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オトナの常識(4) NHKはネトウヨ!!「朝鮮通信使は寒流スター」の真意

「朝鮮通信使は寒流スターだった」

 

あら、NHKさん。あたくしも常々そう思っておりましたのよ。

あたくしと意見が一致するなんて、NHKさんたら、いつからネトウヨにお成りあそばしたのかしら?

 

それにしても、ネットの方々はNHKと聞いただけで反射的に「反日」と受け止めておられますが、それはあまりに性急と申しますもの。

NHKさんはネトウヨ歴が浅うございますから、言葉足らずで説明不足なのは否めませんが、冷静にその真意を理解して差し上げて頂きたいものでございます。

 

では、僭越ながら、あたくしが「朝鮮通信使は寒流スターだった」ことを噛み砕いてご説明申し上げましょう。

 

まず、朝鮮通信使の背景を知るために、江戸時代についてのおさらいから始めなくてはなりません。

江戸時代の社会は、「士農工商」の身分制度を抜きに語ることはできません。江戸時代の武士は貧乏だったですとか、町人の方が自由闊達に暮らしていたとか、商人が一番金持ってたなどといったことはさておきまして、武士が身分制度の一番上にいたことは確かでございます。

 

そのような身分制度の江戸の社会に、朝鮮通信使は行列を作って朝鮮半島からはるばる江戸までやってきたのでございます。

たかだか、夏祭りの仮装行列のような行列がそんなに珍しかったのか?行列なんか大名行列で見慣れてるだろう。などと言ってはいけません。

朝鮮通信使は、260年間にたったの12回しか来ていないのでございます。平均すると20年に一度も見られないのですから、伊勢神宮の式年遷宮並みの珍しさといえましょう。

 

大名行列についても、もう少し理解を深めませんといけません。

 

江戸時代、身分の低かった町人や農民は、大名行列が通り過ぎるまで土下座をしていなければなりませんでしたから、大名行列を見慣れることなど不可能だったのです。大名行列を間近に見た町人がいたとすれば、それは行列を横切ることを許された産婆だけでしょう。

 

とはいえ、大名行列は、参勤交代の大名にとってとんでもない経済的負担で、まともに行いますと現在の貨幣価値で数億から十数億のお金がかかったと言われます。徳川幕府が大名の経済力を圧迫するために行っていたものですから、当然と言えば当然です。

しかし、大名も「そうは問屋が卸さんわ」と、大名行列やったフリ作戦を展開し、最小限のお供を連れて猛ダッシュで江戸近郊まで行き、そこから人足を集めて大名行列を仕立てて江戸に入ったと言われます。江戸近郊の宿場では、大名行列専門に人を派遣する口入屋が繁盛していたとのことでございます。

 

そのような事情もございまして、大名行列もほとんど見られない江戸時代の庶民にとって朝鮮通信使の行列は、またとない見世物だったのでございます。

 

はい、ココが重要なポイントでございます。大事なことなので3回繰り返します。

 

    朝鮮通信使は見世物だった

    朝鮮通信使は見世物だった

    朝鮮通信使は見世物だった

 

庶民は、身分の高い大名の行列を見ることは許されませんでしたが、朝鮮通信使の行列は見ることが許されました。

また、通信使は大名より扱いが低く、大手門から江戸城へ入ることもできませんでした。

 

朝鮮半島くんだりから貢物を持って江戸へやってくる朝鮮通信使を庶民に見せるのは、徳川幕府の権勢誇示が目的だったと言っても過言ではございません。

国交回復だの、文化交流が目的だのと御託を並べる学者もおられるようですが、徳川将軍は政治家です。政治家の関心事といえば、古今東西、一に権力、二に経済。それほど朝鮮との国交が大事なら、経済交流のために朝鮮船を出島に入港させていたでしょう。況してや、文化交流が目的だなど噴飯ものでございます。当時、頻繁に出島を出入りしていた唐船やオランダ船から、異国の文化などいくらでも入ってまいりましたし、小中華を自認していた朝鮮の文化など、唐船の中国人が持ってくる文化の劣化版。なにしろ小中華でござますから。それが、20年に一度の頻度でしか入ってこないのでございます。朝鮮通信使は日本へ文化を伝えているつもりだった様子でございますが、実際には日本の方が何十年も先を行っていたのでございます。

 

 

この事に関しましては、朝鮮日報が2007年8月に以下のように伝えております。

 

1763年、日本の赤間関(現在の山口県下関)で、日本の儒学者瀧鶴台は、朝鮮通信使の一行を迎える席上このような言葉を発した。「世の中には、儒教ならずとも数多くの教えが存在している」「実用的な目的のためであれば、いかなる学問であっても有用に受け入れることができるのであり、今の中華主義から抜け出なければならない」という、時代を先取りした主張だった。しかし元重擧(ウォン・チュンゴ)と成大中(ソン・デチュン)ら朝鮮通信使の考えは違った。彼らは、ややもすると日本の学界が朱子学を捨てて異端の思想に溺れるのではないか、と憂慮していた。

韓・日文化交流の象徴と思われている朝鮮通信使が、18世紀の日本の思想界に訪れた急激な変化についてきちんと理解できず、その流れを把握することに後れを取った、という研究結果が発表された。韓国文学研究者の具智賢(グ・ジヒョン)博士(延世大BK21博士号研究員)が最近、学術誌『東方学志』(延世大国学研究院刊)第138集に寄稿した論文「筆談を通した韓・日文士交流の展開様相」においてこのように主張した。

 

さて、文化的にも経済的にも役立たずの朝鮮通信使が、見世物だったことはご理解いただけたと存じます。

見世物ということは、つまり、現代の寒流スターと同じ単なるパフォーマーだったのです。

 

では、パフォーマーとしての朝鮮通信使と寒流スターの共通点を見ていきましょう。

 

こちらは、京都大学所蔵の朝鮮通信使を描いた図でございます。

 

有名な図画でございますから、ご存じの方も多いかと思いますが、寒流ファンである日本の庶民から鶏をボッタクる朝鮮通信使が描かれております。

日本の寒流ファンからのボッタクリは現代も盛んに行われ、最近ではTBS「アイリス」のイベントでS席料金をボッタクられたファンが屋根裏のような末席に追いやられた事件が記憶に新しい所でございます。その他にも、数万円のコンサートチケットを買って出かけたら、お目当ての寒流スターは現れず、見たことも聞いたこともない無名の寒流のパフォーマンスを延々と見せられたという話も多く、ボッタクリの例は枚挙に暇がございません。

 

今も昔も、寒流スターのファンからのボッタクリは変わらないようでございます。

 

一方、寒流ファンといえば飽きっぽく冷たいのが特徴で、NHKが冬ソナであれほどの高視聴率を稼いだのも今は昔。TBSが巨額の制作費をつぎ込んだアイリスの視聴率は惨憺たる有様。この点も共通するようでございます。

 

朝鮮通信使が寒流スターで、江戸の庶民が寒流ファンなら、ブロマイドの一つや二つ残っているはず。当時のブロマイドといえば浮世絵でございますが、歌舞伎の人気俳優や吉原の花魁の浮世絵が残っているにも拘わらず、寒流スター朝鮮通信使の肖像は一枚も無し。あるのは顔の判別すらつかない、行列の全体像のみ。それどころか、寒流スターの名前すら残っていません。寒流ファンは今も昔も冷たいものです。

 

寒流スターの方はと申しますと、日本についてこんな日記を残しています。

 

朝鮮通信使・金仁謙著『日東壮遊歌』

 

1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、
頭を左右に必死に動かしている。

 

あら?

必死になって日本女性を見ていたのは、寒流スターの方だったようですわね。

 

 

【寒流スター】かんりゅう・すたー

韓国出身のアイドル、俳優、歌手、モデルなどの総称。ファンから金をボッタクるのが特徴。

ほとんど売れていなくても、日本のマスコミがバックアップしてくれるため、ほとんどがスターになれる。

ボッタクリ・コンサートでは、ブラックマネーを還流させているという噂もあり、還流スターと表記する場合もある。

(世界芸能辞典より)

 

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