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移民好き平和ボケ中高年でもできる社会貢献

前回の豪州移民事情でも紹介したが、外国から見た日本の価値を大幅に損ねてるのが平和ボケ中高年

 

年金貰って社会におんぶにだっこの高齢者、企業にしがみついて企業の若返りを阻む高学歴中高年ヒラ社員。

そういうのが原因で、最近じゃ日本企業買いなんてのも下火になった。

 

新興国じゃ若い連中がカネを手にして購買意欲満々だってぇのに、日本企業の40代50代のオッサンが開発したオッサン臭い製品じゃ売り上げ頭打ち。

そりゃ、ハゲタカだって日本企業に食指を伸ばさんわ。

 

いや、残念ながらホントにそうなんだわ。どれほど性能がいいと言っても、まず見た目で敬遠されちゃ新興国じゃ売れないわけよ。まあ、同じ事はお前らも新卒採用の時やってるけどな。

 

で、笑っちまうのが、こういう連中に限って「日本には移民が必要なの!外国人差別はダメなの!」と喚き立てて、必死で国際人ぶってるところ。

 

いやいや、アンタら社会のお荷物が蔓延ってたんじゃ、まともな外国人は敬遠しますよwwww

 

頭の中は「革新」なのに、開発する製品は「保守的」で売れないって、何の冗談だか。

そんな中高年社員の下で働きたい外国人なんていねぇーしww

 

年金貰いながら、外国人移民が必要なんて言ってる連中は、目先の心配見え見えで論外だしwww

 

だが、安心しろ。お前らにも簡単に日本社会に貢献できる方法がある!

 

 

 

お前らが起業して外国人を雇え!

 

 

 

 

な、簡単だろ。

 

 

年金受給者なら、今すぐできる。

会社にしがみついてる中高年も、退職して退職金貰ってそれで起業しろ。

 

会社も若返りが図れて、若年層の就職難も解決。オッサン臭い製品も若返って売り上げアップ。

 

で、お前らが外国から移民を呼び寄せて雇えば、お前らの大好きな「移民受入れ」も促進できて一石二鳥だろ。

 

 

なんで、こんな簡単な事やらないの?

 

 

例えば、現在月額20万円の年金をもらっている年金受給者。

あるいは、将来月額20万円ぐらいは年金が欲しいと思ってる会社員。

 

まず、会社を立ち上げて月額報酬31万~33万円で外国人を8人雇えば、納付する年金保険料は会社負担分も合わせて26240円x8=209,920円で、お前らの年金が十分カバーできる。

 

あるいは、外国人を共同経営者にして、そいつの報酬を最高等級の117万5千円以上にすれば、そいつの分だけで年金保険料は会社負担分と合わせて99,220円。プラス月収31万~33万円の外国人従業員を4人雇えばカバーできる。

 

外国人を共同経営者にすると、そいつの「投資・経営ビザ」を取得する条件として「日本人を最低2人常勤で雇うこと」が定められているんで、日本人の若年層にも貢献できて、なお良い。

 

更に、近隣住民に迷惑をかけないよう、町内会の行事にはきちんと参加させるように、雇った外国人従業員の教育を徹底して、模範的外国人労働者を育て上げれば地域社会も歓迎する。外国人労働者の有用性も、理解してもらえる。

 

 

そこまですりゃ、「移民受入れ」を叫ぼうが「最近の若者は偏狭なナショナリズムのネトウヨ」と叫ぼうが誰も文句言わねぇよ。

 

 

何もしねぇで、社会や企業にしがみついて、若いモンとっつかまえて「平和ボケ」呼ばわりするのはみっともねぇよ。

 

言っちゃなんだが、団塊以下は戦争体験もねぇんだから、若いモンの「平和ボケ」と変わらんわ。

 

 

むしろ、今の若い連中の方が、中東のドンパチやらロンドンのテロやらで命からがらな経験してるのが結構いるから、彼らのネトウヨぶりは結構実体験に基づいていたりするんだがな。誰でも、いっぺん自爆テロ現場でも見てくりゃ、差別や区別の必要性も理解できるようになる。

 

それでなくても、お前らと違って就職戦線で外国人との競争にさらされてるんだ。お前らが採用された時代は、大企業は一社で千人新卒採用なんて当たり前のようにやってたよな。彼らも、楽な人生送ってきた連中に、あーでもねー、こーでもねー言われたらたまらんわな。

 

 

 

まあ、お前らも国際人らしいから、個人的な外国人の知り合いの20人や30人いるだろ。

 

外国人の共同経営者探すのも、従業員探すのも国際人(笑)なら簡単だよなwww

 

 

 

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日本には移民が必要ったら、必要なの!のバカどもへ

さて、お待たせ。前回に引き続き、豪州移民事情をお届けする。

 

今回は、永住ビザの取得に就いて。

 

ここで早速理解してほしいのが、市民権は権利だが永住は権利じゃなくて許可だってこと。

これは、世界中どこへ行っても一緒。日本でも同じ。

 

永住権を獲得した!と大喜びになるヤツがいるが、永住ビザは発給した国家の胸先三寸でいつでも取り消せる。

 

 

さて、今回は技術独立ビザってのを今回取り上げる。

豪州人や永住者がスポンサーとなる配偶者や家族ビザについては前回説明した通り。

 

技術独立ビザの取得は、まず申請時に45歳未満であることが前提

早い話が年寄りの外国人は不要ってことで。

 

日本の永住ビザは、日本に10年以上問題なく居住すれば、ほとんど誰にでも発給される

この10年間ってのを理由に、条件が厳しいだとか、日本は閉鎖的だとか、5年に短縮しろだとか寝言を垂れるバカが多いんだが、居住要件以外には年齢制限もなければ技能制限も収入制限もない。要するに、摘発されなければ日本で10年間売春して過ごしても、永住ビザを取得できる。ユルユルである。

 

で、豪州に話を戻すが、申請前の居住要件はない。但し、豪州に2年以上留学した経験などがあればポイントが高くなる。

申請前要件としては、豪州政府が発行する人材不足の職種リストに乗っている職業かどうか、申請前24か月のうち12か月以上実際にその職業についているか、豪州への留学経験があるか、移民法指定の英語テストで一定以上のポイントがあるか、配偶者の語学力、申請時の年齢(若いほどポイントが高い)などでポイントを加算していき一定以上のポイントにならないと申請できない。また、豪州の過疎地での留学経験や豪州少数民族の言語が流暢な場合、スポンサーがいる場合などボーナスポイントが加算される。

 

しかし、これは最低要件なので、要件を満たしても豪州政府が「今は外国人要らね」と思ったら発給されない。なんで、長期ビジネスビザで粘りながら、何度も何度も申請にトライしている日本人も結構いる。

 

雇用主指定の永住ビザってのもあるが、これは豪州では調達できない特殊技術者や高度熟練者を海外から調達したい企業がスポンサーとなって永住ビザを申請するもの。職能認定機関による審査をパスする、当該雇用主の元で長期ビジネスビザで当該職種で1年以上就労する、本人の給与が16万5千豪ドル(約1300万円)以上ある、のいずれかの条件をクリアする必要がある。更に厳しい条件をクリアすれば、年齢条件が緩和される。もちろん雇用主の審査もある。

 

で、非常に重要なことなんだが、永住ビザは2年ごとに更新しないと自動的に消滅する

日本の永住資格は、犯罪者として摘発でもされない限り、そのまんまだ。

 

 

<中高年の皆さまへ>

 

45歳以上の外国人に発給される永住ビザもある。

まあ、45歳過ぎて年金受給に不安を覚えて「日本には移民が必要なの!」と喚いている貧乏人には縁のない世界だが、参考までに教えといてやる。

 

 

◆ 45歳から54歳までのコース: 事業家・投資家・大企業管理職向け永住ビザ

 

事業家ビザの場合、年商30万豪ドル以上の100%事業主、上場企業の10%以上の所有権、年商40万豪ドル以上の非上場企業の30%以上の所有権、年商40万豪ドル未満の非上場企業の51%以上の所有権のいずれかをお持ちの方で、事業資産および個人資産を合わせて50万豪ドル以上ありビザ認可後2年以内にオーストラリアに資金移動できる方。

 

投資家ビザの場合、移民省が指定する投資を4年間行うことに合意できる方。ビザ申請許可時に75万豪ドルの指定投資ができる方。申請直前の2会計年度において、純資産(配偶者の分を含む)が少なくとも112万5千豪ドルある方。その他もろもろの条件をクリアしたうえで、投資家暫定ビザを取得し2年以上豪州で投資活動を行うと永住ビザに切り替える申請が可能。

 

大企業管理職ビザの場合、申請直前の4会計年度中、少なくとも2会計年度において、トップ3のポジションにあり、重要な部分あるいは多岐に渡って事業に影響のある戦略、政策立案、展開に責任を持っている。事業資産と個人資産(共に配偶者を含む)が少なくとも50万豪ドルあり、ビザ認可後2年以内にオーストラリアに資金移動できる方。
大企業管理職と言っても経営幹部のことなんで、課長だの部長だのショボいポジションじゃないんで勘違いしないように。

 

 

◆ 55歳以上のコース: 投資退職者ビザ

 

申請者が55歳以上であり、配偶者以外に扶養家族がいないこと。

次のいずれかの資産を保有していること
  A: 都市部に居住希望の場合:75万豪ドル  年金や投資による年収が6万5千豪ドル

  B: 地方部に居住希望の場合:50万豪ドル  年金や投資による年収が5万豪ドル

次の州債購入ができること
  A: 都市部に居住希望の場合:75万豪ドル 
  B: 地方部に居住希望の場合:50万豪ドル

ビザの有効期間は4年間であることを了解すること(4年毎に更新)。その他、健康条件や経歴条件をクリアすること。

 

 

上記、いずれも豪州での就労はできない。あくまでも、優良な投資家、消費者として豪州に貢献させることが目的。

まあ、要するに金持ってねぇ中高年は、観光以外で豪州に来るなと・・・

 

しかし、観光ビザで潜り込んで不法滞在・不法就労しながら野垂れ死にする韓国人なんてのもいるわけだが。

 

日本と違って、不法滞在して野垂れ死ぬのは自己責任なんで、市民団体(笑)が湧いて出て外国人の人権を守れとかワケのわからんデモなんかしません。健康保険も自己申請なんで、日本みたいに他人の保険証を複数で使いまわして、医療を受けるなんてことは不可能。せめて、日本も保険証に顔写真つけるぐらいのことはした方がいい。

 

 

<貧乏移民を好んで受け入れる日本> 

 

投資退職ビザなんかは、日本でも導入するといいと思うがなんでやらないんかね。

富士山麓の水源地を、ワケのわからん怪しいチャンコロに占拠させるぐらいなら、退職した金持ちでも呼び込んで政府指定の投資でもさせた方が安全安心だろうが。日本なんかに来てくれないとかネガティブ思考の阿呆が多いが、海外に住んでみれば日本の良さはよく分る。アピールの仕方がヘタクソ過ぎる。

 

ところで、フランス人はなげ~えバカンスを取るので有名だが、その理由を考えた事ある?

 

フランスってぇ国は、現在、世界一観光客を呼び込んでる観光大国だ。フランス本国以外にも、旧植民地のニューカレドニアやセイシェルの近所のレユニオンなど、魅力的な観光地を自国領として手放していない。もともとは、ただの農業国で工業国のイギリスやドイツに遅れをとっていたんだが、観光事業を主軸に据えたフランス政府は考えた。フランスに外国人を呼び込んで長期滞在させるには・・・・フランス人のバカンスの過ごし方の見本を見せなければならん。んで、国民になげ~え休暇を取らせて「これぞフランスのバカンス」ってぇ見本を見せる作戦に出たわけだ。

 

外国人を呼び込むと言うと、日本じゃ「コレがあります!」「アレがあります!」「アキバへどうぞ!」みたいな単細胞なアピールしかしない。日本で、どう過ごせというメッセージが欠落している。

優良な移民を呼び込みたいなら、更に高度なアピールが必要で、国民が優雅な生活を送っているイメージを発信する必要がある。

 

先進国はどこでもそうだが、都心の家賃はメチャクチャ高い。シドニーでも、まともに住める広さが欲しければ20万~30万円が相場だ。もちろん低所得者もいるんで、狭っ苦しいアパートも多い。だが、そう言う所は海外には極力見せない。

郊外の広~い豪邸を、これが標準ですみたいな顔してアピールする。そうすると、貧乏な外国人は手の届かない世界だと思って、永住資格の申請を諦めるから自然にシャットアウトできる。

 

日本にも田舎に行けば、デカい農家がワンサカあるんだから、ああいうのをもっとアピールすりゃいいのに、都心の狭い住宅ばかり海外に発信している。これじゃ、「オレにも手の届く幸せ!」と思って貧乏な外国人ほど乗り込んでくる

豪州にいる中国人や韓国人は、日本に滞在してる連中と比較すると学歴や職業での質は高い。

不法滞在者や不法ワーホリは別として。

実際、中国人なんかに話を聞くと、日本に行く連中は貧乏人が多いから自分は欧米を目指したと言ってる。普通に考えて、金持ちが貧乏人と同じ行動を取りたくないのは当たり前なんだが。

 

 

<日本の中高年の評価>

 

日本じゃ、平和ボケの中高年がなんとか勝ち組として逃げきろうとして必死に喚いている。

日本は労働不足なの!人口が減ってるの!外国人労働者が必要なの!外国人差別はだめなの!

テメェらは安楽な場所にいて、何の戦略も提供せずに、若い連中に「(オレ達の年金のために)外国人を受け入れろ!差別はするな!」と、戦前よろしく「精神論」を押し付けてる。

こういうのを卑怯者という。

 

海外から見ると、バカじゃねぇかと思うんだが。

外国人から見た日本の魅力を大幅に損ねてるのは、実はコイツら自立心のない中高年だ。

 

以前、海外企業による日本企業の買収案件で、海外からのエグゼクティブを通訳としてアテンドしたことがあるが、10件中7件が破談した。

破談の理由は、日本企業にいる「大卒高齢平社員」の存在だ。

ヤツら海外企業の考えでは、大学まで出たら40代までには企業の経営幹部になるか、独立起業するか、投資家になるのが当たり前で、出世もできないままいつまでも同じ企業にしがみ付いてるのは低学歴者のコース。なんで、大学まで出て他人に雇われているのか。不良資産だから、コイツらの首を斬ってくれなきゃ、オタクの会社は買わない。

 

シンガポールのハゲタカと日本企業のやり取りは面白かった。

 

ハゲ「なんでこんなに高齢社員がいっぱいいるの?」

日本「優秀な社員ですから、会社に残ってるんです」

ハゲ「優秀な社員だったら、なんで企業を売りだす事態に陥ったの?」

日本「・・・・・・・・・・・・・・・」

ハゲ「優秀な社員だったら、オタクの会社で出世できなくても別の会社にヘッドハントされるよ」

日本「・・・・・・・・・・・・・・・」

ハゲ「だいたい、40代50代のオッサンが開発した商品なんか世界で売れないよ!今、モノ買ってくれるのは新興国の若い人!もっと若いエンジニアに取り替えろ!」

日本「優秀なエンジニアですから、会社に残したんです」

ハゲ「じゃ、なんでオタクの会社の商品、海外で売れ行き悪いの!」

日本「日本では、優秀な社員ほど長く同じ企業に残るものですから」

ハゲ「あり得ない!シンガポールじゃ、大学まで出たら、さっさと独立して若い人に道を譲るのがアタリマエ!起業して若い人に職を提供するのが一番エライ!次にエライのが自営業とか投資家になって、若い人の就職の邪魔しないこと!」

 

こんな調子で、延々と平行線をたどったwww

 

 

日本の年金制度は、悪いシステムじゃないが企業に長くしがみ付くほど得な様に出来ている。

これが、若い人の雇用を阻む大きな原因になっていて、少子化に繋がっている。

 

今の中高年は、自分が日本社会にとってどういう存在か一度考え直した方がいい。

若い世代の負担となるか、サポート役となるかは、考え方と行動一つ。

 

最悪なのは、自分は安穏としながら就職難の若い世代を「ネトウヨ」呼ばわりするクソ連中だ。

 

外国人を受け入れるオレは立派。差別はダメだと非難しながら、実は世代間差別をしていることに少しは気づけ。

 

 

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」 (16)

前回】のつづき>>>>

 

 

 

街は、いつにも増してひっそりと静まり返っていた。
ジリジリと照りつける真夏の日差し。刻々と迫りくる決行の時。
まるで街中の人々が、息をひそめてその時を待っているかのようだった。

 

決行の日は、明日に迫っていた。

 

祐介のオフィスで、監視カメラで捕らえられた涼子の姿に衝撃を受けた美和子は、あれ以来ずっと部屋に閉じこもっていた。局にも行っていない。越善マユミには、具合が悪いとだけ伝えた。同行取材の準備を手伝えないことを詫びると、マユミは疑問に思うことなくその件は問題ないからと言い、帰国後の疲れがたまったのだろうと美和子を労わった。

 

美和子は、帰国以来起きたことを順を追いながら、ずっと考えていた。
松永家を乗っ取ったなりすまし、そこへ現れた人権擁護委員の男たち。川村智恵子の夫を死に追いやった人権擁護委員会婦人部。川村家を乗っ取った中国人。女性救済センターにいた寺坂君江と福祉センターに入れられた与一の話。そして、大石と呼ばれる議員の計画を遂行する矢頭祐介と岡野たち。
社会が壊れる。家族が壊れる。民主党政権で壊された社会で、特権を享受する越善マユミたち。そして民主党大訪中団。

 

アメリカから帰国する前は、想像もできなかった状況だった。美和子の信奉していたフェミニズムも、左派政党の提唱する高度福祉も、ダイナミックな経済活動から得られる利益の上澄みでしかない。基盤となる経済がなければ成り立たないという当たり前のことを無視して、経済大国日本にあぐらをかいて企業活動を非難し弱者の権利をひたすらに訴えてきた左派政党と、それを支持する大多数の国民が選んだ社会。
 

 

明日、この状況が大きく転換するなら、帰国して数週間のこの経験は美和子の人生にどのような意味があるのだろう。いまでも現実味のない短い夢と錯覚することがある。だが、祐介や与一、智恵子、そして妹の涼子たちにとっては一年に及ぶ苦しい弾圧の日々だったのだ。

 

祐介は、決行に必要な材料はすべて揃ったから、無理に局に行かなくてもいいと言った。
明日、どうするか―――美和子は迷っていた。

 

 

きっと何か思いもよらないことが、局で起こる。そんな予感がした。一方で、明日、羽田から旅立つマユミに一目会っておかなければならないとも思った。この思いは、何か焦燥感に近いものだった。

 

明日、行ってみよう。美和子が思い立つと、ドアを叩く音がした。

 

与一だ。ここ数週間、聞きなれた足音とノック。美和子は、ドアを開けて与一を招き入れた。

 

「おねえさん。明日出かけるつもりじゃない?」
「ええ、そうよ。よく分かったわね」美和子は笑って答えた。
「矢頭さんが、Wカードを持っていけって。偽造だけどね。おねえさん、まだ申請してなかったでしょ」
与一は、美和子のID情報が記されたWカードを渡した。
「そうだけど。どうして偽造してまでWカードを?」
「明日、局はパニック状態になるらしいから、それを持ってるとお守りになるんだって」
「お守り?ふふふ。先輩も変なこと言うのね。でも、パニックってどういうこと?」
「それは明日のお楽しみだってさ」


    * * * *


羽田空港のロビーは、大訪中団の群とそれを見送る者たちであふれていた。
美和子は、マユミたち同行取材班のいるラウンジへ回った。美和子の姿を見て、マユミが駆け寄ってきた。

 

「大丈夫なの具合は?無理しなくていいのに」
マユミの細い腕には、不釣り合いな取材班の腕章が絡んでいた。
「ありがとう。でも、もう大丈夫よ。あとで局にも寄ろうと思ってるの、もうすぐ出発ね」
「ええ、私たちは党幹部と同じチャーター機よ」
「チャーター機?政府専用機じゃなくて?」
「もちろんよ。なにしろ8月15日の晩餐会に参加するのよ。日本をアピールするような飛行機で行くのは拙いっていう意見が党内で出て、急遽チャーターしたのよ」
経済活動を無視して、党内行事に熱中する民主党政権下なら旅客機の急遽チャーターも可能だろう。美和子は、馬鹿馬鹿しいと思った。
 

 

「それにしても、すごい人数ね」
「ええ。どういうわけか、この訪中団の話がほとんどのKカード保持者の間に伝わっていたらしくて、参加希望者が増えたのよ。結局、当初の予定の倍を超える七千人になったわ」
空港に待機している旅客機を見ると、韓国からチャーターしたものもあるようだ。

「あら?あの先生、社民党の・・・」
「ああ、民主党以外でもKカードを取得している議員はいるわ」
「でも、民主党以外の政党は非合法化されたんじゃ」
「非合法化されても、Kカード取得の障害にはならないわ。彼らは思想信条を同じくする同志ですもの」
「そう。それじゃ、マユミ。がんばってね」
「ええ。ありがとう。美和子も」
美和子とマユミは、固く握手して別れた。

美和子は、待たせてあった局のハイヤーに乗り込んだ。
「局までお願いね」

 


   * * * *


美和子は、オフィスに入る前に報道センターを覗いた。
Kカード保持者の日本人スタッフは全員訪中団に参加している。残っているスタッフは韓国人だけだ。
スタッフとは名ばかりで何もできることがないから、あらかじめ用意された映像をひたすら流しているだけだ。
仕事もせず、雑談や昼寝に耽っている。

 

いつもと大して変わらない光景だと思って通り過ぎようとした。

 

センターの奥に見慣れない人員数人がいる。マユミは、日本人スタッフの穴埋めの臨時要員が入ると言っていたが、その内一人はどこかで見たような気がする。以前、報道センターにいて辞めたスタッフだろうか。
思い出せないまま、美和子はオフィスに向かった。

 

デスクに向かって、やることもなく時間が過ぎた。パニックが起きると言っていたが何も起きない。
もう3時を回っている。マユミ達も、ほどなく北京に到着するだろう。
息抜きに階下のカフェにでも行こう。オフィスを出ると、もう一度報道センターを覗いてみた。

 

さっきの臨時要員がモニターに向かっている。やはり、見覚えがある横顔だ。
そう、どこかでモニターに向かっている横顔を見たのだ。モニター・・そう、祐介のオフィスだ。
オフィスの奥の部屋で作業をしていて、一、二度遠目に見ただけだが、名前は・・・確か間瀬と呼んでいた。

 

彼らが紛れ込んでいるということは、計画は進行中なのだ。美和子は少し身震いした。

 


「臨時ニュースをお伝えします。民主党政権が崩壊しました」
「臨時ニュースをお伝えします。民主党政権が崩壊しました」
「臨時ニュースをお伝えします。民主党政権が崩壊しました」

 


報道センターのモニター映像が一度に臨時ニュースに切り替わった。
 

画面には民主党本部前からの中継映像が映し出され、民主党本部ビルからパニックを起こしたように逃げ出す人々を追っている。

ニュースのアナウンスは、日本語、英語、中国語、韓国語に切り替わりけたたましく同じ内容を繰り返した。
センター内にいた、韓国人スタッフたちは飛び跳ねるように立ち上がってモニターを見続けている。

 

突然、画面にテロップが流れた。

 

「北京の空港で、日本からのチャーター便で到着した偽造パスポート集団が拘束された模様」

 

「偽造パスポート集団のチャーター機が、次々と着陸」

 

「偽造パスポート集団は、Kカードを保持していることから北朝鮮人民とみられる」

 

テロップが韓国語に切り替わると、韓国人スタッフらは慌てふためいた様子で口々に喚き始めた。


テロップが続く、

 

「北朝鮮政府は先ごろ、日本にいるKカード保持者は北朝鮮人民の持つIDであると声明を発表していた」

 

「北京政府は、偽造パスポート集団を脱北者と同様に扱う見通し」

 

テロップが流れ終わる前に、韓国人スタッフの阿鼻叫喚は頂点に達していた。

 

 

 

>>>> つづく

日本は閉鎖的!外国はオープンなの!のバカどもへ

日本で、移民受入れフンダララと喧しい今日この頃、豪州はオープンな移民受入れ国家として何かと引き合いに出されるらしいが、ちょっと待て。

 

いやいや、バカマスゴミや進歩的知識人(笑)とやらが何言ってるか知らねぇよ。でもな、オープンを通り越して、あけっぴろげのユルユル尻軽女みたいなだらしのねぇ日本にそんなレッテル貼られるのは、豪州人にとっちゃ不名誉極まりないとことなんで、捕鯨問題でウゼェ国ではあるが住んでるよしみで弁護してやろうと思う。

 

確かに豪州は、移民受入れ国家としてそこそこ成功している国だと言える。

だが、移民受入れに成功している=オープンじゃねぇからアホな勘違いしないようにな。

 

移民受入れで成功するには、まず戦略的でなければならないわけで、日本のようにやたらと規制を緩めてバカでもアホでも生活保護が無きゃ暮らせない年寄りでも受け入れるなんてのは愚の骨頂だと豪州人は言うわけだ。豪州政府は、戦略を練りに練った上で移民を受け入れているわけだが、それでも目的の3割ぐらいしか達成できていない。だが、投資と同じで10投資して1当たればまずまず、2当たればそこそこ、3当たれば大当たりなんで、3割達成できれば十分だろう。野球でも三割打者は、そういない。

 

で、まあ、戦略を練るにあたって、最初に決めなきゃならんのが、どういう人種を受け入れるか、だ。

こういう議論をすると、日本じゃバカ人権左翼どもが涌いて出て、やれ人種シャベツだの人権擁護だのと騒ぎたてるが、これは非常に重要なファクターである。豪州の移民受入れの歴史は長く、と言うと、アボリジニ以外はみんな移民になっちまうんで、歴史と言っても戦後あたりから見ていくのが妥当だろう。

 

白豪主義が続いた1980年ぐらいまで、豪州政府が積極的に増やした移民はヨーロッパの白人だ。当初はイギリス系を入れていたが、イギリス自体大きな国ではないのでリソースが枯渇すると、1970年代には他のヨーロッパ諸国へ移民受入れを拡大した。政府の目論見としては、フランス、ドイツ辺りのより肌の白い人がターゲットだったが、意に反して南欧のイタリア人やギリシャ人、さらにはレバノン人あたりが流入してくる事になる。

フランスに関しては、ビキニ環礁での核実験が原因で両国関係が険悪になったせいで、フランス移民はあまり多くない。ドイツも当時は、経済成長中の人手不足で逆にトルコ移民を受け入れていたぐらいだったから、ドイツ系移民の流入も思わしくなかった。

だが、イタリア系、ギリシャ系、レバノン系の流入は、豪州に他の英連邦諸国と違う食文化をもたらしたことを考えれば、目論見違いとは言え、そこそこ上手くいったと言えよう。英連邦諸国のメシのマズさは、涙が出てくる。

 

日本人移民の歴史ってのも結構古くて、1900年頃には真珠採りや漁業、農業などの技術が買われて、日本人移民がかなり入っていた。その後、第二次世界大戦により日本人移民の殆んどが撤退していなくなったが、1970年代には白豪主義の超人種差別社会において、経済力と技術力を認められ名誉白人として長期滞在可能な唯一の有色人種となった。

 

ここまで見て分る通り、移民受入れのターゲットとして重視されるのは人種および技術だ。

 

人種を選別する理由は、宗教や生活習慣があまりにも異なる人種を受け入れる場合に発生する教育コストだ。もっとも、日本政府のように入れっぱなしで野放しにしておくなら教育コストは掛らない。ただ、周辺住民が余計な負担を強いられるだけだ。

また、発展途上国からの移民は、先進国の複雑な社会構造の中で、犯罪組織の食い物にされ易いという事情もある。日本で、中国人や韓国人が犯罪を犯す一方で、その犯罪の被害者となっているのもまた中国人や韓国人だったりするのを見ればよく分る。

 

技術を重視するのは、豪州で自立して生活できない人間を受け入れても社会の負担になるだけなんで、当たり前っちゃあ当たり前だ。

 

日本人は、移民と言うと永住者や帰化者と勘違いしているヤツが多いが、留学生や企業駐在員など数年単位で滞在する中期・長期滞在者も移民としてカウントするのが国際常識である。日本でも、入管は一年以上の滞在者および一年以内の季節労働者を移民としてカウントしている。

 

移民受入れの目的により、永住者を増やすか、長期滞在者を増やすかが違ってくる。

 

まず、永住者を増やす目的は、国力増強である。ここでいう国力には軍事力も当然含まれる。

昔、イスラエルのエイラット市を訪問した際、現地の役所のオッサンに移住しないかと誘われたことがある。30歳未満の若い外国人がエイラットに移住すれば、移住の補助金が出て数年間税金免除されると言われたんだが、もれなく実弾付きの兵役がついてくるんで「根性無しなんで遠慮します」と断った(笑)

アメリカあたりで、永住権を餌に外国人志願兵を募集するのも、国力増強のための移民受入れだ。

 

労働力補充のための移民受入れは、中期・長期滞在の労働者が効率的だ。永住にすると、非労働年齢に達した後、国の負担になるんでほとんどの国は敬遠している。

 

日本の場合、少子高齢化で労働力不足がフンダララ~と言いながら、永住者や帰化者を増やさなければ日本は死ぬ!とか意味不明な寝言を垂れてる政治家や進歩的知識人(笑)が多いので、世界の笑い物になっていると思って少しは恥ずかしがってくれ。

 

豪州でも、受入れのメインは長期滞在の労働者で、「長期滞在ビジネスビザ」ってのを発行している。

日本で言う所の「就労可能な在留資格」に相当するが、日本と違い受け入れる職種の分類が細かく、政府の決めた職種リストに載っていないと申請できない。さらに、移民法で定められた英語試験のスコア、および職務経歴と給与水準などの審査がある。だけでなく、スポンサーとなる企業の審査もある。審査内容は、財務状況、従業員構成(オーストラリア人従業員の割合)、社員教育の充実(オーストラリア人教育のために年間給与総額の1%以上を当てているか、または、オーストラリアに無い最新技術を導入しているか)、または、全従業員給与総額の2%以上の金額を当該業界のトレーニングファンドに出資しているかなど、かなり厳しい。

 

因みに、上記は最低要件で、要件を満たしたからと言って必ずしもビザが発給されるわけではない。豪州の労働市場を反映して、ビザの発給数をコントロールしているので、同じ要件でもタイミングによっては発給されない。ビザ発給は、あくまで豪州政府の都合で決める事なのである。

また、要件の見直しや職業リストの変更などは、景気の動向などを見ながら年がら年中やっている。先月OKだったのが今月はダメなんてのはしょっちゅうだ。日本のように、「当分の間外国人にも支給する」なんて通達が65年も続くなんてことはエアーズロックが噴火してもあり得ない。

 

日本の「就労可能な在留資格」だが、雇用先が決まっていれば発給され、雇用主にスポンサーとしての義務は課されない。そのため、雇用主の審査もない。雇用関係を証明する書類と、登記簿謄本や会社案内など企業が存在することを証明する書類があればいい。本人の経歴審査もない。語学要件もない。ユルユルである。

 

豪州でも、豪州人や永住者がスポンサーとなって親族などを呼び寄せるビザがあるが、その場合もスポンサー審査がある。配偶者のスポンサーになる場合は、過去5年間に別人の配偶者スポンサーになった事実がないかどうか調べられる。2年以内にあった場合は、申請できない。そういう形で、偽装結婚による不法滞在を阻止しているわけだが、日本のように同一人物が50人以上の中国人の保証人になるなど起こり得ない。日本と違い、スポンサーが面倒を見られなくなった場合、ビザは取り消され目出度く国外退去となる。そのスポンサーが永住者だった場合は、スポンサー自身の永住ビザにも影響が出てくる場合もある。

 

実は、豪州でもっとも成功している移民受入れ制度は、ワーホリである。

いわゆるワーキングホリデーってやつだが、日本人は仕事しながら豪州に住める!国際交流!多文化共生!うんちゃらかんちゃら!とかお目出度いお花畑が多いが、知らぬ間に豪州政府の意図にまんまと乗せられて若くて安い労働力を提供させられている、ということに気づいているヤツは案外少ない。

 

豪州がワーホリを始めたきっかけは、農場での労働力不足だ。通常ワーホリビザは一年だが、農場で3カ月働くと二年に延長できる。

農場の仕事は超重労働だが、日本人は律義なので辛くてもキッチリ3か月働いてくれるので、農場でも評判がいい。

日本の隣の半島国家は、だいたい20年遅れで日本がやってきたことを真似しているんだが、ワーホリ制度も数年前から導入している。ところが、韓国人は仕事がキツイと黙ってトンズラするんで評判が悪い。おかげで、「日本人限定」で募集をかける農場主も多い。

 

豪州は、日本人を使ってアジアのベンチマーキングをするんだが、日本人と他のアジア人はあらゆる面で違いが大きく、いつも間違ったデータしか取れない。おかげで、間違って中国人移民なんかを増やしてしまったのは、豪州政府の大きな失敗である。

 

だが、ここで気づいて欲しいのは「日本人限定」という形で、人材募集しても問題にならない点だ。

日本じゃ、人種シャベツニダと騒ぐ連中が出てくるが、多民族国家であればこそ人種の選定も可能にする必要があると考えている。

例えば、農場なんかじゃ雇われ人は家族と一緒にメシを食うわけだが、その際、宗教的理由でアレが食えません、コレが食えません、ベジタリアンですなんて言われた日にゃ農場主は余計な負担を強いられる。

工場なんかじゃ、宗教的理由で一日5回お祈りしますとか言われた日にゃ、生産ラインが停止する。

 

なんで人種指定もありなんだが、豪州政府は豪州人の財産を守るという責任を果たしているので、不動産のオーナーなんかも入居者を募集する際に、人種指定しても問題にならない。

 

実際、不動産探しをした時に「日本人限定」とか「アジア系は日本人限定」なんてオーナーが3人いた。その内、一人は中国系のオーナーで、その物件を紹介する不動産屋の担当も中国系だった。

 

で、その不動産屋曰く、「中国人や韓国人は、部屋を汚すから嫌われるんですよ。部屋を貸すなら、日本人が一番・・・」

 

 

人種区別も慣れれば、シャベツシャベツと騒がなくなるという見本である。

 

 

 

次回は、永住ビザと市民権について説明したろーかな。

 

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「内陸穀倉地帯」は停滞前線台風八連荘海底大三元「洪水・飢餓・疫病大三元親っパネ」

984 :中華ボカンシリーズ ◆7DNPv/7WhY :sage :2010/09/17(金) 15:32:57 ID:bOz11eQN0(2)
こりゃ~お塩置茸だべぇ~ 神の国の皇国憂士と、シナニダ工作員諸君乙
わが親友広東閥中華嫁工作員より陰毛濛濛のソースが取れたので放火アル

現在潮吹き南方陶器広東地方の状況は、阿鼻叫喚地獄絵図と化しているアル
特に聖都と杭州の間の「内陸穀倉地帯」は停滞前線台風八連荘海底大三元!!!
お約束の「洪水・飢餓・疫病大三元親っパネ」が、箱を突き破る勢いアルね

古来三顧の礼の孔明罠が示す通り、中華エリート賢人は乱世を「晴耕雨読」
してヌルーするのが今の強酸幹部に至るまでの伝統アルが、せっかく内陸
水源地に確保した晴耕雨読避難所も潮吹きで壊滅し幹部も「アイヤー」アル

進行中のリアル中華ボカンシリーズを受け、広東閥強酸幹部は脱走先確保を
目論み、空き缶に「中華ビザ+穀倉乗っ取り」を口パクさせ、横浜・岡山での
中華トカレフ乱射福建幣と、農業研修生・中華嫁の三点セットで役作りツモ
積み込み中との報告アル 九州・中国地方の方々は敷島奥義ゴキンジャーを
結成し、それでもシナゴキブリが上陸して来た場合の逃走先を脳内シュミも
一考して欲しいアルね to be continieued in the nextカキカキシコシコ

988 :中華ボカンシリーズ ◆7DNPv/7WhY :sage :2010/09/17(金) 15:49:25 ID:bOz11eQN0(2)
尖閣淫核が最近香ばしいのは、反日で民口負組の意識をそちらに向けておき
「広東閥人民軍+強酸幹部」でのボカン中華脱出の準備とのぁゃιぃ噂もアル
今回の淫閣液漏れ騒動を見ると、鴨も蟹も既に制御できないほどに「ああん
こんなに大きく(ry」中華ボカンシリーズはエスカレートして危険な領域入り

棒従軍魔法使いは「既に今年5月に、呉にマリンコアザラシ+黒水連合軍」が
派遣されて対岸の広東閥・村上水軍すくつ今治と「おまえ初めてか力抜け(ry
38度戦運動会の2番煎じの様相とも 今治・関門への睨みをきかせるて、
中華海軍への牽制らしいアル ワロスワロスしつつも中華トカレフ流れ弾や
横浜・岡山・今治リトル広東福建動向にSACでの警戒を御願いしたいアルね

ウリは引き続き中華嫁とSACにてブクロ・横浜を監視下に置きつつ、岡山今治
監視包囲網SACが構成されることを願うアル ではまたアルねノシ
 

 

 

 

ryochantomopapa
3 weeks ago 47

一時期中国国家のシンクタンクにおりました。私自身は純粋の日本­人です。左翼でもありません。
彼らは極めて執拗に日本を狙っております。水資源も対象になって­います。
水が美味しくきれいな、山梨県の忍野八海は中国人だらけです。
中国が狡猾なのは、中国人を日本に住まわせるだけではなく、帰化­させています。反日なのは帰化しても変わりません。

また、東京大学は多くの中国人留学生として受け入れています。
中国人も日本で一番の東京大学に入りたがります。
知っているだけでも、約10名の東大の中国人女性留学生は日本人­と結婚しました。皆非常に美人ですが、しつこく言われたのは「日­本が戦前殺害した中国人の人数と比べると北朝鮮の日本人拉致は大­したことないね」です。

また、ある中国人は毛沢東と並んで有名な人物の親族ですが、日本­に帰化しました。簡単だったそうです。金をつかったのか、どうい­う手段を使ったのかわかりません。帰化した為、名前は日本名です­。

もう身近に中国の手が伸びていると思っても言い過ぎではありませ­ん。

 

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「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」 (15)

前回】のつづき>>>>

 

 

 

「岡野さん、こんにちは。お邪魔するわね」
美和子がオフィスに入ると、岡野が一人でモニターに向かっていた。
「こんにちは。矢頭さんはまだ来てませんけど、そろそろ現れると思います」
岡野は、モニターから顔を上げて美和子に言った。
「ありがとう。じゃ、こちらで待たせてもらうわね」
美和子は、応接に向かった。
「ごめんなさい。僕、モニターから離れられないんで、そこらへんにあるお茶とか適当に飲んでいてください」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
一週間分の仕事をまとめた書類の束を応接テーブルに置くと、美和子はコーヒーメーカーをセットした。
モニターに向かう岡野の横顔が見える。真剣な表情で作業をする岡野の顔は、一層端正に見えた。

 

「どうぞ」
美和子は、淹れたてのコーヒーのマグを岡野のデスクに置いた。
「ああ、ありがとうございます」
岡野は少し驚いたように、美和子を見上げて礼を言った。
「大変ね。日曜日まで仕事しているなんて。いつ休んでるの?」
「計画が始まってから、ずっと休んでません」
「本当に?大丈夫なの?」
「苦痛に感じることはないですから、心配しないでください。いつまでも続くわけじゃないですし」
やけにハッキリと岡野は言った。
「そう。でも、体には気を付けて」
なんだか間の抜けた応答だと思ったが、他に適当な言葉も見つからなかった。
岡野の前には複数のモニターがある。チラリと目をやると、一つのモニターがさらに4分割されて、複数の映像が映し出されていた。映像は、どこかのビルの屋内の様子に見えた。岡野は、まるで監視カメラを通して屋内を監視する警備員のようだった。岡野に何かを探っているように思われるのも不本意だと思い、美和子はすぐに応接のソファに戻った。

 

祐介や岡野たちは、何をしようとしているのか。この状況をどうやって元に戻そうと言うのか。ただ、岡野のハッキリとした口調は、この計画がほどなく終わることを暗示しているようだった。
今日このオフィスに呼ばれたのも、祐介が何かの情報を引き出すためだということは分かっていた。この前、祐介が手に入れた情報は、大臣を陥れた越善マユミの件、そしてその黒幕がNBSテレビのトップだということ。それが計画にどう関係するのだろうか。そして、今日は美和子の得たどんな情報が欲しくて自分を呼んだのか。美和子が思案を巡らしていると、突然ドアが開いて祐介が入ってきた。

 

「遅くなってゴメン。待った?」
祐介は、つかつかと小さなキッチンに近づくと戸棚から自分のカップを取り出し、美和子が作ったコーヒーを注いだ。
コーヒーをすすりながら、ソファに腰掛けると祐介は身を乗り出した。
「どう?久々の職場は?一週間働いてみた感想は?」
「どうもこうもないわ。本当に、バカバカしいくらい変わっていたわ。以前いた報道部は、素人だらけで何の報道もできてないし。意味もなく韓国人が管理職についていたり。あれで国際色豊かな職場だなんて笑っちゃうわ」
美和子は、鼻で笑いながらソファに背を凭れて脚を組んだ。

「職場の人以外に変わったことは?例えば、ビルのセキュリティシステムが変わったとか」
「そういう所は、以前と全然変わってなかったわ。通信システムやネットワークの管理方法すら変えてないんだからビックリよ。何の危機意識もないみたい。もっとも、韓国から受け取った映像を流しているだけで、知的財産も機密も何もないから問題ないんでしょうけど」
祐介はニヤリとした。


「そう。ところで、越善さんはどうしてる?」
「ああ、マユミ?」
美和子は、不機嫌そうにテーブルの上の書類の束から、「民主党大訪中団」のパンフレットを取り出して見せた。
「なんだか知らないけど、マユミも同行取材するらしいわよ」
祐介は無造作にパンフレットを取り上げると、大きな瞳で瞬きもせずに文字を追った。
「8月15日。やっぱりそうか」
「ええ。8月14日に、チャーター機を十機ほども飛ばすらしいわ。マユミは政府専用機でVIP待遇らしいわ」
「8月14日?出発時間は?」
「こんなことがそんなに気になるの?確か、政府専用機が羽田を離陸するのは昼の12時頃だって言ってたわ。それで、チャーター機も順次離陸するそうよ。くだらないツアーね」

美和子は、テーブルの上の書類を纏めて祐介に手渡した。
「気付いたことを全部書いておいたわ。好きに使ってちょうだい」
「ありがとう」
受け取ると、祐介は書類をパラパラとめくって目を通した。
美和子は、祐介の企みが未だに推し量れずにいた。


「矢頭さん、大変です!」
突然、岡野が立ち上がって叫んだ。
「川村さんが・・・川村さんが、拘束されたみたいです!」
「何だって?!」
祐介は、慌てて岡野に駆け寄りモニターを覗きこんだ。
「ここです。見てください」
「あっ・・・」
眉間にしわを寄せて、祐介は食い入るようにモニターに顔を近づけた。

「何?川村さんが、どうしたの?」
美和子も岡野の傍に駆け寄った。画面には、数人の男に取り囲まれて抵抗する川村千恵子らしき姿が映っている。やがて、抵抗も虚しく連れ去られて画面の外に消えていった。
「何なの、これは!?どこなのよ、一体?川村さんに何をさせていたのよ!?拘束されるなんて、どんな危ないことをさせていたの!?拘束して言った連中は誰なの!?」
美和子は、祐介のシャツをつかんで揺さぶるようにして責めるように言った。
「すまない。でも、詳しいことは言えないんだ」
「詳しいことは言えないって、先輩はいつもそればっかり。酷いわ。川村さんがこんな目に遭っているのに。どうするつもりなの?!川村さんにもしものことがあったら・・」
祐介は、美和子の両肩をしっかりと掴んだ。
「ごめん。でも、川村さんのことは、僕が責任を持って対処するから」
祐介の大きな瞳で見つめられ、美和子は戸惑った表情で目をそらした。

 

視線を落とした先のモニターの一つに、美和子の目はくぎ付けになった。
不意に美和子は、祐介の手を振り払いモニターに近づいた。
「りょ、涼子・・?」
モニターを見つめる美和子の瞳孔がみるみる開いていった。
「涼子!涼子だわ。なんで涼子がこんなところにいるの。どこなのここは!?ねえ、先輩!」
今度は、祐介が驚いた表情でモニターを覗きこんだ。
「そうか・・そうだったのか」
「何?先輩、何を言ってるのよ!涼子はどこにいるの!?ここに映っているのはどこなのよ!?」
半狂乱になった美和子を目の前にして、祐介は迷ったように口ごもった。
「先輩!教えてちょうだい!これはどこなの?!ねぇ、ねぇ!まさか、まさか!」
「女性救済センターですよ」冷静な声で岡野が言った。
いゃぁぁああっ!美和子は、頭を抱えながらその場に座り込んだ。
美和子の悲鳴が部屋中に響き渡った。

 

「矢頭さん。きちんと説明した方がいいですよ」
岡野の言葉に、迷っていた祐介は我に返ったように頷いた。
「わかった」
祐介は、美和子をソファに座らせると落ち着くように言った。
美和子は、涙で乱れたメイクを見られないように、俯いたまま頷いた。

 

「実はね、川村さんは寺坂さんから女性救済センターの話を聞いて、自分からセンターの内情を探りたいと僕らに申し出たんだ。僕らは、そんなことは自分たちでやるからと説得したんだけど、センターに出入りできるのは女性だけだから是非自分にやらせてくれと何度も何度も頼まれた。それで、彼女をセンターの清掃業者に潜り込ませたんだ。
 川村さんには、清掃と備品の手入れをする傍ら、盗聴器や隠しカメラを設置してもらっていた。でも、必要な設置はもう何日も前に全部終わっていて、川村さんには引き上げるように伝えていたんだ。にも拘らず、川村さんはセンターへの出入りを止めなかった。今にして思えば、川村さんは君の妹があのセンターにいるのではないかという疑念を最初から抱いていて、僕らに仕事の申し出をしたんだと思う。

 ごめん。君の妹のことは、僕らは全く知らなかった。川村さんからは何も聞いていなかったんだ」

祐介は、美和子の震える肩に手を置いた。
 


「でも、信じてほしい。君の妹と川村さんは、必ず救出する。ちょうど一週間後に」
「一週間後?」
「ああ、計画を実行する日取りが決まった」
美和子は、祐介の顔を見上げた。

 


祐介は、立ち上がって岡野に言った。

「岡野。みんなに知らせてくれ。決行は14日だ」

 

 

 

 

>>>> つづく

 

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茶の話(22) 間違いだらけの丁宗鐡「正座と日本人」

丁宗鐡著「正座と日本人」の茶の湯に関する間違い一覧でございます。

 

講談社に返金運動をする際などにお役立て下さいまし(笑)

 

※ コピペ・拡散絶賛推奨中 

 

 

(誤)利休は、田中与兵衛(與兵衛)を父に、宝心妙樹を母に持つことからもわかるように

(正)利休の母は、月岑妙珎宝心妙樹は最初の妻。

 

 

(誤)四畳半以下の茶室のことを、小間・・・

(正)四畳半より小さい茶室を小間という。四畳半は広間としても使える。

 

 

(誤)四畳半以下の茶室のことを、・・・草庵茶室といいます。

(正)四畳半以下で、草庵でない茶室もある。違い棚、書院などが付いたら草庵にならない。

 

 

(誤)この小間は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のことです。

(正)高麗と書いて「こま」と読むのは、高句麗のこと。江戸時代は、地名などを除いて高麗は「こうらい」としか読まない。

 

 

(誤)にじり口は朝鮮建築の典型例です

(正)"korean traditional house"で画像検索してみましょう。

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=korean+traditional+house&rlz=1R2TSJH_jaJP342&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=-A5xTPP2HI3AuAOr08xC&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCIQsAQwAA&biw=1039&bih=589

 

 

(誤)おそらく利休は、堺で高麗人やその後に来日した李朝の朝鮮人と交流する中で、高麗茶道の作法とともににじり口をはじめとした小間を発想したのではないでしょうか

(正)利休が生まれたのは1522年。1392年に滅びた高麗人と交流することは不可能。

(正)にじり口は、利休の師匠武野紹鷗の時代にもある。利休の発明ではない。

 

 

(誤)江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。

(正)吉野太夫、松室宗江など名高い女流茶人もいる。

 

 してるし・・・

 

 

 

(誤)狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした

(正)秀吉の時代から、千家をはじめとする町人茶道は、老若男女、身分、国籍関係なくできる。

 

 朝鮮の女性と違い、江戸の女性は社会のあちこちに自由に出没していた。

 

 

 

(誤)裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります

(正)京都第一高等女学校の前身、新英学級及女紅場で茶の指導をしたのは、淡々斎の祖母真精院。淡々斎の父、円能斎が高等女学校で茶の湯の指導を始めたのが大正3年。京都第一高等女学校が設立された明治37年、淡々斎は12歳。

 

 

(誤)明治に入ると文明開化の煽りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途をしばらくたどった。

(正)明治時代は、文明開化で財をなした新興勢力が新たな茶の湯の担い手となっている。

有名な明治の茶人は、井上世外(井上薫)、三井財閥の益田鈍翁や三井八郎右衛門、帝国蚕糸の原三渓、鉄道王根津嘉一郎、大日本麦酒(現アサヒ・サッポロビール)の馬越化生、安田銀行や帝国ホテルを設立した安田財閥の安田松翁、、朝日新聞創設者の村山龍平、藤田組の藤田香雪、初代大阪市長の田村太兵衛、大阪商船の田中市兵衛、百三十銀行の松本重太郎、帝国銀行・北浜銀行を創立した磯野小右衛門、白鶴酒造の嘉納次郎左衛門、住友春翠など錚々たる顔ぶれ。

 

 

(誤)茶道を大成した千利休、利休の師にあたる武野紹?(たけのじょうおう)、千家三代目であり三人の息子たちがそれぞれ表千家、裏千家、武者小路千家を興した千宗旦(せんそうたん)、江戸時代に江戸千家を創始した川上不白(かわかみふはく)などの肖像画や木像は、“アグラ”や坐禅の座法である“半跏趺坐(はんかふざ)”である。

(正)利休、宗旦、細川三斎、古田織部、小田有楽斎、村田珠光などが正座の肖像も残している。胡坐や座禅を組んだ肖像は、法衣や道服を着ている。坊さんと同じなので胡坐や座禅でも不思議はない。

 

 

(誤)これらを総合して考えると、寺院の儀礼的な飲茶茶礼から亭主と客が心を通わせる茶の湯、さらには精神性を高めた茶道へと発展する過程に、正座はまったく関与していなかったといえそうです。少なくとも江戸時代後期までは正座と茶道を結びつけるものはないと考えるのが妥当です。

(正)江戸時代初期の「人倫訓蒙図彙」に、正座をしている茶の湯者が描かれている。

 

 

 

(誤)江戸城内では刃傷沙汰がときどき起きていた。そのため、刃傷沙汰を防止する意味を含めて、足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたす作法が注目された。やがて各大名が将軍に拝謁する際、動きづらい長袴を礼装にして、正座をとらせるようになった。これが八代将軍・吉宗(1684~1751)の代からとしている

(正)江戸城内の刃傷沙汰で改易になったのは、赤穂浅野家だけである。長袴は、秀吉の時代には既に礼装になっていることが、伊達家の歴史書「貞山公治家記録」に書かれている。

また、浅野匠守が吉良上野介を斬りつけた際に着用していたのは長袴で、五代将軍・綱吉の時代であったことは日本人なら誰もが知っている。

 

 

(誤)この支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた

(正)正座は、武士階級だけの作法ではない。江戸時代の多くの文献に、町人や庶民が正座している絵図が残されている。

 

 両替商

 

 

※ コピペ・拡散絶賛推奨中

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

 

 

 

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茶の話(21) 丁宗鐡と朝日新聞をぶった斬る!

さて、いよいよ丁宗鐡をぶった斬るシリーズ「最終回」でございます。

 

丁宗鐡の著書「正座と日本人」を8回にわたってぶった斬ってまいりましたが、あまりの間違いの多さに講談社もよくこんな作品を世に出したものと呆れかえるばかりでございます。せめてウリナラ・ファンタジーのフィクションとして売り出すならまだしも、ノンフィクションとして売り出すあたり詐欺と謗られても致し方ございません。「正座と日本人」を買われた方は、返金運動を起こしてもよいかと存じます。

 

それにしても、丁宗鐡はなぜこれほど多くの間違いを、恥も外聞もなく書き散らしたのでございましょう。

その答えとなる、書評を「朝日新聞」のサイトで発見いたしましたのでご紹介いたします。

 

 

正座と日本人 [著]丁宗鐵         [評者]江上剛(作家)

 

 トロイ遺跡を発見したシュリーマンは幕末の日本旅行記に、家族が正座して食事をする姿を興味深く書き残している。ベストセラー『「縮み」志向の日本人』の著者である李御寧は、正座を、精神を集中させ安静を得る「どの民族も模倣しがたい姿勢」と位置づけている。私たちに当たり前の正座は、外国人から見ると極めて特異な日本独自の文化のようだ。

 

 本書は、医学博士であり、茶道にも精通した著者が、正座の歴史、文化、医学的意味などを丹念に調べたものだ。かつては立てひざやあぐらが正式な座り方であり、あの千利休でさえ正座をしていなかった。正座が一般化するのは明治以降で、明治政府が近代日本人を形成しようと、自己を律する武士道の象徴としての正座を広めた教育の成果だ。その結果、正座の習慣がない朝鮮や中国を蔑視(べっし)するようになったのは不幸なことだという著者の視点は新しい。

 

 正座は脳血流を改善し、認知症やメタボリック症候群を防ぐ効果があると、健康面も丁寧に解説している。正座という日常習慣は日本文化の象徴だったのだと、目からウロコが落ちる。

http://book.asahi.com/review/TKY200906160093.html

 

 

これまでご説明してきました通り、「正座が一般化するのは明治以降」というのは大間違い。「明治政府が近代日本人を形成しよう」とした、というのもウソでございます。そもそも、丁宗鐡は明治に入って茶の湯が旧弊な物として排斥されたと(これもまたウソでございますが)主張している一方で、明治政府が正座を奨励したと主張する、自己矛盾に気づかないのでございましょうか。

 

そんな自己矛盾はケンチャナヨなのが丁宗鐡、何が何でも次の主張に引っ張って行きたかったのでございましょう。

 

「その結果、正座の習慣がない朝鮮や中国を蔑視(べっし)するようになったのは不幸なことだ」

 

反日論争に中国人を巻き込むのは、最近の朝鮮人の常套手段でございますが、椅子の生活をしていた中国人が正座ができずに蔑視されたと言う話は寡聞にして聞きません。

 

そもそも、明治政府が正座を奨励したと言うなら、なぜ明治時代の学校は机と椅子で教育をしていたのでございましょう。寺子屋のように正座で授業をすべきでしょう。

   

    日本の近・現代史の問題点」より

 

 

さらに、明治のリーダーたちも自ら模範を示すべきでしょう。

      

 

当時、明治政府が目指していたのは、一にも二にも西欧化。実は、跡見女学校が授業に茶道を取り入れたいと申し出た際、当時の文部省は難色を示したといいます。どう考えても、明治政府が正座を奨励したとは思えません。

 

ただし、当時の教科書には正しい姿勢として正座の仕方が書かれております。

とはいえ、それが政府が奨励した証拠にはなり得ません。なぜなら、初等教科書には「出来て当たり前」のことしか書かれてないのが普通でございいます。正座の仕方の他にも、筆や鉛筆の持ち方、挨拶の仕方、九九などなど、出来て当たり前、出来なければ生活に支障をきたすレベルのことがほとんどでございます。

わたくしが使った書き方の教科書にも正座の仕方は書かれておりましたが、昭和の日本政府が正座を奨励したとは聞きません。

 

 

>ベストセラー『「縮み」志向の日本人』の著者である李御寧は、正座を、精神を集中させ安静を得る「どの民族も模倣しがたい姿勢」と位置づけている。

 

この主張も大変面白いものでございます。

 

『「縮み」志向の日本人』の著者である李御寧には、是非とも読ませたい一文がございます。

 

椅子が出される気遣いは全くないので、われわれヨーロッパ人には、堅い床に座るか、うずくまるという痛ましい試練が与えられる。

朝鮮人は通常、両脚を大きく広げてうずくまり、この姿勢のままで数時間座り続けても、一向に疲労も不便も感じないのだ。

 

1896年に朝鮮を視察したアメリカ人アリフタン中佐の手記でございます。

 

畳のない朝鮮の家屋で、堅い床に座らされた当時の西洋人の苦労は相当なものだったことでしょう。

朝鮮人が蔑視されたのは、むしろ椅子を出したりする気遣いができなかったからではございませんか?

 

その点の幕末の日本人の気遣いには、多くの外国人が感銘を受けておるようでございます。

 

 オールコックは、江戸と経済の中心地である京都・大坂を結ぶ東海道に、人と商品の往来が途絶えることがないのを見た。そして、ある宿場に泊まった時の体験を次のように書き綴っている。
  「親切に世話をしてくれたその男は、一生懸命工夫して、腰掛けることのできるものを即席で作ってくれた。というのは、我々ヨーロッパ人は足を組んだり交差させたりして床の上に直接座ることができないからである。日本人には天分がある。あっという間に、あまり費用を使わずに、簡単な材料で十分使用に耐えるものを作ってしまった。それは大変な才能である。宿屋の主人は半ダースの木の桶を持って来て、その上にそれぞれ一枚の板を釘で打ちつけ、その上に綿の入った座布団2枚を椅子のシート代わりに固定した。彼はあっという間に、大した費用をかけずに我々西洋人がキリスト教徒らしく座れるものを作ってくれたのだが、それを見ているのは実に楽しかった」

 

松原久子・著「驕れる白人と闘うための日本近代史 」
 

 

ところで、朝日新聞に書評を書かれた作家の江上剛さんでございますが、よほど朝鮮人の著作がおすきなようでございます。そのせいで「かの国の法則」が発動したのか、会社が大変なことになっておるようでございます。

 

 

振興銀が経営破綻、初のペイオフ発動

 

多額の不良債権を抱えて経営難に陥っていた日本振興銀行(東京都千代田区)は10日、6月末時点で1870億円の債務超過に陥ったとして自主再建を断念し、金融庁に破綻(はたん)を申請した。同日に民事再生法の適用を東京地裁に申請する。政府と預金保険機構は、預金保険法に基づき、預金の払い戻しを元本1000万円とその利息までとする「ペイオフ」を発動する。発動は、1971年に制度ができて以来初めて。

 払い戻しが保証される額を超える部分は支払いが一部カットされる可能性がある。カット額は振興銀の資産状況を調べた結果、決められる。金融庁によると、同行の預金は定期預金のみで預金残高は5859億円(8月末)。1000万円を超える預金者は全体の約3%に当たる3560人で、預金量では計471億円。

 同庁は10日から12日まで、すべての業務の停止を命じる行政処分を出した。預金保険機構を金融整理管財人に選任し、払い戻しを週明けから始めるための準備を進める。自見庄三郎金融担当相は10日、「日本の金融システムの安定性に影響を与えることはないと考えている」と述べた。振興銀の健全な融資は、受け皿となる金融機関に引き継がれる。

 振興銀は2004年、金融コンサルタントの木村剛前会長が中心となって設立、中小企業向け融資を中心に業容を拡大した。しかし、金融庁が昨年6月から今年3月まで立ち入り検査した結果、多くの業務メールを意図的に削除する検査忌避などの法令違反行為が見つかった。このため、6月7日から9月末まで、一部業務の停止命令を出した。

 さらに、金融庁から検査忌避容疑で刑事告発を受けた警視庁は7月、木村前会長ら幹部5人を逮捕し、その後起訴された。社外取締役で作家の江上剛(本名・小畠晴喜)氏が社長に就任し、経営再建を図っていた。しかし、金融庁からの指示で大口融資先などを精査した結果、回収が難しい融資があることが判明し、9月中間決算で、多額の貸倒引当金を積むことを迫られる見通しとなった。

(中日新聞)

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010091090103115.html

 

 

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

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バカが英語を話しても損するぞ

>ホテルのフロントとのやり取りに困ることはなく、タクシーの運転手と世間話に花を咲かせることもできた

 

ああ、そう。そりゃ、よかったね~。

 

それより、ジャーナリストなら、英語でガッツリ取材でもしたらどうだい?

あんたら、海外のネタなんて海外の通信社から配信してもらって翻訳してるだけじゃんよwww

 

それに、あんたらマスコミだの進歩的知識人(笑)が、海外に出てロクに反論もしてこなかったおかげで、日本の国益がどれだけ損なわれたかわかってんの?英語しゃべるのは結構だが、相手の言う事ハイハイ聞いてるだけのバカは損するだけだぞww

 

 

コイツらおバカマスゴミが全然わかってねーなと思うのは、英語を公用語にするって息巻いてる企業がなぜ批判を浴びているかという本質的な部分なんだが、別に、公用語をスワヒリ語にしようが中国語にしようが、その企業が本当に必要ならいいんだよ。

 

問題なのは、業績の上がらない企業のトップが、余りにも安易にくだらないことに飛びついてるってことなんだが、何で分らんのかねぇ。

 

  英語を公用語して国際化を図る!

 

国際化を図るのは結構なことだよ。でも、それが会社の業績にどう結び付くのか、国際化する過程で企業がどう活性化されていくのか、具体的な道筋も示さずにいきなり「結果がこうなる!」とか言われても誰も信じねーわけよ。アヤシイ新興宗教じゃねえんだから。

 

これまでにも、同じような「お題目」がいろいろあったよねぇ。

 

  女性を活用して、企業を活性化する!

 

  外国人パワーで成長基盤の整備・・・・さっき、読んだなコレ

 

なんか、まるで創価学会のナンミョーみたいで気持ち悪いんだが、これって新興宗教に入って「開運の壺」買うのとどこが違うんだ?

 

だいたい、女性の活用なんてもう20年も続けてるけどさぁ、業績良くなった企業なんてあんの?

男の給料も女並みに下がって、企業は人件費浮かしてウハウハになるハズだったのに、ちっとも景気がよくならなくて大変だねー(棒)

 

で、今度は、英語の公用語化と外国人パワーかよwww

 

いい加減に、新興宗教のお題目唱えるみたいなのやめたらどうよ。

 

真剣に本業に取り組まないで、「開運の壺」買ったって業績がよくなるわけないだろ。ボケ。

 

 

 

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茶の話(20) 丁宗鐡をぶった斬る その8

では、前回に引き続き畳の歴史を見てまいりましょう。

 

 

 

<古代の畳>

 

現存する、最古の畳は正倉院に残る「御床畳」でございます。

御床畳(ごしょうのたたみ)は、聖武天皇崩御の際、光明皇后が奉納された遺品のうちの一つでございます。

 

御床畳は、御床と畳の部分とで構成された寝台でございます。

 

畳は、マコモの筵を重ねた芯とイグサ製の畳表、麻製の畳裏で出来ておりますが一部分しか残っておりません。

そのため全体像は想像するしかございませんが、現在の畳と比べましてずっと薄い物でございます。

御床は、幅118センチ、長さ237センチ、4本の脚が付いたヒノキ製の台で、これに畳を載せ寝台とするものでございます。

 

 

畳に関する記述は、古事記や日本書紀、万葉集にも見られますが、当時の畳は筵を重ねたような御床畳に近い物と考えられております。

そもそも、「畳」は「畳む」から来ておりますので、当初は畳めるくらいに薄かったということでございます。

 

 倭は 國のまほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

 

古事記や日本書紀に出てまいります、倭健命の歌でございますが、この「たたなずく」は「畳なずく」で、「畳み重ねたようにくっついている」という意味でございます。

 

古事記にございます神武天皇「皇后選定」の章には、菅畳の記述がございます

 

天皇、その伊須氣余理比賣の許に幸行でまして、一宿御寝しましき。後にその伊須氣余理比賣、宮のうちに参入りし時、天皇御歌よみしたまひけらく、

  葦原の しきけき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し

とよみたまひき。然して生まれしし御子の名は、日子八井命、次に神八井耳命、次に神沼河耳命、三柱なり。

 

葦原の荒れた小屋に、菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、伊須氣余理比賣と寝所を共にし、日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命の三人の御子が生まれたと言うことでございます。原文の菅畳は、「須賀多多美」でございます。

 

また、景行天皇「小碓命の東伐」の章では、倭健命が走水(浦賀水道)を渡る途中で航行不能となった船を進めるため、后の弟橘比賣が倭健命に代わって入水する場面にて、「菅疊八重、皮疊八重、絹疊八重を波の上に敷きて、その上に下りましき」ともございます。

原文の絹疊は「絁(いとへんに施のつくり)」の文字が使われております。

これらは、菅製、皮製、絹製の筵と考えてよろしいでしょう。

 

 

<寝殿造りと畳>

 

さて、畳が現代のような厚みを持つようになりますのは、平安時代でございます。

当時の建築は、部屋の区切りのない寝殿造りでございまして、大広間のような板間を屏風や几帳で仕切って生活しておりました。

畳を敷き詰めることは致しませんで、寝台や座所として必要な場所に持ち運んで使用しておりました。

おひなさまが座っているような物を、ご想像いただければよろしいでしょう。

 

平安時代、畳を使えるのは貴族のみで、身分により厚みや縁の色柄が決まっておりました。

 

枕草子に、「昔おぼえて不用なるもの 繧繝ばしの畳のふし出で来たる」とございます。

繧繝(うげん)は、天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇が用いました、最も格の高いの畳縁でございます。

その格調高い畳縁から畳の節が出てまいりますのを、清少納言は昔おぼえて不用なるもの、時の経過により使えなくなるものの例に挙げておるのでございます。何やら、古い畳をいつまでも御使用になられた宮様への当てこすりに聞こえますが、そのようなお方が実在したのでしょうか。

また、「ことさらに御座といふ畳のさまにて、高麗など、いと清らなり」ともございます。

高麗(こうらい)もまた、格の高い畳縁の一つでございまして、親王や大臣が使用いたしました。現代では、床の間や寺社などに使われております。

この記述をネタに、畳は韓国起源と主張する輩が出てこないのが不思議でございますが、古典は苦手なのでしょうか。もっとも、漢字を忘れて自国の古文書もお読みになれない状態では無理もございませんが。

 

 

<書院造と座敷>

 

畳を敷き詰めて使うようになりましたのは、書院造の発達した室町時代と言われておりますが、鎌倉後期の絵巻物にも畳が敷き詰められたように描かれているものがございます。また、最古の畳職人の記述は、鎌倉時代の「鶴岡放生会職人歌合」に見られます。

 

鎌倉時代には、武士の勢力が隆盛いたしまして、外敵の侵入に備えて濠や塀をめぐらした武家屋敷が生まれます。武家屋敷におきましては、寝室のみに畳を敷き、他は板の間とするのが一般的でございました。

 

室町時代になりますと、幕府が京都に遷されましたため武家屋敷に貴族や僧侶のテイストが加わり書院造が誕生いたします。

書院とは、もともと禅僧の住まう居間兼書斎の名称でございましたが、やがて床の間(または押し板)、違棚、付書院などの座敷飾りを備えた座敷や建物を広く書院造と呼ぶようになりました。書院を中心に構成された書院造は、接客や対面の機能を重視し、床の間に最も近い畳を上座とするなど格式を重んじるものとなっております。

 

この書院造が、武家の間で「正座」が始められる切っ掛けとなったのでございます。

まず、書院がヨーガの座法、金剛座(正座)を知っていた禅僧の住まいであったこと。

次に、書院造が接客・対面を目的としており、敬意を表す正座がその目的に適していたこと。

そして、畳が敷き詰められることにより正座がしやすくなったことが、普及の切っ掛けの大きな理由でございます。

 

また、畳を部屋全体に敷き詰めましたのは、足利義政が東求堂に作りました同仁斎という四畳半の居室が最初ございまして、これが四畳半茶室の源流でございます。

 

 

<畳のサイズと敷き方>

 

安土桃山時代になりますと、茶の湯が大流行いたしまして武家の間に正座の習慣と共に畳が普及いたします。

丁宗鐡の言うように、茶の湯が胡坐や立て膝で行われていたのであれば、畳がこれほど普及することはございませんでしたでしょう。むしろ、板の間の方が茶を点てる様々な道具を置くには安定感がございます。わざわざ高価な畳を、我も我もと導入するとは思われません。

 

この時代に行われた太閤検地により一間が6尺3寸と定められ、畳の長さもそれに合わせて6尺3寸、幅はその半分となりました。もっとも、これは京間サイズでございまして、江戸間の畳は5尺8寸でございます。これは、江戸時代に増税を行うために一間が6尺と改定され、6尺を元に柱割りという柱の幅を間口に含めて畳のサイズを算出したこと由来します。

 

茶の湯の流行により、江戸時代初期には武士と財力のある商家に畳が普及し、また江戸時代中期以降、一般の町人にも次第に広まっていきましたのは前回ご説明申し上げたとおりでございますが、それでも畳が貴重品であったことは確かでございます。そのため、商家などでも大広間の畳は、敷きっぱなしにせず蔵などに大切に保管しておくことが殆んどでございました。

 

現代でも、畳の敷き方に祝儀敷き・不祝儀敷きがございますが、婚礼や葬儀など人が集まる際に大広間に畳を敷いた際、祝儀と不祝儀で敷き方を変えたことの名残でございます。現代では、会合の度に畳を敷きかえるようなことは致しませんので、一般の住宅で不祝儀敷きを見ることはございませんが、寺などで見られる畳を同じ方向に向けて並べた敷き方が不祝儀敷きでございます。一般の住宅での敷き方は、通常、祝儀敷きとなっています。

 

四畳半の敷き方で、半畳を真ん中に敷くのは「凶敷き」と申しまして、不祝儀敷きを超越した禍々しい敷き方でございますので絶対におやめ下さい。

 

また、床の間の前に敷く畳は、必ず畳縁を床の間に平行にして敷きます。こうしますと、畳の目の滑りやすい方向が床の間に向き、床の間に飾られたお軸や美術品などを拝見する際に、にじり易くなるのでございます。

つまり、床の間のすぐ前で立ったり座ったりするのも御法度なのでございます。床の間に飾られた美術品に万一の事があってはいけません。床の間より少し離れた所で座り、にじって床の間に近寄り拝見いたします。拝見後は、にじって下がり少し離れた所で立ち上がるのがお作法でございます。

 

 

<日本人と正座>

 

さて、2回にわたりまして正座と畳の歴史を見てまいりましたが、日本人が正座をする理由は次の二つにあると言えましょう。

 

・ 相手に対する敬意

・ 安定した姿勢で何かを行うための不動の姿勢

 

日本人は、人だけでなく物に対しても敬意を払うものでございます。

人と接し物を扱う商家などでは、正しい姿勢で対応できない使用人がいては大店の信用に拘わりますゆえ、使用人の教育も行き届いておりました。

また、日本には行儀見習いという制度がございまして、身分の低い町人でも大店や武家に奉公に出て行儀作法を習う機会があったのでございます。実際、江戸城の大奥で水くみや薪割りなど力仕事をする「お末」などは、町人の娘などが多かったのでございますが、お末といえども何処で身分の高い者に出くわさないとも限りません。そのような場合の行儀作法は徹底的に仕込まれたのでございます。

 

 

信用第一の両替商

 

つまり、家に畳が無くとも庶民は奉公先で正座を始めとする行儀作法を習得し、それをまた子や孫に伝えたりできたのでございます。

 

日本人であれば、どなたも幼少の頃にお年寄りから「畳の縁を踏んではいけません」などと叱られた体験があるものでございましょう。このような行儀作法の元は茶の湯の作法でございいます。確かに、正座と畳が武家に広まりましたのは茶の湯の大流行のおかげでございますが、茶の湯の行儀作法は行儀見習いを通して瞬く間に庶民の間にも伝わったのでございます。

 

渓斎英泉「炉ひらき」

 

 

格上の御屋敷に奉公して格上のお作法を学ぶ行儀見習いという風習は、英国の貴族の子弟にもあるそうでございますが、このような風習のないお国の方には、庶民が上流階級の作法を学べるルートが存在するなど思いもよらない事でございましょう。

 

茶の湯の作法は、現代の日本にもそれと知られずに息づいておるのでございます。

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

茶の話(19) 丁宗鐡をぶった斬る その7

前回は、江戸初期に編纂された「人倫訓蒙図彙」より、商人などの描かれた方により町人の間での「正座」の浸透を見てまいりました。

今回は、職人および農民の描かれ方から、庶民と農民への正座と畳の普及について考察してまいりましょう。

 

 

まずは、職人の部でございますが、様々な姿勢で描かれております。

職人でございますゆえ、基本は仕事がしやすい姿勢でございましょう。

 

絵師(左)と金彫師(右)でございます。

絵師は、しっかりと正座。金彫師は、粋に立て膝で彫金しております。

 

 

こちらは、毛皮職人、矢を作る職人、鎧兜を修繕する職人、香を調合する香焚師。

それぞれ作業のしやすい姿勢で仕事いたしております。香焚師は、正座で調合しております。

 

 

左から、形彫師、作花師、楊弓師でございます。

形彫師は、反物に小紋などの柄を付けるための型を彫る職人でございます。

形彫師と造花を作る作花師は、それぞれ正座で作業いたしております。

楊弓は、小さな矢で的を狙う射的のような遊びでございます。

 

 

こちらは、綿摘み女、洗濯女、湯熨師でございます。

綿摘みは、綿入れの着ものなどから綿を取り出したりする老女や少女向けの軽作業でございます。

湯熨は、反物に蒸気を当てて布目を整えるアイロンのような作業でございます。

通常、板張りをして伸ばしますが、縮緬や絞りなどの板張りでは風合いが損なわれるものを湯熨をかけます。

 

 

こちらは、和菓子職人。左から、道明寺師、煎餅師、ちまき職人、餅師でございます。

道明寺は、桜餅などに使われる道明寺粉を作る作業でございますが、細かい作業らしく正座で行っております。

 

 

こちらは、茶道具関係の職人。左から、紙入れ師、巾着師、茶入袋師でございます。

ご覧の通り、職人は作業に適した姿勢で仕事をしておりますゆえ、正座で描かれている者より胡坐や立て膝の者が多くございますが、職人といえどもお武家相手に接客致します時には、茶入袋師のように正座で対応いたします。

 

傾向と致しましては、繊細さが要求される作業では正座が多いようでございます。

 

 

左から、畳職人、鏡職人、鋳物職人、天秤職人。

 

商人の部と職人の部を見てお分かりの通り、元禄3年にして既に町人にも畳がかなり普及いたしております。

人倫訓蒙図彙でも、畳師として畳職人が紹介されております。

 

江戸時代は武士の世の中と考えられがちでございますが、実は、元禄時代には既に経済の実体は町人に握られておりました。

畳は、安土桃山時代から江戸初期にかけて、茶の湯の流行によって武士の間で正座と共に普及いたしましたが、経済の実態を握るほどの財力が集中した商家などにも既に広まっていたのでございます。

 

丁宗鐡は、武家に畳と正座が普及したのが江戸時代中期から後期、庶民に普及したのが明治末期と主張しております。彼の歴史認識には、なぜか必ず150年程度のズレが見られまして、安土桃山時代に150年前に滅亡した高麗人が登場したり致します。

 

実際には、江戸初期にはほとんどの武家に畳が普及しておりました。元禄にもなりますと、ご覧の通り商家にも普及いたしております。

とは言いますものの、当時はまだ天然のイグサを使用しておりましたため、貴重品であったことは確かでございまして、「御畳奉行」なる役職も設置されております。また、身分によって畳の縁の色や柄、材質に制限がございました。

 

江戸時代中期から、長屋住まいの庶民でも畳を持つものが登場いたします。

当時の長屋の間取りは、四畳半の板敷きと一畳半の土間が標準で、畳は入居者が自前で用意しておりました。

やがて、江戸時代後期には畳の需要が増えるにつれてイグサの栽培が行われるようになり、価格も手ごろになると町人のほとんどが畳を使うようになったのでございます。

 

「茶々を入れる」と同じ意味のことわざに「半畳を入れる」というのがございます。

江戸時代の芝居小屋で役者の演技に満足しない観客が、半畳サイズの畳を舞台に投げ込んだことから出来たものでございます。さしずめ現代の大相撲で座布団が舞うがごとくの光景でございましょうが、それほど畳がポピュラーなものになっていたという証左でございましょう。

 

農村部に畳が普及いたしますのは、明治に入ってからでございます。

しかしながら、「畳が普及していない=正座が普及していない」とは限らないのが歴史の面白さでございます。

 

人倫訓蒙図彙の「農人の部」は、野外で作業する農民の図がほとんどでございまして、なかなか正座の図はございません。

脱穀、耕作

田植え

 

 

右側の図は、綿師と言いまして養蚕農家でございます。

絹糸は、お蚕さまの命を頂いて作る貴重な品でございます。

大切なお蚕さまを前にして正座をする綿師は、まさに日本人の心を表していると言えましょう。

左は、炭焼きの図でございます。

 

このように農民であれども、時と場合に合わせて正座もいたすのでございます。

 

畳がほとんど普及していなかった農村でございますが、右の図ように「円座」という座布団を作りまして使っておりましたため、正座をすることもできたのでございます。

円座作りの隣りは、筵打ち。左の図は、瀬戸物を焼く土窯師でございます。

 

江戸時代の庶民の教育機関と言えば寺子屋でございますが、寺子屋は元禄時代には農村・漁村にも普及しておりました。

 

 

寺子屋では手習いを中心に教えますが、習字と言えば正座が基本。

農民や漁民にも、このようにして正座の習慣が広まったのでございます。

 

 

江戸後期には、農村でも茶の湯が流行していたという資料を展示した、博物館のニュースもございます。

 

【愛知】農村でも愛された“茶の湯” 一宮市博物館で道具や文書展示

 

 江戸時代に、尾張西部で盛んだった茶の湯文化を紹介する企画展「茶の湯の浸透-茶進上仕りたく」が一宮市大和町妙興寺の市博物館で開かれている。7月26日まで。

 茶の湯が農村にまで浸透していたことを伝える資料や茶道具など計86点を展示。京都から尾張地方に供給された宇治茶の生産の様子が分かる絵図や、尾張藩に出入りした宇治茶師に関する資料も並ぶ。

 江戸後期に広がった茶の湯の中心は、地域の実力者である庄屋だったといわれ、ある庄屋により1839(天保10)年に記された「茶事記」からは、茶の湯を楽しみながら、知識人と交流を深め、国学の知識を重ねたり、和歌や雅楽を堪能したりする様子が分かる。

 別の庄屋が公私を書き連ねた「雑略記」からは、幕末になると正式な茶会のほかに家族や趣味仲間などとも日常的に茶の湯を楽しんでいたことがうかがえる。

 入場料は一般200円、高校大学生100円、小中学生50円。11、19、25日には小中学生向けのイベント(参加料200円)もある。(問)市博物館=電0586(46)3215
http://tabi.chunichi.co.jp/odekake/0701001aichi_tea.html

 

 

 

大変長くなりましたので、ひとまずここまでと致します。

後ほど、古事記からの畳の歴史を見てまいります。

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

  

「夫婦別姓」と「戸籍制度廃止」 (14)

前回】のつづき>>>>

 

 

 

美和子が去った席を、与一は背中を丸めてじっと見つめた。
照明がグラスを通して白いテーブルクロスに、きれいな葡萄色の影を落としている。

 

与一は、ふっと顔を上げると祐介に向き直った。

 

「ねえ。さっきの矢頭さん、いつもの矢頭さんらしくなかったよ。いつもは、すごく冷静なのに。どうしてお姉さんに対してあんな風に言うの?」
「なんだ、与一。ずいぶんお姉さんの肩を持つんだな」
祐介は笑った。
「そんなんじゃないよ。でも、なんかお姉さん見てたら、可哀相になったんだ。ちょっと涙ぐんでたし」
「そうだったね。でも、お姉さんにはしっかりしてもらわないと。来週から、敵の真っ只中で仕事してもらうんだし。僕らの仕事が終わるまでの二週間の間に、彼らに丸め込まれでもしたら困るからね」
「え?お姉さんの役割はもう終わったんじゃないの?」
「一つはね。でも、実はもう一つあるんだ」
「お姉さんは、それ知ってるの?」
祐介は、与一の眼を見ながら微笑んで言った。
「与一。これは内緒だ」
「騙してるの?」
「そうじゃない。知らない方が本人も気が楽だし、難しいことでも危険なことでもないからさ」

 

「川村先生みたいな、難しい仕事じゃないのね?」
与一の母の君江がキッチンから口をはさんだ。
「大丈夫ですよ。放っておいても、今日みたいに入ってくるはずの情報を持ってきてもらうだけだから。本人もそれと知らずに」
「それならいいけど」
君江は、エプロンで手を拭きながらテーブルに戻ってきた。
「それにしても、川村先生はお気の毒だわ。私なんて、生活と夫の看病のことしか頭になくて、選挙公約に釣られて民主党に投票し

てしまったんですもの。それで、与一にまであんな苦労をさせてしまって。馬鹿だったわ。少しでも収入の足しになるなんて考えて

・・」
「それは、仕方ないですよ。仕事しながら看病して与一君の面倒も見てたら何も考える時間なんてなかったでしょう」
「でも、川村先生の不幸は、私みたいな自業自得じゃないのよ。先生のご主人がずっと大石議員の支援をしていたから狙われたのよ。川村先生の他にも、同じような目に遭ってる支援者がいるって聞いたわ。民主党は、自分たちを支援しない者からは何でも奪い取るって。あの口蹄疫もそうだったんでしょう?だから民主党支持基盤の強い県は儲かったって聞くわ」
「民主党なんて、名前だけ民主主義で中身は独裁さ。やってることはスターリンやポルポトと変わらない」
君江は、少し不安そうな目をした。
「大丈夫ですよ。もうすぐ僕らが何とかします。と言っても、大石さんが全部考えた計画なんですけどね。でも、やれるとしたら今しかチャンスはないから。与一君にも頑張ってもらってますけど」
「お願いしますね、矢頭さん」

 

「ねえ、ねえ。矢頭さん。さっき言ってた『日本は最大の債権国』ってどういうこと?」
思い出したように、与一が訊ねた。
「ああ、あれか。こういうことだよ。例えば、君がお金を貸してあげてる友達が、誰かと殴り合いのケンカをして死んだりしたら困るだろう。一先ず、その友達の味方に付こうと思わないか?」
「うん」
「でも、君がお金を借りてる相手だったらどうする?」
「ああ、そういうことか」
与一は嬉しそうに笑った。
「矢頭さんたちといると勉強になることが多いね。でも、日本ってそんなに外国にお金貸してるの?」
「ああ、援助という名目でね。日本人は、国際協力とか援助というと無条件にいいことだと勘違いしてるけど、状況によってはそれが最悪の事態を招くこともあるんだ。援助をしていれば有難がられるとか、信用されるとか思いこまない方がいい」
「そんなものかなぁ」
「日本が、これまで最大の援助をしてきた国を見ればわかるだろう。中国だ。中国は、日本の援助で発展したと言っていい。でも、彼らが有難がっているか?それどころか、日本の援助で拡大した軍事力で恫喝したりしてきている。二番目に援助の多い韓国だって同じだ。世の中なんて、そんなものだよ」
「ああそうか。でも、学校の先生は日本が悪いことをしたから、中国や韓国が反発しているって教えてたけど」
「あっはっは。そりゃ、典型的な日教組教師だな。中国や韓国は、自力で発展してきたと国民に嘘をついているから、日本からの援助を隠し通したいだけさ。そのために、必死になって日本にも工作を仕掛けてきている。オンライン授業のアーカイブに関係した資料があるから、それを読めばよくわかるよ」
「わかった。ありがとう」
「与一は頭がいいから、まじめに勉強しておけよ。世の中が元に戻ったら、すぐにいい学校に入れるように手配するから」
「何から何まで、面倒見ていただいて・・・」
君江は、立ち上がって深々と頭を下げた。
「気にしないでください。僕の力じゃないですから。大石さんが解放されたらお礼を言ってください。それじゃ、僕は帰ります。ごちそうさまでした」
「お気を付けて」
君江と与一がドアまで見送ると、祐介は軽く会釈してから与一の頭をひと撫でして部屋を出て行った。

 


    *    *    *    *

 

 

「美和子、ちょっといい?相談したいことがあるの」
越善マユミは、書類を片手に美和子を手招きした。

 

美和子が、古巣のNBSテレビに戻って五日が過ぎていた。祐介の言っていた局の異常さは、入って一日目で理解できた。

局は、韓国人とKカード保持者の元日本人の巣窟と化していた。仕事のできるスタッフは全員辞めていて、報道部は取材も碌にできない素人集団が跋扈していた。こんな無能な集団と一緒に仕事をするかと思うと気が滅入りそうだったが、結局、美和子はマユミと同じ管理部門に配属された。
辞めたスタッフたちは、CS放送で仕事をしているという。以前からいる韓国人スタッフと、新たに入った素人スタッフだけになった局では番組作りも何もできず、韓国から仕入れたコンテンツを朝から晩までひたすら流しているだけだった。どこの局も、同じような状況らしい。局によって、韓国人の代わりに中国人が入り込んでいる程度の違いしかないという。美和子が、帰国して最初に泊まったホテルで見た韓国語放送と中国語放送は、単純に無能集団の成せる業でしかなかった。これで、まともなスポンサーが付くはずもなかったが、民主党が民法各局に莫大な公的補助を出すことを決めたおかげで、給与水準は以前と変わっていなかった。

 

これが、祐介の言う異常な局の実態であり、かつ、マユミの称賛する素晴らしい職場であった。

 

美和子は、マユミの後からミーティング・ブースのテーブルについた。
座るや否や、書類を広げてマユミが話し始めた。
「ねぇ。これを見てちょうだい。民主党の大訪中団のパンフレットよ」

 

パンフレットの表紙には、五星紅旗の赤地に『2011民主党代表と行く大訪中団。8.15中国共産党主席との大晩餐会』の黄色い太文字が躍っていた。

 

「私、これに同行取材することになったのよ」
「民主党の大訪中団?」
美和子は訝しげにマユミを見て言った。
「そうよ。大訪中団は民主党が政権交代した直後にもあったけど、今回はさらに大規模なのよ。党の幹部と議員は全員行くわ。それに多くのKカード保持者が招待されるの。総勢3000人の大移動よ」
「3000人・・・」
「そうよ。飛行機のチャーターだけでも大変なものだわ。美和子は、Kカードをまだ取得してないから残念ながら今回の同行取材は無理なんだけど、私の取材の準備を手伝ってくれないかしら?美和子は、前に局にいた時に何度か北京を取材してるわよね。その時と比べて現在の北京はずいぶん変わっているでしょうけど、わかる範囲でいいの。下調べに手を貸してちょうだい」


マユミは、8月15日に民主党幹部と議員が中国を訪れることの意義を滔々と語った。

 

まるで得意の絶頂にいるかのようだったが、美和子には本来眩しいはずのマユミの姿が儚いものに見えた。

 

 


>>>> つづく

茶の話(18) 丁宗鐡をぶった斬る その6

purple-dさまのご紹介で始まりました、丁宗鐡をぶった斬るシリーズも、いよいよ6回目を数えることとなりました。

 

丁宗鐡は、正座は江戸時代の武士階級の作法で、庶民が正座を始めたのは明治政府が広めたためと主張しているようでございますが、その真相やいかに?今回も、江戸時代初期に編纂されました「人倫訓蒙図彙」を駆使して、日本人と正座の歴史に迫りとう存じます。

 

 

またまた、恐縮ながら前回と同じウェブサイトからの引用でございます。

ウェブサイトを書かれた方が、丁宗鐡の主張を纏めていらっしゃいます。

 

 

==== 引用開始 ====
http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/zaturoku27.html

 

この支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた。これが、女子教育の茶道にも取り入れられた。茶道と正座の関係は、思っているほど深くはないようだ。

 

 今日、“正座”と呼ばれる座法は、本来は「かしこまる」とか「つくばう」「跪坐(きざ)」「端坐(たんざ)」などと呼ばれ、主として神前、仏前での儀礼的な場面で行われ、また主君に対して家臣がかしこまる姿であった。そして庶民が日常的に正座をするようになったのは、畳の普及や座布団(ざぶとん)の使用が正座を広めた側面もあり、それらが庶民に普及し始めた明治末ではないかという。

 

==== 引用終 ====

 

 

>この支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた。

 

百聞は一見に如かず。「人倫訓蒙図彙」で町人、農民など庶民の描かれ方を確認いたしましょう。

 

 

まずは、芸道者や算勘など専門職の部から。

 

左は筆道者、現代的に言えば書道家でございまして、右は学者とございます。

 

学者や筆道者などの元々の身分は、武士や僧侶ばかりではございません。実力の世界ですので町人出身者もおります。

 

こちらを見ますと、武士が師匠に畏まって教えを受けております。

日本人にとりましては、どのような出身の者でも師匠と名がつけば、尊敬の対象でございますゆえ、武士と言えども教えを受ける際には正座してかしこまるのでございます。

 

つまり、以下の考え方は正しいとは申せません。

 

>今日、“正座”と呼ばれる座法は、本来は「かしこまる」とか「つくばう」「跪坐(きざ)」「端坐(たんざ)」などと呼ばれ、主として神前、仏前での儀礼的な場面で行われ、また主君に対して家臣がかしこまる姿であった。

 

丁宗鐡は、正座を主君に対する忠誠の表現と誤解しておるようですが、正座は忠誠を表すものではございません。

正座は「敬意」を表現するものでございます。

 

 

左頁にございますのは、目利き(鑑定士)と香嗅ぎ(香道者) 、右頁は立花(生け花)と庭作りの様子でございます。

 

目利き、香嗅ぎ、いずれも正座いたしております。目利きに鑑定を依頼している者も正座していると思われます。

目利きが正座をいたしておりますのは、依頼人からの貴重品を丁重に扱っておるためでございます。

香嗅ぎの正座は、茶道と同じく香道にも「不動の姿勢」が採り入れられたものでございます。

 

生け花をしている武士も正座でございます。花に対する忠誠心はございませんでしょうから、これも不動の姿勢でございましょう。

しかし、庭作りともなりますと、このようにワイルドな出で立ちで行わざるを得ません。

 

 

左頁は商家の算勘(経理)の様子、右頁は、諸礼者が武士に講義をしている場面でございます。

 

算勘の右上に描かれているのは、羽織を付けておりますので番頭でございましょう。胡坐をかいております。

算盤を弾いておりますのベテランの手代、手前の前髪は丁稚でございますが、それぞれ正座いたしております。

 

このように江戸初期にして、商家の人間、つまり町人も正座をしていたのは明確でございます。

 

 

 

右頁は、一筋切(ひとよぎり)と申しまして、尺八から派生した楽器でございます。

師匠も、前髪の武士の子弟も正座いたしております。

 

しかし、武士と言えども、魚を捌く台所方ともなりますと、正座などしてはおれません。

 

 

 

右頁は、囲碁や将棋に興じる様子でございます。武士や坊主も、リラックスして思い思いの座り方をしております。

因みに、左頁に描かれておりますのは、楽人でございます。 

 

 

次に、商人の部を見てまいりましょう。

 

 

まずは、呉服屋でございます。

 

呉服屋と言えば、高級品を取り扱う大店でございます。

使用人の教育も行き届いておりますゆえ、作業に適した姿勢で商品を取り扱っております。

当然、正座もいたします。

 

 

 

古手屋(右)は、古着を売買するカジュアルなお店でございますが、武士相手に接客いたします際は、正座で畏まって対応いたします。

 

しかし、大店と違い客も来ない時間には、左頁の切れや(端切屋)のとおりでございます。

 

 

 

左の質屋は、相手が町人ですので畏まることなく胡坐で対応いたしております。

 

唐物屋(右)は、輸入した茶道具などを扱う店でございますが、客がキセルをふかすような状況では、立て膝でざっくばらんな対応でございます。取り扱い商品の性質上、顔なじみが多いようでございます。

 

 

 

蘭麝粉屋は、異性を誘う香料のお店でございます。

妙齢の女性客が多い商売でございますゆえ、正座で丁寧に対応しておるようでございます。

 

 

 

左は珍しい商売で、口寄せ巫女と書いてございます。

いわゆる霊媒師でございますが、正座を致しておりますのは、霊界に対する敬意でございましょうか。

あるいは、客が帯刀しておりますところを見ますと、武士への敬意でございましょうか。

 

右は、遊里の店の様子でございますが、太夫は正座しております。

手前におりますのが「やり手」、左におりますのが「くつま」と申します店の主人でございます。

ここでも客はお武家のようでございます。

 

 

現代におきまして「かしこまる」という言葉から誰もが連想いたしますのは、店員の使う「かしこまりました」という言葉でございます。江戸時代、士農工商の一番下に位置づけられた商人であればこそ、かしこまる機会がどの身分よりも多かった名残でございましょう。

 

 

 

次回は、職人と農民、畳の歴史を見てまいります。

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

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