FC2ブログ

【誤訳の世界】日本人にはプライバシーがない?!?

日本語や日本文化についての知識不足と認識不足から、日本の言語や文化・風習を誤って外国人に伝えてしまう困った日本人がいる。

 

最も顕著な例は「日本語にはプライバシーという言葉はない」という説を唱える人々である。

日本人にはプライバシーという概念すらない、とこの説の支持者は主張する。概念がないから言葉がないのだという。

 

日本にはプライバシーという言葉も概念も無いなどと、最初に言い出したのはどこの誰だか知らないが、全く以って迷惑千万、無知蒙昧も甚だしい。

 

'privacy' を辞書で引くと「他人の同伴・監視が無い状態、私生活、秘め事」などという意味が記されている。つまり、個人の自由が侵されずに秘密が保たれている状態である。そのような状態を指し示す日本語が無いなどという意見は、日本語に対する無知からくる産物としか思えない。日本文学や古典などに触れ、豊かな日本語的感性を持った日本人ならいくらでも表現が出てくるのではないだろうか。

 

私のようなあまり日本文学に触れない人間でも、そのような場面を想定して思い浮かぶ日本語がある。それは、「立ち入った事」という奥ゆかしい表現である。「立ち入った事」という言葉は、「立ち入った事をお伺いしてすみません」などというように相手の私事を気遣う表現として使われる。

 

「立ち入る」という言葉そのものには、英語で言うプライバシーに該当する意味合いは含まれない。だが立ち入るという行動の先に、私事、つまりプライバシーが存在するのだ。プライバシーそのものを直接表現しないからといって、そのような概念がないというのは、あまりに飛躍しすぎた考えだ。

 

「立ち入る」と言う言葉は、他人の私事に立ち入る側が取る行動を表す動詞である。「立ち入る」が動詞であることが「プライバシー」という名詞と対を成す訳語となり得ることに気がつかない原因かもしれない。だが、英語に限らずどのような言語の間にも、名詞の訳語が必ずしも名詞ではなく、動詞の訳語が必ずしも動詞ではない例は多く見受けられる。言葉の構造が違えば、それも自然なことである。

 

言葉と言うものは、必ずそれが使われる状況から発達していくものである。日本において「立ち入る」という言葉は、他人の私事に立ち入ってはならないという配慮から生まれ、様々な場面において他人を気遣う表現として発達したと考えられる。つまり、日本社会では元来、他人の私事は立ち入るべきでない領域というのが基本的な共通概念であり、自分の私事に立ち入るなと主張するのではなく、他人の私事に立ち入らないように気遣うのが基本的行動様式なのである。

 

始めからお互いに立ち入らないように気を遣った生活をしていれば、私事を権利だ何だと主張する必要も無い。プライバシーを権利として主張する社会より余程成熟し洗練された社会と言える。

 

一方、プライバシーという言葉は「プライバシーの侵害」「プライバシーを守る」「プライバシーの尊重」などというように個人の権利の主張として表現されることが多い。確かにプライバシーという言葉の根底には、権利と言う意味合いが横たわっている。

 

 のことから、プライバシーとは欧米人にとっては主張すべき自分の権利であり、日本人にとっては尊重すべき相手の権利である、ということが判る。

 

わざわざ主張しなければならないということは、過去の欧米社会でいかにプライバシーが守られていなかったかということを暗示している。プライバシーに拘わらず、英語には個人の権利を主張する表現が多い。

 

欧米社会は人権を尊重する社会だとよく言われるが、男女同権や人種差別撤廃などの運動が盛んであったという背景には、運動を起こさなければ耐えられないほどの過酷な差別があったということに他ならない。人権が尊重されていれば、そんな運動など起こりようもない。

 

欧米人が、人権が踏みにじられるほど野蛮だった時代に、革命を起こして市民が権利を獲得した歴史を誇るのは結構なことだ。だが、それと単純に比較して、日本で市民革命が起きなかったことを、日本人の人権意識の低さによるものと勘違いする人間は歴史を知らない阿呆だろう。日本の戦国時代のような略奪と人権蹂躙の時代が、西欧では十八世紀末まで、ロシアでは二〇世紀初頭まで続いていたに過ぎない。そして米国の黒人差別は一九六〇年代まで続いていたのだ。

