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朝鮮半島における民族の入れ替わり

いつもコメントを下さるtm05311さんより、茶の話(6)で非常に興味深いコメントを頂きました。

以下はポイントとなる部分の抜粋です。

 

この論を唱えると、問題になるのは朝鮮のピークはいつか?
となってしまい、答えが出なくなります。
朝鮮半島が豊かだった時代はと、さかのぼると統一新羅あたりまで、
行ってしまい、まさか千年以上退化し続けていたのか?

 

私も、国家のピーク論を支持しておりまして、例えば英国のピークは大英帝国のビクトリア朝時代、ポルトガル・スペインのピークは大航海時代、フランスは太陽王ルイ14世時代、エジプトはプトレマイオス朝時代、中国は唐の玄宗皇帝あたり、インドはタージマハルを作ったシャージャハン、モンゴルのピークはチンギス・ハーンと物凄く大雑把に勝手な定義をしています(笑)

 

しかし、どの国家もピークを過ぎてその後衰退はするものの、決して文化・文明の退化はしていません。

戦争や内乱で一時的に、破壊されることがあっても必ず復興しています。復活しないのは、国や民族そのものが滅ぼされた場合です。

ところが、朝鮮に限っては文化・文明・経済の退化が見られる、非常に珍しい歴史をたどります。

朝鮮のピークはいつなのか、なぜ延々とマイナス成長を続けてきたのかとう問いに対する明確な答えは私にも分りませんが、朝鮮半島における民族の入れ替わりをひも解けば何らかのヒントになるのではないかと思い、そこらへんをまとめてみたいと思います。

 

いろいろな国号が出てまいりますので、↓ここの年表などを見ながら読んでいただくと分りやすいかと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 

まず、歴史上初めて「朝鮮」の国号を名乗ったのは中国殷王朝時代の中国人箕子です。成立の年代は定かではありませんが、「箕子朝鮮」は紀元前194年に衛氏朝鮮が起こるまで続きます。檀君朝鮮というのが、現在の韓国で大変もてはやされておりますが、単なる伝説にすぎません。檀君が持ち上げられるようになったのは、朝鮮の始祖が中国人では都合が悪いと考えられたためで、小中華を自認していた属国時代には箕子朝鮮が非常に崇められていました。

 

紀元前5世紀ごろ、春秋・戦国時代の中国で呉が滅ぼされます。この呉は、三国志の呉ではなく「呉越同舟」の呉の方です。この時、呉を追われた人々は朝鮮半島に渡り、西部と南部に流入し「韓」という集まりを作りました。つまり、最初に「韓」を名乗ったのも中国人です。この当時、朝鮮半島の北西部には箕子朝鮮があり、中部から東部にはツングース系の濊族(わい)や貊族(ぱく)が居住していました。

 

紀元前4世紀ごろに、今度は越が楚に滅ぼされると、越人は南はベトナムへ東は九州・対馬へ、そして朝鮮半島西南部へ流れ着きます。そして、自らを「倭人」と呼びました。倭人の名称は、後に大和民族が引き継ぎましたので、倭人=日本人と勘違いされている方が多いかと思いますが、もともとは中国人のことなのです。そして、この越から日本に流れ着いた倭人こそが「弥生人」なのです。越人が南に流れたベトナムを「越南」と書きますが、日本の北陸地方にも越後・越中・越前があります。

 

弥生人が中国の長江流域から発生したことは、その地域で出土した人骨のDNA鑑定により明らかにされています。日教組教育では、未だに弥生人は朝鮮半島から渡来し稲作をもたらしたという「俗説」が教えられているようですが、これは完全に間違いなのです。稲作が中国南部から直接入ってきたことも、稲のDNA鑑定で明らかになっています。

 

呉と越は、南アジア系の同じ人種で、これらを滅ぼした楚は漢人です。つまり、古代中国や日本の史書に出てくる韓人(からびと)と倭人は、同義なのです。以前は、これらを朝鮮人と日本人と解釈していたため、史書の解読を困難にしていました。

 

 

さて、衛氏に追われた箕子朝鮮最後の準王は、韓人・倭人の住む南部の馬韓に逃れ、そこで王位につきます。こうして出来たのが「辰国」です。しかし、これは一代で終わり、その後は韓人が王位につきます。この辰国が、後の三韓の礎となります。

箕子朝鮮を滅ぼした衛氏も実は中国人です。衛氏が前漢に滅ぼされると、その地は楽浪郡という前漢の植民地となります。朝鮮半島西北部は、紀元後313年に高句麗が楽浪郡に攻め入るまで、ずっと中国人に支配されていたのです。また、南部と西部も呉と越から流入した中国人により支配されていました。

