FC2ブログ

高麗茶碗こそ、朝鮮半島が日本の茶の湯に何の影響も与えていない証拠

前のエントリでは、司馬遼太郎先生のズバ抜けた創作力の罪深さについて触れました。

 

が!しかし、司馬先生は、あくまでも小説家なのであって、歴史家ではないわけで、先生が書くのは、時代小説であって歴史書ではありません。やはり、そこんとこをしっかり理解してない読者の罪深さ、創作エッセイをノンフィクションであるかの如く出版する編集者の罪深さの問題でしょう。

 

 

というわけで、本日のお題。

 

「高麗茶碗こそ、朝鮮半島が日本の茶道に何の影響も与えていない証拠」

 

 

さて、「強制連行(笑)」はさておき、文禄慶長の役の2年後に朝鮮の陶工が多数、日本に渡ってきたことは事実でありまして、また、それ以降、日本の陶器の技法に多くのバリエーションが生まれた事も事実でございます。

 

このように書きますと、当時の朝鮮の陶工はさぞかし優れた最先端技術を持っていたのだろうと「勘違い」なさる方も多いかと思います。

 

しかし、前のエントリで書きました通り、当時の朝鮮の陶工の仕事と言えば庶民向けの日常雑器作り。精巧な高麗青磁が廃れて、100年以上も経とうと言う頃です。

 

それでも、陶工たちは高麗青磁の技法を細々と伝えてはいたのですが、やはり、当時の日本の茶人の目に留まったのは彼らが量産していた「日常雑器」でした。

 

その日常雑器が、なぜ茶人を魅了したかと言う話は後ほど説明いたしますが、その前に、たかだか日常雑器の技術ごときで、どのように日本の陶芸の技法のバリエーションが広がったのかをご説明いたしましょう。

 

 

ものづくりに携わる方はご存じのことと思いますが、ものづくりの技術は「より端正に、より精緻に、より美しく」進んでいく傾向があります。やきものの歴史も同じで、荒々しい手触りの陶器から、なめらかで光沢のある磁器に変遷していったことはどなたもご存じのことと思います。

 

日本のやきものの一大生産地である愛知県の瀬戸では、12世紀からすでに表面に光沢をあたえる施釉陶器が作られていました。磁器生産の開始こそ17世紀に入ってからですが、瀬戸ではそれ以前から陶器でありながら磁器の風合いに近い繊細なやきものを大量に生産しておりました。

地方によっては、備前焼や信楽焼のように素焼きの風合いを生かしたものを特産としている所もありましたが、その素焼きでさえ常滑焼のようになめらかさを極めたものが作られるほどでした。

 

朝鮮の陶工が日本へ渡ってきたのは、日本人がより繊細でなめらかな陶器を追い求め、日本の陶工たちが腕を競い合っていたそんな頃。

 

彼らのもたらした陶器は、粉引きのようなマットな感触の白化粧や、ざんぐりとした素朴な風合いの素焼き、大胆な刷毛目、朝鮮唐津に見られるかりんとうの表面のような釉薬使いなど、技術的にはむしろ後退するようなものでした。唯一、精緻な技巧といえば、細々とつないできた高麗青磁の技法を応用した三島象嵌。

 

ところが、この素朴な風合いが当時の日本人には却って新鮮に映ったのです。

 

それは、写実的な絵画の技術が極限まで高められた後に、抽象的な絵画がもてはやされるのと同じような現象と言えましょう。

 

 

つまり、当時の日本では、朝鮮の陶工により、むしろ技術的には後退した陶器が量産されたと言えますが、同時に、前衛芸術のような「おもしろい」技法が次々と生み出されたとも言えます。

 

 

さて、ではなぜ当時の日本の茶人は、競うようにそのような陶器を求めたのでしょうか。

 

 

茶の湯の世界では、陶器を「唐物」「国物」「高麗物」「島物」と分類しています。

 

「唐物」は、読んで字のごとく中国より伝来したものですが、より具体的に言うと、天目茶碗などの中国から茶が伝わった当時のデザインの物を指します。つまり、国産の「唐物」もあります。

 

「国物」または「国焼き」は、侘び茶の発達により高価な唐物に代わり、侘び茶に適した国産の焼き物をという気運から茶の湯に採り入れられた国産品です。

 

そして、「高麗物」は朝鮮半島産、「島物」は琉球や東南アジア産のものを指します。

 

 