 

日本では、欧米の人権主義が先進的な社会を反映するものと勘違いする傾向があり、何かと言うと欧米的人権主義を真似ようとする。だが、よく内容を吟味して取り入れないと、日本に古来ある高度に洗練された美徳や慣習を、逆に低俗なものに変え兼ねない。

 

実際、「立ち入った事」という言葉の代わりに「プライバシー」が多用されるにつれ、欧米的個人主義が蔓延し始めた。やがて、他人を気遣うという日本人の美徳が忘れ去られ、やれ個人の権利だ子供の人権だのと主張し始めると共に、日本人の質が著しく低下したことは、誰の目にも明らかである。

 

このように第二次大戦後、日本社会は欧米化が進むと同時に見事なまでに低俗化した。しかし、日本古来のものの考え方で現在でも機能しているものも多々ある。そういうものは無くさない方がいいだろうし、これまでに失ってしまったものを取り戻すことも考えるべきである。

 

 

 

AUTHOR: 相模 DATE: 10/28/2010 12:08:16 「プライバシー」の一般化は戦後(昭和40年近辺?)の言葉ではなかったでしょうか。ご指摘の通り日本には察する文化がありました。 今はそんな高等文化は崩壊して、カタカナ語を隠れ蓑に悪用します。 例えば、群馬県桐生市で6年生の女の子が(混血を理由に?)差別され虐めを受けていた問題で、校長はこんな言い訳をしています。 保護者会で「虐めの有無は?」との質問に「プライバシーの問題で答えられない」。(10月27日「読売」) 子供の問題に教師が立ち入らなくて何が教師か!無能だ! この記事では亡くなった女の子の名前だけあって、学校名や校長名・担任名はありません。記者がプライバシー(!)に配慮した?ここでも隠れ蓑! 序に、「プライバシーという言葉がない」と同様に、日本語には論理性がない、という意見があります。故に哲学が発達しなかったそうです。 あのー、言葉と哲学は別物なんですが。犬猫だって論理的に行動しますし哲学だってありますよ。たぶん。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

To tm05311さん
>はぁ、義務教育を受けて無い自称日本人じゃないですか?
>どこかの民族学校とやらを出ている輩だと思います。
>普通なら、源氏物語絵巻の写真を教科書で見ています。
>そこには、衝立が必ず描かれています。
>それで、衝立の役割をどう説明するのでしょう
>プライバシーの概念が無いと、こんなものは登場しません。
こういう説が、70~80年代に進歩的知識人(笑)の間で流行っていて、テレビや書籍で電波を飛ばしていました。語学業界には、未だにその電波の洗脳が解けない人々が結構いるんで困ります。

昔、ロッキード事件でコーチャンが公聴会で発言する前に聖書に宣誓しているから、その発言は正しいのだという奴がいました。
宣誓させるということは、嘘をつく奴が多いという真理が分からない馬鹿が多すぎます。
まだまだ欧米を無条件に信ずる奴が多そうですね。
ゴルフは紳士のスポーツ?
ずるする奴が多すぎるから、事細かなルールができたのだろうに。

To dobu-donsukeさん
>昔、ロッキード事件でコーチャンが公聴会で発言する前に聖書に宣誓しているから、その発言は正しいのだという奴がいました。
>宣誓させるということは、嘘をつく奴が多いという真理が分からない馬鹿が多すぎます。
>まだまだ欧米を無条件に信ずる奴が多そうですね。
>
>ゴルフは紳士のスポーツ?
>ずるする奴が多すぎるから、事細かなルールができたのだろうに。
>
そうですね。聖書に宣誓するということは、嘘をついても懺悔をすれば許されるんですから、あれほど当てにならないものはありません。
しかし、欧米人の悪習から生まれた習慣やルールを美化する能力には、呆れるというか恐れ入るというか。

EXTENDED BODY:

EXCERPT:

KEYWORDS:
プロフィール

maaz

Author:maaz
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR