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世界最大の百万都市「江戸」

江戸が、当時世界最大の百万都市だったという話はよく聞くと思います。

 

この数字の根拠は、江戸幕府がおこなった町人の人口調査に基づくもので、それに武家・寺社の推定人口をプラスしたものとなっています。

ところが、武家・寺社の人口が推定である事実を指摘して「信用ならないニダ!」「江戸百万都市は嘘っぱちニダ!」という反論がよく起こるそうですので、江戸の人口調査についてちょいとばかり。

 

江戸時代に初めて人口調査が行われたのは、徳川吉宗の治世で享保六年(1721年)のことです。

この時、調査された対象は町人のみで、男が三十二万三二八五人、女が十七万八一〇九人で、合計五十万一三九四人でした。

町人の女性の人口は、男性の人口の約半分でしたが、その後、この差は徐々に縮まり、幕末の頃には男女半々ぐらいになりました。

 

さて、この五十万千三百九十四人の町人に、武家・寺社の推定人口六十万人を足すと、享保六年の江戸の総人口約百十万人という数字が算出されるわけです。では、なぜ町人の人口をヒトケタ単位まで調査しておきながら、武家・寺社の人口は推定なのかという話です。

 

まず、寺社については、寺社奉行の管轄ですので寺社奉行任せです。

大勢に影響を及ぼすほど坊主の数は多くないので、幕府が細かく調査する必要性はなかったと思われます。

 

次に、武家ですが、江戸に住んでいる武家階級といえば、旗本・御家人とその家族、大名の妻子、それらの家来とそのまた家来とその家族などです。

旗本・御家人の数は、幕府直属ですので調査する必要はありません。

また、大名が江戸に置かなければならない妻子(人質)も、届け出られているので調査する必要ありません。

 

家来の数ですが、大名や旗本などの石高や禄高によって、雇わなければならない家来の最低数が決められています。

また、大名や旗本に仕える武士であっても、禄高がある程度以上あれば家来を雇わなければなりません。

決まった数の家来を雇わないのは御法度で、改易にもなりかねませんから、決められた最低数は存在するはずです。

そもそも禄高自体が、何人扶持という基準で決められるものですので、江戸の札差で取引される総石高から家族を含めた武家人口をある程度逆算する事も可能です。

 

このような理由から、幕府にとって江戸の武家の人口調査は実施する必要性がなかった、というより江戸の武家の人口構成は「幕府様が決めるから、それに従え!」に近かったと言えます。一方、町人の人口調査は、地方からの流入の把握や、治安維持、飢饉対策など、行政上の必要性もありました。

 

町人の人口は、元禄の頃に約三十五万人いたとされ、調査が定期的に行われた江戸中期から後期にかけては四十五万人から五十万人の間で推移していますが、武家の人口は、江戸時代一貫して寺社と合わせて推定人口六十万人という数字が使われます。

 

十九世紀初頭のロンドンの人口は八十六万人、パリが六十七万人でしたので、江戸の百万都市は確かに世界最大だったわけです。

 

 

 

AUTHOR: tm05311 DATE: 07/31/2010 02:28:42 はぁ、日本は良いですよね。日付とデータが揃って出てくるから。 朝鮮は全く出てこないですよ。ご隠居様は、どうやって調べているのやら。 色々宿題が溜まってしまって、頭が痛い。 吉宗は、朝鮮通信史の待遇を下げた人です。 何の役にも立っていなかったので当然ですが。鶏泥棒だし。
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To hanehanさん
>世界最大であった上に、衛生的で、治安が良く、教育が施され、リサイクル社会が完成されていたという、当時の世界と比較しても『庶民として生まれてくるなら江戸時代』と言わしめるほどです。
「上流階級に生まれるならロンドン」でしたっけ?

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