 

高句麗は、朝鮮半島東部に居住していた族により建国されました。当時、中国人支配地域以外の朝鮮半島には、高句麗、、沃沮、扶余がありました。これらは、すべてツングース系の同民族とされていますが、扶余はモンゴルの血を引くツングース系の名門で満州一帯を支配し、朝鮮半島にも進出していました。一方のは、穢という字を当てることもありツングース系で名門とは言い難い部族でした。このため、高句麗は扶余を自称していたという話もあります。

 

この高句麗こそが、Koreaの語源で朝鮮人のルーツと言えるでしょう。但し、高句麗は中国の冊封国家であったとされています。

 

さて、紀元後4世紀に満州の扶余が高句麗や鮮卑に圧迫され滅ぼされると、扶余の王子が紆余曲折の末に馬韓に攻め入り王位につきます。これが百済です。百済は、扶余に支配された、馬韓人(倭人)の国となります。こうして三韓時代が終わると、百済の他に伽耶と新羅が成立します。新羅は、韓人が主導してツングース系の族と混血した民族による韓人国家です。伽耶(あるいは加羅)は、統一国家ではなく韓人や倭人が、そして倭人と手を組んだ大和民族が入り組んだ地域となりました。

 

韓、加羅、唐が「から」と呼ばれるのは、偶然でも、昔の日本人が大雑把だったせいでもありません。どれも中国ないし中国人のコミュニティを意味します。

 

やがて、高句麗、百済、伽耶が新羅に滅ぼされ、統一新羅が成立します。このようにして、またしても朝鮮半島は韓人(中国人)の支配する土地になってしまいます。

 

この後、後高句麗と後百済が復活した後三国時代を経て、紀元後918年に高麗が成立します。高麗は高句麗と同じ民族です。ここでようやく朝鮮人による統一国家が誕生しました。

 

1392年、高麗の武将李成桂が恭譲王を廃して自ら王位に就き、国号を朝鮮とします。これが李氏朝鮮です。

李成桂は、女真人(満州人)という説もあり、李氏朝鮮はやがて中国の明に正式に冊封されることになります。

 

 

以上、朝鮮半島の民族の入れ替わりをざっと見てまいりましたが、私は朝鮮半島の文化・文明が最も花開いたのは百済・新羅・高麗・伽耶の時代と考えています。韓人、倭人、大和民族、ツングース系の族が、それぞれの個性を発揮した結果と思われます。

こうして振り返りますと、朝鮮半島は中国による直接支配、植民地化、属国化、冊封体制など、自己喪失の連続と言える悲惨さです。

 

現代でも、朝鮮半島北部はツングース系の血が濃く、半島南部は韓人=倭人の遺伝子が残っているとされています。

北朝鮮が中国人の起こした国号「朝鮮」を名乗り、南朝鮮が倭人の国と同義の「韓国」を名乗っているのは、歴史の因縁を感じます。

 

 

 

AUTHOR: hanehan DATE: 07/19/2010 10:21:18 >自己喪失の連続と言える悲惨さです。 更に国内では、法など為政者の一存で如何様にも改竄され、上の地位の者の『切り取り自由』という、リアル修羅の国状態ですしww
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To tm05311さん
>ご回答頂き、ありがとうございます。
>そこまでさかのぼりますか。朝鮮半島のピークとしては、
>異存は無いのですが、現在の朝鮮半島との継続性はどうでしょうか。
>
>気になっているのは、10世紀の白頭山の噴火です。
>ここで、断絶するとするのかで、随分変わると思います。
>
>実際文章にしてみて思ったのですが、また退化が始まっている?
こんにちは。
10世紀には噴火もあったのですね。
朝鮮民族による統一国家高麗が始まった当時ですので、民族の入れ替わりで文化と文明の後退が起きたのだと考えておりましたが、自然災害の要因も考えられるわけですね。

To maazさん
いきなり白頭山の噴火を出してきた割に、統一新羅とか言ってなかった?
ごもっともな疑問だと思います。
実はこの後の高麗が、退化しているようにしか思えなくて。
それで、迷っているのです。
ご隠居様のところで、東北大の白頭山の研究を紹介していますので、
アリバイは成立していると思います。時刻表トリックはしてません。

To tm05311さん
伽耶=倭人(越)+大和民族
百済=扶余(名門ツングース)+倭人(越)
新羅=韓人(呉)xワイ(名門じゃないツングース)
高句麗=ワイ(名門じゃないツングース)x劣化版中国文化(地理的要件)
   ↓
統一新羅=韓人(呉)xワイ(名門じゃないツングース)
   ↓
高麗=ワイ(名門じゃないツングース)x劣化版中国文化(高句麗の流れ)
という流れで、純朝鮮民族の高麗あたりから退化が始まったのかと・・・
ご隠居様の白頭山の記事読んでみますね。

To maazさん
それだと、被支配に最適化された民族と言う事になりませんか?
民主主義の基本理念を破壊してしまうと思うのですが。
市民は皆、同じ能力を持っているので、その中から市民の代表として、
政治家が選ばれるのですが、朝鮮人からは選ぶ事が出来なくなります。
韓国が、茶番なのはそういう意味ですか。お茶で落ちが・・・

To tm05311さん
>To maazさん
>それだと、被支配に最適化された民族と言う事になりませんか?
>民主主義の基本理念を破壊してしまうと思うのですが。
>市民は皆、同じ能力を持っているので、その中から市民の代表として、
>政治家が選ばれるのですが、朝鮮人からは選ぶ事が出来なくなります。
>韓国が、茶番なのはそういう意味ですか。お茶で落ちが・・・
かの国の歴史を振り返るといつもどこかの属国なのですが、これは自立するより支配されている方が楽な体質だからかと思えなくもないです。
似たようなタイプにロシア人がいますが、アジア的要素を持ったスラブ人なのでまとまりがなく、自らノルマン人を呼んで支配してもらったとか・・
そのため、帝政ロシアでは上流階級はフランス語、農奴・平民はロシア語をしゃべっていました。

To maazさん
ソ連時代の方が良かったと言う人が、いますしね。
ただ、東ドイツ人でも同じ事を言うので、分かりませんが。
自由が、人間にとって正しい事とは、言い切れないようで。

To tm05311さん
>To maazさん
>ソ連時代の方が良かったと言う人が、いますしね。
>ただ、東ドイツ人でも同じ事を言うので、分かりませんが。
>自由が、人間にとって正しい事とは、言い切れないようで。
脱北して韓国で暮らしている人の中にも、北の方が良かったと言う人がいるみたいです。自由競争についていけないのでしょう。
日本に来た脱北者は「生活保護」で守られているのに、金が足りないとかホザいていますが。

白頭山が原因と仮定して、話を進めてみます。10世紀の大噴火は、
年代がまだ特定出来ていないのと、9世紀にもある程度の噴火が、
あったようです。李氏朝鮮時代には3度噴火しています。
渤海滅亡との関係を指摘されていますが、その周辺にも影響があるはずです。
907年 唐滅亡 五代十国時代(-960年)
916年 契丹建国
918年 高麗建国
926年 渤海滅亡
935年 新羅滅亡
936年 後百済滅亡
日本も承平・天慶の乱が起こっていて、なぜか争いの多い時代です。
唐の滅亡と噴火は関係ありませんが、中国大陸では暫く争いが続きます。
大噴火と強引に結びつけるのは無理があると思いますが、
影響は与えていると思います。
高麗の国力の低下の原因は、モンゴルだと思いますが、それでも900隻の船を
作る事が出来た。李氏朝鮮では出来なかったと思います。
李氏朝鮮時代の噴火は、1597年・1668年・1702年です。
1597年は慶長の役の年です。そこに噴火ですから止めの一撃かもしれません。
1668年は礼訟論争で揉めていた時ですが、噴火の影響は分かりません。
1702年も揉めている時で、これも噴火の影響は分かりません。
時間があいてしまったので、途中ですがコメントしました。
大噴火が朝鮮半島を変えてしまった。沢山の死傷者が出てしまった事。
ぶ厚く積もった火山灰が農業に影響を与えた事。天候にも影響を与えた。
そう言った事を検討しているところですが、強引な気がしないでもないです。
白頭山に近かった後高句麗の弓裔が、妙な事をしています。
宮殿を再建し、自分を弥勒菩薩だと言い出して、王建に乗っ取られます。
この辺が手掛りになるのではないかと考えているところです。

To tm05311 さん
いろいろな側面から考えてみるのも興味深いですね。
考えてみれば、朝鮮半島は地理的条件と中国との関係が不幸の元凶のようにも思えます。
北部は大噴火を起こす白頭山もあり、気候的にも土壌的にも農業に難しい土地でしたが、中国との関係から都を常に北部に置く必要がありました。半島南部の農業適地に都を置いて、海洋資源の利用などを進めれば繁栄できた可能性もありますが、中国の大陸文化を改良なしに半島に受け入れたのが不幸の始まりかも知れません。
海を隔てた日本では、中国文化を日本に適したものに改良したり、中国文化のいいとこ取りしたり何でも自由に出来ましたが、冊封状態の朝鮮半島では難しかったかも知れません。

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