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茶の話(6) 韓国茶道ではなぜ急須を使うのか?

本家maazブログ2010/07/06 のエントリです。

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ご好評いただいております韓国茶道はなぜ」のシリーズでございます。

 

さて、今回とりあげますのは、韓国茶道最大のミステリー「急須」でございます。

 

上の写真をご覧くださいまし。
手前の少女の膝前(右下の枠内)に美しい白磁の急須がございます。

 

急須は、抹茶を使用する日本の茶道では用いられない道具でございます。
なぜなら、日本の茶道が確立された時点では「急須」は存在しておりませんでしたので。

 

茶道具の変遷を考察する前に、茶の歴史の流れを簡単にご説明いたしましょう。

 

インドのアッサムから、ミャンマー北部、中国雲南、湖南を結ぶ茶樹の原産地「東亜半月弧」というものがございます。茶は、この地域から世界中に広がったわけですが、中国から日本に茶を飲む風習がいつごろ渡ってきたかは確かな資料がございません。唐の陸羽という文人が記した「茶経」を読めば、唐の時代には喫茶の習慣が確立していたことが明らかですので、日本からの遣唐使もみやげに茶を持ち帰ってと考えられております。

 

この頃のお茶は、「団茶」という茶葉を突き固めたもので、これを煎じますと茶色いお茶ができましたため、英語でいうところのBROWNを日本語では「茶色」と言うようになりました。現代でも、中国の普耳茶などには、団茶のように円盤形に固めたものがございます。

 

本邦でお茶がのまれていた最古の裏付けとなっておりますのは、奈良時代、聖武天皇の御代に「行茶」という儀式が行われたことで、この時の青磁の茶碗が正倉院に残っています。

 

茶の木が日本に移植されたのは、平安時代、最澄が唐に渡り一緒に帰国した永忠が茶の実を持ち帰り比叡山のふもとに植えたのが最初でございます。この茶の木の一部は、現在も残っており天然記念物に指定されております。

その後も茶は中国から輸入されて貴族や僧侶の間で飲まれておりましたが、894年に遣唐使が廃止されて茶の輸入が停止し、喫茶の風習も衰えてしまいました。

 

平安末期、栄西禅師に渡って臨済宗を日本に伝えた頃には、現在の抹茶と同等の上質の茶葉と茶を点てる作法、そのための精巧な茶道具ができておりました。1191年、栄西はこれらの茶と茶道具を宋より持ち帰り、京都の明恵上人に献上いたしました。この時、植えられた茶が京都の気候風土に適していたため、非常に上質な茶が生産できるようになり、さらに各地で茶の生産が盛んになったと言われております。

 

栄西は、茶を薬としてもとらえており「喫茶養生記」をまとめ鎌倉幕府三代将軍源実朝に献上しております。こうして茶の風習は京都から鎌倉にも広がり、禅宗と関係の深かった武士の間で大変流行いたしました。これこそが現代につながる抹茶を用いた茶道文化の原点と言えましょう。

現代よく飲まれるお茶といえば煎茶でございますが、煎茶の登場は江戸時代まで待たなくてはなりません。

煎茶は当初、「煎茶」と言うぐらいですから、茶を煎じて飲んでおりました。この煎じなければ抽出できなかった茶葉を蒸すことにより、「急須」に茶を入れて湯を注ぐだけで淹れられるようになったのでございます。

 

ここで、ようやく急須が登場いたしましたが、簡単に茶の変遷をまとめてみましょう。

 

団茶(奈良・平安時代)→ 抹茶(平安末期~) → 煎茶(江戸初期~)


中国の煎茶の場合、蒸す代わりに炒って発酵を止めます。この煎茶が、中国の最新流行として日本に伝わったのが江戸時代初期のことでございまして、当時、形式化された茶道に反発する新し物好きの江戸の文化人の間で大変流行いたしました。また、禅宗の一派黄檗宗の隠元和尚が、同時期に煎茶道を開いたと伝えられております。


話を韓国茶道に戻しましょう。


韓国茶道は、別名「高麗茶礼」とも呼ばれております。

「高麗茶礼」の起源(笑)は民潭新聞の記者が、「日本の茶道の作法は『詳細は省くが』高麗茶礼に何から何までソックリ」と記事に書いたのが始まりでございます。

 

この高麗茶礼をベースに確立したとされる韓国茶道で、不思議なことに「急須」が使われているのでございます。

 

これは、驚愕のミステリーでございます。

 

高麗時代は、918年から1392年。この時代は、まだ団茶と抹茶しか地球上に存在しておりません。当然、急須も存在しておりません。あったのは、茶や薬を煎じるための土瓶や鉄瓶、薬缶の類でございます。にも拘わらず、韓国茶道あるいは高麗茶礼では、美しい白磁の急須を用いるのです。

しかも、その急須は日本独特の横手急須。

 

横手急須は、注ぎ口から90度ぐらいの位置に持ち手の付いた、世界でも珍しいデザインでございます。
海外でもJapanese teapotと称して売られ、使い勝手が良いと愛好家には人気の商品となっております。

 

        横手急須(日本)

 

中国の茶壷やヨーロッパのティーポットは、注ぎ口から180度の位置に持ち手の付いた「後手」が主流でございます。

 

朝鮮半島の高麗青磁や白磁などのアンティークも後手か、写真のような「上手」となっております。

 

    

       中国茶壷                            紅茶用ポット                     高麗白磁酒器(アンティーク)

 
この高麗白磁のティーポットに見えるものは、実は酒器でございます。前述のように、高麗時代には煎茶はございませんでしたから、茶を飲む場合は煎じて飲むことになります。青磁や白磁は火にかけて使うことは致しませんので、茶を煎じる場合は素焼きの土瓶などを用います。というわけで、明らかに茶の道具ではございません。

 

 

高麗滅亡後、1392年に始まった李氏朝鮮時代には茶の風習が廃れ、代わりに木の根や陳皮、朝鮮人参などを煎じて飲むようになります。つまり、朝鮮半島における茶の歴史は煎じ続けて一千年、1910年に悪逆非道な日帝が野蛮な煎茶の文化を持ち込むまで、急須の出番はなかったのでございます。

 

韓国茶道で使われております、日本特有の横手急須は明らかに「日帝残滓」なのでございます。その日帝残滓が、14世紀末に滅びた高麗の茶礼に出現するという、韓国茶道は時空をも自在に捻じ曲げる力を持っているのでございます。

 


尤も、我が国にも、2008年に購入したCDとキャミソールを2007年の道知事選挙で使用するという、超時空大臣が存在いたしますが、時空の捻じれは一年ぽっちとしみったれ。

 

500年もの時空を超える、悠久の韓国茶道のミステリーをご堪能いただければ幸いでございます。

 

 

 

 

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