FC2ブログ

バ韓国人「チョッパリは、犀のCD買えニダ」

YouTube再生回数「江南スタイル」5億回突破も 

CD販売低調の背景にある、韓国音楽業界の縮小

 

YouTubeに掲載されている韓国人歌手PSYの「江南(カンナム)スタイル」のプロモーションビデオが20日午前現在、アクセス数が5億回を突破した。これはYouTubeの歴代最多アクセス動画ランキングで4位に相当する。
 
しかし、韓国内におけるCDの売り上げで見た場合、「江南スタイル」が収録されたPSYの6枚目のアルバム「サイ6甲Part.1」は、韓国メディアによると9月の時点でわずか6万7913枚の販売にとどまっているという。
 
 この背景には、韓国内の音楽市場の縮小がある。韓国の文化体育観光部は、韓国内の音楽産業の市場規模が、2000年の4104億ウォン(約294億円)を頂点に、急速に下落していることを明らかにした。2006年以降も低迷を続け、2010年の国内音楽産業の規模は823億ウォン(約59億円)と、10年の間に5分の1の水準まで下落した。また、昨年の音楽産業の売上高のうち、オンライン音楽流通業が全体の21%を占めるのに対し、CDを含むアルバムの売上高の割合は、4.4%だった。
 
 韓国内のCDの販売低調の背景には、違法ダウンロードが影響しているとみられている。このような状況もあり、韓国にとっては、海外でのヒットは音楽業界に直接的な利益をもたらすため、重要な位置づけになるようだ。
 
 何かと話題が尽きない「江南スタイル」。世界では注目を集めているが、日本での知名度はまだ低い。今後の展開が気になるところだ
 (加藤 秀行 、 簗瀬 七海)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121028-00000001-sh_mon-bus_all

 

 

 

何が、韓国音楽業界縮小だよ、バカ。最初から小さすぎて話にならないレベルだろ。

 

 

>日本での知名度はまだ低い。今後の展開が気になるところだ。

 

いやいや、こっち見るなよ。キモチ悪いんだから。

 

 

なにしろ、IT先進国の芸能先進国のテクノロジー先進国のバ韓国なんだから、CDなんて時代遅れなものは売れなくてもいいんだろーが。えー?

 

いまだにCDを買う日本人を、遅れてるとか揶揄してるんだから、あてにすんなバカ!

 

 

こないだ、バ韓国人に見せてやりましたよ。私のCDコレクションを・・・

 

つっても、たったの400枚程度しかないんですけどね、腰抜かしてましたよ、バ韓国人は。

 

まあ、バ韓国に限らず発展途上国は、コンベンショナル・テクノロジーのメディア資産がないから、新しいものが出れば簡単に飛びつくワケなんですが。

 

 

まあ、私も、どーでもいい曲はダウンロードで済ませたりしますがね。

 

だからといって、これまでのコレクションを簡単に捨てやしません。

 

必ずしも同じものが、オンラインでゲットできるわけでなし。限定版とかいろいろありますし。

 

 

未だにCDを買うと言って笑う、バ韓国人には、あなたのCDコレクションの数を教えてやると腰抜かしますから。

 

日本人なら、それほど聞かない人でも、なんだかんだ100枚200枚持ってるもんです。一度数えてみるといいですよ。

 

 

 

スポンサーサイト

「日本は自分を慰めている」と言って自分を慰める支那人

日中関係の冷え込み、本当に“痛い”のはどちらか―中国メディア

 

23日、尖閣諸島をめぐる日中両国の関係悪化による中国旅行の安全性への懸念や反日活動が招いた中国に対する悪感情が原因で、団体客のキャンセルなどで日中間の定期便の16%が減便となった。

 

2012年10月23日、国土交通省の最新報告によると、日本が尖閣諸島の国有化を正式に発表した9月中旬以降、日本人の中国への観光ツアーは半減した。それでも、日本には「中国の観光部門が被る損失は甚大で、日本よりも大きい」とするメディアもある。

しかし、中国の学者、何茂春(ホー・マオチュン)教授は取材に対して、「日本のメディアが中国が被る観光収入の損失のほうが大きいと報じているのは『自分を慰める』ため。中国人の日本観光によって日本側が得られる直接観光收入と間接観光收入は、いずれも日本人の中国観光によって中国側が得られるそれを上回っている。日本のメディアは目先の小さな利益だけを追っていれば、アジア大国である中国という大きな利益を失う」と指摘している。

人民日報系の国際情報紙・環球時報が伝えた。

http://news.livedoor.com/article/detail/7085376/
 

 

 

これは、シナとバ韓国にありがちな論調ですね。

 

 

コトが、日中関係、日韓関係になると、まるで世界には日本と自国しかないかのようなハナシになるんですねぇ。

 

まあ、そうなんでしょうね。シナやバ韓国にとって、日本は余人を以て、じゃなくて他国を以て代え難い国なんですよ。

 

日本の代替となりうる国はないんです。

 

 

しかし、日本にとっては、別にシナやバ韓国の代わりはいくらでも・・・というか、東南アジア諸国やインドの方が、なんぼマトモか。

 

 

>アジア大国である中国という大きな利益を失う

 

え?ここ、笑うとこですか?

 

中国なんか相手にしてたら、損害の方がどれほどデカいか。

 

利益を失うなんて思ってるのは、経団連のタヌキ面した売国ジジィぐらいなもんですよ。

 

 

中韓と交流がほとんどなかった時代の日本が、どれほど経済的に沸き立っていたことか。

 

 

 

ハングルの圧倒的劣等性

ソウルからヨボセヨ 「ハングル輸出」は虚報


 韓国独自の文字であるハングルは民族的自慢のタネで、10月9日が「ハングルの日」として以前は祭日だった。しかし祭日が多すぎると休日からははずされたため、復活を望む声が強い。来年には復活の可能性があるとかで、カレンダー業者が気をもんでいる。


 そのハングルをめぐってまずい話が起き問題になっている。先年、インドネシアの小さな島の部族がハングルを自分たちの「公式文字」に採択したというニュースがあり「ハングルの優秀性を世界に示した」として官民挙げて大喜びした。教科書でも紹介されるまでになったのだが、最近、この話はマスコミが誇張したもので「公式文字採択」は虚報と分かった。政府も教科書や各種展示を手直しすることになったという。


 この少数部族というのはスラウェシ島に近いブトン島のチアチア族といい人口は6、7万人とか。固有の部族語を話しているが、韓国の団体が援助を餌にその部族語の表記にハングルを使うことを勧めた。


 その結果「公式文字に採択」となったというのだがインドネシアはローマ字が公用文字。地方の部族が別の文字を公式文字に採択するのはありえない。実際は単にハングルを学んでいるといった程度だったのだ。ハングル愛国主義の勇み足である。(黒田勝弘

ソース : 産経 2012.10.20 03:01
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121020/kor12102003020000-n1.htm
 

 

 

ハングル輸出が虚報だと聞いても、今更驚く人もいませんでしょう。

 

それにしても「ハングルの優秀性」ってフレーズは、何回聞いても爆笑ですわ。

 

韓国人は、なぜか「優秀性」って言葉が大好きなようですが、ハングルほど文字として全く優秀でない文字も珍しいでしょう。

 

 

そもそも「文字」とは、なんでしょうか。

 

 

文字とは、人の考えや世の中の出来事などを伝えるツールです。

 

要するに、「意味を伝える」ことが文字の最も重要な役割なわけですが。

 

 

先ごろ、報道された世界文字オリンピック(笑)で、ハングルが金メダルを受賞したニュースによりますと、ハングルの優秀性(爆)の根拠は理論上1万1千もの音を表現することができることだそうで。

 

 

いやいや、文字で音なんか、まあ表現はしますけどね、音だけを表現するんだったら音符の方が・・・とまでは言いませんが、漢字のように意味が伝わらないんじゃ、発音記号の方がマシですね。

 

 

というと、アルファベットはどうなのよって言う人がいるのですね。多分、あちらの方かしら?

 

 

 

確かにアルファベットそのものは、音しか持っていませんけどね。でもアルファベットを活用する言語には意味を伝えるためのスペリングというものがあるんですよ。

 

スペリングには一定の法則性があるので、初めて見る単語でも意味を類推できたりしますし、漢字のように字面を見て視覚的に意味を読み取ることもできます。

 

英単語の接頭辞を見れば、ex =外側へ、in =内側へ、inter =相互に、ab =離れる、pre =前に、といった意味合いを、接尾を見れば、ion =名詞、al =形容詞、ly =副詞というふうに読み取ることができます。

 

例えば、nation = 国家 という単語の接尾に-al をつけるとnational = 国家的 という形容詞に、さらに接頭に inter をつければ international = 国家間、国際的 となります。

 

 

 

ラテン語由来の言葉などを知っておくと、さらに便利です。

 

例えば、ラテン語の Dictatus (述べられた)という言葉から派生した単語には、「述べる」ことに関するものがたくさんあります。

 

dictate = 口述、dictionary = 辞書、predict = 予言する、indict = 告訴する、

indicate = 示す、verdict = 評決、contradict = 矛盾する

 

このように、単語のどこかにdict が入っていれば、論述に関する意味であることを類推できるのです。

 

 

 

ところが、文字が音しか表現できなくて、スペリングのような意味を伝える仕組みがなければどうでしょう。

 

例えば、nation national を、カタカナで書くと「ネイション」「ナショナル」となり、「ナショナル」が「ネイション」から派生したと類推するのは、英語の知識がなければ案外難しいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

カタカナであれば、まだ象形文字である漢字から派生した文字ですから、まだしも、かの国の優秀な(笑)ハングルともなると、丸と棒の組み合わせで音を表しているだけです。

 

言ってみれば麻雀牌のピンズとソウズを組み合わせて、音を表すような。

 

イーピン+イーソウで「ア」とか、リャンピン+スーソウで「ケ」とか、サンピン+リャンソウなら「シ」みたいな・・・

 

 

 

 

まー、普通に考えて「ハングルは、意味を伝えるには最悪な文字」であることは、間違いないですね。

 

 

 

 

会意兼形声文字

 

昨日のエントリで、以下のようなコメントをいただいたのですが、

 

 

Commented bynakawankuma さん

 

謝はシャと読みますが。射のシャという音を借りているだけで、意味なんか持っていません。

 

 

結論から言ってしまうと、この方のご意見は間違いなのですが、ふと、思い出したことがあります。

 

 

 

昔は、「この漢字の旁は、音を借りているだけ」という教え方をする、国語の先生が多くいたように思います。

 

漢字には、会意文字と形声文字がありまして、偏と旁を組み合わせるとき、既存文字の意味を合わせて作られた文字が会意文字、音だけ借りてきて作られた文字が形声文字です。

 

以前は、漢字には会意文字と形声文字しかないような教え方をしていたようですが、最近では、研究が進み「会意兼形声文字」あるいは「会意形声文字」という分類がされるようになりました。

 

もしかしたら、辞書なども古いものには、会意文字と形声文字の分類しかないものがあるのかもしれません。

 

 

 

最近では、「音だけ借りてきた」という形声文字よりも、「できるだけ近い音で、意味の通る文字」を借りてきたと解釈される「会意兼形声文字」が多数を占めるようになりました。

 

 

以前は、日本語しかできない国語研究者というのが多かったので、日本語の世界を中心に研究を進めてきた感があります。

 

しかし、中国語など他言語との比較研究も進むようになると、これまでの説がいろいろ間違いであったことに気づいたというわけです。

 

 

たとえば、「謝」と「射」ですが、日本語では同じ「シャ」という音ですが、中国語では違う発音なのです。

 

  謝 = xie    射 = she

 

広東語でも、 謝 = je 射 = se と違う音です。

 

 

音だけ借りてきたと言うなら、微妙に音の違う「射」ではなく、同じ xie と発音する文字は「写」「些」「血」「解」などいくらでもありますので、そちらを採用したでしょう。要は、できるだけ近い音で、意味の通る漢字を選んだということですね。

 

 

とはいえ、そんな研究は中国でもされていただろうから、日本の研究者が知らなかったのは変だろうと思うかもしれませんが、中国での研究は、例えば魚の絵がどのように「魚」という文字に変化したかという象形文字の領域で、抽象的概念を表す複雑な漢字の成り立ちの研究は、むしろ日本の方が進んでいました。辛亥革命やら文化大革命にお忙しかった、あの国らしいと言えましょう。

 

 

そんなわけで、日本の研究に先を越されていたため、日本の古い学説が割と長いことまかり通ってきてしまったわけです。

 

研究の世界も、日々新しい発見があり、それに伴い過去の学説が変わることもよくあります。とはいえ、昔の研究も現代の研究の基礎となっているわけですから、大いに貢献しているのですね。

 

 

 

研究には終わりがないといいますが、日々の努力を積み重ねる研究者には頭が下がります。

 

 

【日本文化と外国人★よくある勘違い】すみません(2)

 

さて、前回に引き続きまして、「すみません」ネタです。すみませんww

 

 

 

では早速、日本語の「すみません」が、謝罪の言葉としても感謝の言葉としても使える理由をご説明しましょう。

 

感の良い方は、もうお気づきかと思いますが、「謝罪」と「感謝」に共通して使われている「謝」という漢字。この漢字の成り立ちに理由があるのです。

 

 

 

「謝」という漢字は「言」と「射」で成り立っています。

 

「言偏・ごんべん」は、ご存知のとおり言語に関する漢字に付く偏ですね。

 

「射」は、弓を射るの「射る」です。

 

 

 

なぜ、「言偏」に「射」で「あやまる」となるのでしょう。

 

 

 

まず、弓を射る場面をご想像ください。

 

弓に矢をつがえて構えたとき、弓の「弦」は最大限に緊張します。

 

そして、弓を放ったとき、すなわち「射った」とき、弦の緊張はほぐれます。

 

つまり、「射」の字は「緊張をほぐす」ことを表します。

 

 

そして「射」という字に「言偏」を付け、言葉で緊張をほぐすことを表したのが「謝」という文字です。

 

 

 

では、言葉でどのような「緊張」をほぐすのかと言いいますと・・・

 

 

   相手の怒り、

 

   自分の感激、

 

   凍りついた場の空気、

 

   などなど。

 

 

 

そのような訳で、漢字圏では「謝罪」も「感謝」も「言葉で緊張を解きほぐす」ことにかわりないので、同じ言葉を使っても、特に違和感も抵抗も感じないのですね。

 

 

日本人は「すみません」という言葉で、相手の怒りを鎮めたり、自分の感謝感激をほぐしたり、場の空気を和らげたりしているわけです。

 

 

 

 

次回も、たぶん「すみません」ネタです。すみませんwww

 

 

【日本文化と外国人★よくある勘違い】すみません(1)

なぜ日本人はとりあえず謝るのか -世間という共同体の特殊性-

 

町中ではサラリーマンの方々が携帯電話片手にペコペコしています。話している相手は目の前にいないのに関わらず、なぜかお辞儀。それに加え、息をするかの如く口から出てくる「すみません」のという言葉。なぜ日本人はこうも謝るのでしょうか。今回は日本特有の「世間」という考え方から、なぜ日本人はとりあえず謝るのかを解説していきます。

 

誠意がないと「世間」が許してくれないから
本書によると日本人の場合「何かあればすぐに謝らないと、相手や世間が誠意がないと許してくれない」とのこと。それに対して欧米では、謝ったら責任を認めたことになるので謝らないとのことです。確かに、欧米には沢山いる弁護士の主な仕事は言い訳をすること。依頼された人の主張を如何に自然に正当化することで飯を食っているので、納得できる部分もあります。

 

世間とは?
そもそも「世間」とは本書によると、日本に存在しない「個人」や「社会」というものの代わりに存在しているものとのこと。世間はちょっと顔見知りだったり、話したことがある人も含み、非常に曖昧なもので、日本人はその世間から離れて生きていくことはできないと固く信じています。そして、世間の「内」と「外」は明確に区別されています。
 その世間の「内」にいるために、取り敢えず謝るのです。例えば企業が不祥事を起こし「世間に迷惑をかけて申し訳ない」と言ったとしましょう。その際、それを見た世間内の人間は2つの選択肢、「ゆるし」と「はずし」を持ちます。謝らないことは自動的に世間(=国民やユーザー)から「はずし」を受けるため、取り敢えず謝るのです。

また、不祥事を起こし内心では「悪くない」「間違っていない」と思っていても、表面上で「真摯な対応」をしているならば許されるとのこと。それでは、悪は減りませんよね。この「問題を取り敢えず治める」感について今一度考える必要がありそうです。

http://b-chive.com/why-do-japanese-apologize-at-once-seken-is-a-specific-community/

 

 

 

以前から、扱いたいと思っていた事柄に「外国人による日本文化に対する勘違い」ってのがありまして。

 

今回、適当なネタを拾いましたので、茶道モノと同じようにシリーズ化してみようかと。

 

 

で、今回は、みなさんもよくご存知の「『日本人はなぜすぐに謝るのか』と外国人が勘違いしている」という、日本人による勘違いという、勘違いの二重構造についてお話してみようと思います。

 

 

まず、上の記事のいくつかの間違いを整理しておきましょう。

 

>欧米では、謝ったら責任を認めたことになるので謝らないとのことです。

 

こりゃあ、ウソです。

 

欧米では、大きな責任問題につながりそうな事態では謝りませんが、日常生活においては日本人の「すみません」と同じノリで、もしかすると日本人以上に頻繁に「sorry」を連発しています。

 

人前を横切っては、sorry!

道端で人とすれ違っては、sorry!

人にぶつかれば、もちろんsorry!

 

責任や賠償のいらないsorryなら、挨拶がわりにいくらでも連発!最近の日本人の方が余程「すみません」と言わないかもしれません。

 

 

 

>携帯電話片手にペコペコしています。話している相手は目の前にいないのに関わらず、なぜかお辞儀。

 

そもそも、お辞儀は謝る姿というわけではありません。

日本人の生活は、礼に始まり礼に終わるのが本当の姿です。

 

おはようの挨拶をしては、お辞儀。

ありがとうと礼を述べては、お辞儀。

いただきますと食事の前にも、お辞儀。

さようならと別れを告げては、お辞儀。

 

別に、目の前に人がいないからお辞儀してはいけないという決まりはありません。

 

茶道では、にじり口から茶室に入って誰もいない空間に自動的にお辞儀をし、床の間に進んで掛物や茶花を前にしてお辞儀、茶釜を前にしてお辞儀、そして亭主が現れたら当然お辞儀、相客にもお辞儀、道具を拝見してはお辞儀。

 

携帯電話相手にお辞儀しても、なんの不思議もありません。

 

不思議と思う人は、日本人古来の礼儀作法を知らん無作法者か、外国人なのでしょう。

 

 

 

では、「『日本人はなぜすぐに謝るのか』と外国人が勘違いしている」という、日本人による勘違いについて明らかにしましょう。

 

まず、外国人は日本人がすぐに謝ることを疑問に思っているわけではありません。

 

彼らにとって「Thank you」というべき場面で、日本人が「すみません」という言葉を使うのが理解できないと言っているのであります。

 

この点を明確にできていないのが、まず「日本人による勘違い」の第一構造です。

 

 

では、第二構造の「外国人による勘違い」である「日本人は、なぜありがとうという場面で謝るのか」について説明しましょう。

 

これは、一番最初に「すみません」という日本語を、Apology(謝罪)の表現だとしか伝えなかった言語学者だか、辞書の編纂者だか、翻訳家だかわかりませんが、ソイツの責任です(笑)

 

 

ソイツが最初に、「すみません」は I'm sorryThank you Excuse me のいずれの場面でも使える便利な言葉とでも紹介しておけば、こんな勘違いも起きなかったわけです。

 

さらに、事態をややこしくしているのが、外国人に「日本人は、なぜすぐ『すみません』と言うのか」と言われて、まともに返答もできず、ビビってしまう日本人です。

 

 

なぜ、一番最初に外国人からそのような質問を受けた日本人は、「中国人なんか『謝謝』とか言って、ダブルで謝ってますよ」と切り返してやらなかったのかと・・・

 

 

 

 

 

次回は、日本語の「すみません」が、謝罪の言葉としても感謝の言葉としても使える理由についてご説明します。

 

 

 

 

プロフィール

maaz

Author:maaz
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR