、伝統を守りつつ、外国人にも受け入れやすいよう新しい時代に適した点前を多く考案いたしております。

このように流派と申しますのは、武道や芸能などにも見られますように、特定の技術を伝承すべく、また時代の変化に対応しつつ伝統を守るためのものなのでございます。

 

 

さて、お待ちかねの韓国茶道(高麗茶道)の流派については如何でございましょう。
 

まず、日本で韓国茶道(高麗茶道)を教えていらっしゃる先生方ですが、偉大なぐーぐる先生にお尋ねしても、申雅子さん、吉田珠子さん、尹道心さんの三名ほどしか回答がございません。通常、一つの流派には複数の師範が存在するものでございます。千年の歴史を持つ高麗茶道の割にはお寒い状況でございますが、ケンチャナヨ精神で気にせず先に進みましょう。

 


まずは、金敬善韓国語学院でお点前を披露する申雅子先生でございます。
http://www.kyongsun.com/kagai01.html

 

ロング茶筅茶道は、この方の発案だったようでございます。

 

こちらは、申雅子先生にお茶を習った方のサイト
http://doracoco.hacca.jp/tado.html

 

ロング茶筅を使う理由は「『日本のお茶と差別化するため』特に機能的な理由ではないそうです」とのことでござ

います。
さらに「高麗茶道は「在日の文化」だと主宰の申雅子先生はおっしゃいます。本国の人からは賛否あるそうですが

・・・」とのことで、高麗茶道は在日の文化と主張されております。

 

 

こちらは、閑珠流茶禮の吉田珠子先生。
http://kanjyubou.com/03.html

 

平成5年より本格的に日本茶道を習い始める。
平成18年鎌倉の国際香道(丹下流)助講師資格取得。
平成20年2月 釜山女子大学伝統茶道科卒業。

 

という肩書の持ち主でいらっしゃいます。

 

「閑珠房について」を読みますと、
http://kanjyubou.com/01.html
 

「約30年ほど前から韓国では伝統文化に関心が高まり茶文化が注目され、それに伴い形式化され、新たに創られたのが韓国茶道の始まりです。日本の茶道とは遥かな違いがあります」

 

と、さりげなく我こそは韓国茶道の起源と主張されております。さらに・・

 

「現在、韓国では雨後の筍のように数多くの茶道会派が生まれ、それぞれが競い合っております。日本にも幾つかの韓国茶道が入ってきておりますが、その目的と真意を見極めることも大切なことだと思います」

 

他の会派は胡散臭いから気をつけなさいと、これまたさりげなくご自身の正当性を主張。

 

 

そして、こちらが尹道心先生の韓国茶道協会京都支部 

http://kankokusadou.com/index.html

 

「わが国の茶文化は三国時代から中国から伝来し新羅、高麗にかけて仏教とともに隆盛をみせておりましたが、朝鮮王朝三大王(太宗)時から衰退していく中、僧やソンビ達によって脈を繋いで参りました」

 

とのことですが、7世紀後半に終わった「三国時代」に中国から伝来したとなりますと、陸羽が記した世界最古の「茶経」以前のことになってしまいますので、これは「後三国時代」でございましょう。このような誤解を誘う表現を使うあたり、吉田先生のおっしゃる通り確かに胡散臭いものを感じます。

 

しかしながら「単位取得者には釜山女子大学から認定書が貰えます」とのことで、吉田珠子先生がお持ちの釜山女子大学「認定書」は、釜山に行かずともこちらで取得できる手軽さが売りのようでございます。

 

因みに、京都新聞によりますと「韓国国内では約30年前から伝統文化復興に関心が高まるなか、茶の研究を重ね、伝統を重んじながら現代に合う行茶法を創作した鄭理事長が同協会を設立、同大学に伝統茶道科も設け普及図っている」とのことで、釜山女子大学に伝統茶道家を設置したのは韓国茶道協会の鄭相九理事だそうで・・・

 

さらに、韓国伝統茶園のサイトを覗きますと、
http://www.boriam.net/kankokusadou/index.html

 

「この度、韓国の禅茶の祖である草衣大禅師の脈を継ぐ第7代目を継承致しました」
と草衣意恂(1786~1866)の7代目を自称されております。

 

残念なことに、2代目から6代目までが誰なのか、草衣に茶の弟子がいたという記録は一切ございません。また、

草衣の茶に関する著書『茶神伝』は、中国の『万宝全書』の中から茶と関連した「茶経採要」の原文を選び纏めたも

のでしかなく、『東茶頌』には国内産の茶を称賛する「詩」が書き記されているのみで、茶を点てる作法について

はほとんど記されておりません。

 

7代目には、是非とも草衣没後の歴史を詳らかにしていただきたいものでございます。


 

このように見てまいりますと、韓国茶道の会派(?)は『我こそは韓国茶道の起源』とさりげなく主張するもののようでございまして、特定の作法について伝承する所謂「流派」とは目的を異にしているようにございます。

 

しかしながら、「日本の茶道は韓国起源!」という主張をしてしまいましたがために、どの先生方も「韓国茶道の創始者」として利休のように歴史に名を刻み、子子孫孫その栄光に浴する機会を逸してしまったのは残念の極みでございましょう。


 

本物の韓国伝統茶の情報については、韓国旅行サイトでどうぞ:

韓国伝統茶 http://www.konest.com/data/gourmet_mise_detail.html?no=740

先祖を供養する韓国伝統茶禮 http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=437

 

 

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韓国茶道(高麗茶道)シリーズ

 

茶の話(1) 茶葉の話

茶の話(2) 「相棒」杉下右京の珍推理

茶の話(3) 韓国茶道では、なぜトイレットペーパーを使うのか?

茶の話(4) 韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(5) 続・韓国茶道では、なぜ保温ポットを使うのか?

茶の話(6) 韓国茶道では、なぜ急須を使うのか?

茶の話(7) 韓国茶道では、なぜトレイを使うのか?  

茶の話(8) 韓国茶道では、なぜ茶杓を使わないのか?

茶の話(11) 韓国茶道には、なぜ流派がないのか?

茶の話(12) 高麗茶道は、なぜ廃れたのか? 

 

 

 

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