茶の湯の世界では、道具に関して「お珍しい」というのが最大の賛辞となっていますが、これは、珍しい物をセレクトした亭主のセンスを褒めているのです。

これは、外国産だから良いとか、安ものだからダメだということではないのです。

どんなものでも唯一無二の物で、その茶席に最適のものであるのが素晴らしいとされます。

 

つまり、茶人は高麗茶碗だからという理由で選ぶのではなく、茶席に適した茶椀であれば、ベトナムの安南だろうが、ポルトガルのおらんだ焼(笑)だろうが産地など二の次なのです。

 

茶人でもあった毛利輝元が、李兄弟を囲い込んで萩焼を作らせたのも、高麗茶碗が欲しかったのではなく「毛利家門外不出の茶碗」が欲しかっただけなのです。

 

すでに腕の良い陶工を抱えていた茶人は、特に朝鮮の陶工に拘りませんでしたし、利休お抱えの楽長次郎は明の陶工を父に持つ日本人でした。

 

 

 

というわけで、「文禄慶長の役を別名やきもの戦争という」というフレーズは真っ赤なウソです。

後世の人間が勝手にそう呼んでいるだけで、そんな記録はどこにもありません。

 

 

 

 

次回は、「朝鮮半島が日本の茶道に何の影響も与えていない、明らか過ぎる証拠」をお送りします。

 

 

 

 

 

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

No title

小説の対語として大説という言葉がありますね。
小説は自らが紡ぎだすもの、大説は時代が作り出すもの、つまりは歴史ということですが。
その歴史という大説を自らの考えで矮小化して捻じ曲げて小説化するというところに朝鮮・支那人の捻じ曲がった心根を見る思いがします。

このあとも期待しています。
まぁ、この流れで時空太閤秀吉が出てきたらたのしいなぁ。(棒)

No title

ルソンの壺は島物なんですね。
フィリピンの洗練されない土器でも価値があった。茶人はレア物に目がないのはどういう心理なんでしょう。
卑猥な例でナンですが、好き者が次々と女性を漁るようなものではないかと、上から目線で見ています。

No title

To kentantoさん
>小説の対語として大説という言葉がありますね。
>小説は自らが紡ぎだすもの、大説は時代が作り出すもの、つまりは歴史ということですが。
>その歴史という大説を自らの考えで矮小化して捻じ曲げて小説化するというところに朝鮮・支那人の捻じ曲がった心根を見る思いがします。
>
>このあとも期待しています。
>まぁ、この流れで時空太閤秀吉が出てきたらたのしいなぁ。(棒)
>


太閤秀吉に関しては、利休に切腹を命じた以外は、草履を温めた伝説ぐらいの知識しか・・・。

No title

To 相模さん
>ルソンの壺は島物なんですね。
>フィリピンの洗練されない土器でも価値があった。茶人はレア物に目がないのはどういう心理なんでしょう。
>卑猥な例でナンですが、好き者が次々と女性を漁るようなものではないかと、上から目線で見ています。


実は、茶道具蒐集家のことを数寄者というんですが。
「すきしゃ」と読みますが、スキhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%25A2%25E3%2583%258E/" class="keyword">モノとも読めますww

「数寄」は、「四六死苦」みたいなノリで「好き」の字を変えたものですので、「好き者」で合ってると思います。

No title

私の母も「茶道」を嗜んでいます。
尾張の出身ですから、子供の頃から「茶道」に親しんでいたとのこと。

私に「茶道」の嗜みはありませんが、お茶やコーヒーが大好きです。

>実は、茶道具蒐集家のことを数寄者というんですが。
「すきしゃ」と読みますが、スキhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%25A2%25E3%2583%258E/" class="keyword">モノとも読めますww

私は「お抹茶」は好きですが、器はなんでも良いのです(^^;

No title

To kuronekosannさん
>私の母も「茶道」を嗜んでいます。
>尾張の出身ですから、子供の頃から「茶道」に親しんでいたとのこと。
>
>私に「茶道」の嗜みはありませんが、お茶やコーヒーが大好きです。
>
>>実は、茶道具蒐集家のことを数寄者というんですが。
>「すきしゃ」と読みますが、スキhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%25A2%25E3%2583%258E/" class="keyword">モノとも読めますww
>
>私は「お抹茶」は好きですが、器はなんでも良いのです(^^;


尾張と言えば、史上最強の数寄者「名物狩り」で有名な信長公のお膝元ですね。
やはり、今でも茶道が盛んなのでしょうか。

私も、お茶とお菓子がなによりです。
プロフィール

maaz

Author:maaz
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR