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茶の話(14) 丁宗鐵をぶった斬る その2

前回のエントリで、ぶった斬りました丁宗鐵の著書に関しまして、コメントを下さったpurple-dさまから補足説明を頂きました。丁宗鐵も、一応、利休の幼名が田中与四郎であった事については調べていたようです。


purple-dさまには、誠にご迷惑をおかけしまして。

 

また、著書も読まずに批判を書きましたこと、丁宗鐵には大変申し訳なく・・・と思ったら、おいおい、全然間違ってるじゃねーかよ!!

 

 

(以下、本文より)
 千利休はとても視野の広い、進取の気性に富んだ人に違いないと私は思っています。
 たとえば、「千」という名字。日本では今ではめったにない名字です。しかし、高麗には普通にあった名字で、朝鮮半島には今でも「千さん」はけっこういます。
 利休は、田中与兵衛(與兵衛)を父に、宝心妙樹を母に持つことからもわかるように、
「千」は利休の本名ではありません。利休が「千」を名乗った理由は諸説ありますが、足利義政の同朋衆だった祖父・千阿弥(専阿弥)の名から「千」を名字としてとったとする説が最も有力でしょうか。
 私の考えはこれとは異なります。堺に生まれ育った利休は外国風、つまり高麗風の名字を拝借して自分の名字としたのではないでしょうか。彼は多分に高麗趣味を堂々と表に出す人であったと私は考えています。
(『正座と日本人』丁宗鐵著、講談社、初版:2009年4月21日、
 「利休の茶の湯はインターナショナル」p56より引用)

 

 

はて、利休の母が宝心妙樹とな?

 

利休の母は名を月岑妙珎と申し、宝心妙樹と申すは、利休の最初の妻。

 

妻と母を混同するなど、著者は一体何をお調べになったのやら。

 

それにしても講談社の編集担当は、何をボンヤリされておる。
相手は妄想力あふれる著者ゆえ、ゲラを刷り上げる前にこの程度の単純ミスぐらい直して差しあげる優しさを持ちなされ。

 

 

さて、それでは、千利休が「高麗趣味」で「高麗風」の姓を名乗ったと言う著者の妄想について、ちょいとばかり茶々を入れてみましょう。

 

まず、利休の生まれた1522年は室町時代中期。このころの堺の貿易は明との勘合貿易、琉球貿易、南蛮貿易が中心ございいました。織田信長が南蛮(ポルトガル)趣味だったことはよく知られております。そのような世相の中で、インターナショナルな人間がわざわざ高麗趣味というのもどうかと思いますが、その前に。

 

この時代、すでに朝鮮半島は李王朝、国号も高麗から「朝鮮」と改められておりました。
故に、当時存在したのは朝鮮貿易と朝鮮趣味のはず。

 

著者は、利休の趣味を云々する前に、祖先の国の歴史を整理されてはいかがかと。

 

事の真偽は別にして、このような場合、利休は朝鮮趣味で朝鮮風の姓を名乗ったとでも書くべきでございましょう。

 

しかし、利休が「李」とか「朴」とか名乗ったのであれば、朝鮮風と言われても納得いたしますが、「千」となりますと、やはり身内である祖父の名前を取ったと考えるのが自然でございます。

 

さらに、この説は利休の曾孫の記した「千利休由緒書」に書かれていることでもございます。また、信長より賜ったという説も、信長との出会いと時期が一致するという根拠もございます。それとて、本人が書き残したものではないとの理由で疑問視する向きもございますが、何の根拠もない妄想より信憑性の高いものでございます故、茶道教科では代々この説を伝えておるのでございます。


さて、ここで著者が時代はすでに李氏朝鮮でありながら、高麗趣味や高麗風などと言う言葉を使ってしまった背景を察しますに、茶の湯の世界の「高麗物」という言葉に踊らされているようでございます。

 

李氏朝鮮は1392年に始まっており、利休の時代には既に100年以上も経過しております故、この時代には日本におきましても正統な国号の朝鮮が使われておりました。

 

しかしながら、茶の湯の世界におきましては、中国からの輸入物を「唐物」と唐の昔に滅びた国号で呼びならわすなど、古い呼称を好んで使う傾向がございます。その唐物に対応する朝鮮からの輸入物ということで「高麗物」と呼ぶようになったのでございます。日本における高麗の名称は、元々、三国時代の高句麗を指すもので、その後も朝鮮の古風で雅な名称として用いられ、必ずしも高麗時代を指すものではございません。

 


やはり、著者には利休の前に先祖の国の歴史を学ばれた方が・・・

 


というわけで、次回こそ「小間」について

 

 

ぶった斬る!シリーズ

*************************

その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

 

AUTHOR: ご隠居 DATE: 08/22/2010 05:47:45  シナ朝鮮もヨーロッパも歴史にはいくつもの断絶がありますからね。日本のような断絶のない歴史を持つ国のような歴史観とは別物なのでしょう。
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在田(purple-d)でございます。
〝月岑妙珎〟と〝宝心妙樹〟のご指摘におもわず破顔。
間髪なく、的確なツッコミをいただき嬉しい限りです。
〝陸の孤島〟と呼ばれる私の住む一帯も連日の猛暑にいささかげんなりしておりますが、貴殿のブログに遭遇できたおかげで、涼感に満たされる思いでこざいます。
さて、「というわけで、次回こそ「小間」について」と〝ぶった斬るシリーズ その3〟の予告がこざいましたので、小間に関するくだりを引用します。
『正座と日本人』(丁宗鐵著、講談社、初版:2009年4月21日、)
 「利休の茶の湯はインターナショナル」p56より引用
 たとえば、四畳半以下の茶室のことを、小間(小間造り)、小間囲い、あるいは小座敷や草庵茶室といいます。この小間は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のことです。小間には、にじり口が付きものですが、にじり口は朝鮮建築の典型例です。おそらく両班(高麗朝、李朝の文官と武官の総称)の家の隅にある書生部屋をイメージしたものと思われます。
 にじり口とは、高さと幅が六十数センチほどの小さな出入り口で、武具、飾りなどの一切を除き、にじって入るのでこの名が付いています(「にじる」とは、座ったまま膝で進むこと)。朝鮮半島の冬は日本よりずっと寒いため、こうした小さな出入り口が発達しました。おそらく利休は、堺で高麗人やその後に来日した李朝の朝鮮人と交流する中で、高麗茶道の作法とともににじり口をはじめとした小間を発想したのではないでしょうか。
(※以上、原文のまま)
この記述は先の利休に関する記述に続く内容です。

To tm05311さん
>高麗芝と言うのもありまして、舶来物がありがたがられるのは昔からですね。
>しかも、高麗とは何の関係もないそうな。
>以前にも書きましたが、何の価値も無い朝鮮雑器を高額な商品として売った詐欺師に近いのが、千利休ですから、
>後世に朝鮮人扱いされても、自業自得のようにも思います。
利休が自刃させられた理由の一つと推測されている説ですね。
利休は自分が気に入ったものは、壊れた物でも手放そうとしない性分だったので、値を吊り上げたと思われたことでしょうが、茶道具の世界は今でも同じです。

To purpule-dさん
小間の記述をありがとうございます。
お手間を取らせてしまい、すみません。
コメントを参考にさせて頂き、小間の話をアップしました。

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