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茶の話(16) 丁宗鐡をぶった斬る その4

前回は、purple-dさまよりコメントにご提供頂いたテキストにより、茶室にまつわる丁宗鐡の間違いをぶった斬らせていただきました。
 

今回は、茶道と正座と女性の関係についてでございます。

 


恐縮ながら、今回は丁宗鐡の著書を読まれた方のウェブサイトの文章を引用させていただきます。


==== 引用 =====

http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/zaturoku27.html

 

茶道と女性

 

江戸時代、女性が茶道(茶の湯)をすることはなかったという。明治に入ると文明開化の煽(あお)りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途(いっと)をしばらくたどった。それが女子教育に茶道が取り入れられ、茶家にとって起死回生の順風が吹き始めた。『正座と日本人』では次のように述べている。

 

<<江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。茶会は武将たちの面接の場であり、茶の湯は武将たちのたしなみとして発展しました。そこに女性の入り込む余地はありません。また、狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした。

 

それを変えるきっかけの一つは、女子教育の中に茶道が取り入れられたことです。1875(明治8)年、跡見花渓(あとみかけい)は跡見女学校を創設し、そこで茶道も教え始めました。当初、跡見女学校に集まった生徒は良家の子女が中心で、その後、跡見女学校は跡見女子大学などに発展していきます。

 

明治の半ば以降、跡見女学校に続くように、華族女学校(のちの女子学習院)や共立女子職業学校でも茶道が教えられるようになります。裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります。

 

こうして、いわゆる良家の女子を中心に、茶道は女性のあいだにも広まっていきました。その際、茶道は正座をして行われました。アグラや立て膝をして行われることはありませんでした。>>

 

現在、茶道をたしなむ人は、女性のほうが多いと思われる。しかし、室町時代の村田珠光(じゅこう)、千利休(せんのりきゅう)から連なる茶道は、男性中心に伝えられ、明治になるまで女性には無縁であったとは驚きである。

==== 引用終わり ====

 

 

さて、今回も客観的事実と大きくかけ離れた間違いのテンコ盛りでございます。

 

 

>江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。

 

全くの間違いでございます。

 

まず、安土桃山時代に遡りますが、北政所が豊臣秀吉の死後菩提を弔うために高台寺を建立いたしました。北政所は、この高台寺でたびたび茶会を開いており、多くの公家や大名が秀吉を偲んで茶会を楽しんだのでございます。

 

高台寺にございます遺芳庵という茶室は、茶人・灰屋紹益が夫人の吉野太夫を偲んで建てたものでございます。
 

吉野太夫(1606-1643)は、江戸初期の六条三筋町の太夫でございます。六条三筋町七人衆の筆頭で、和歌、俳諧に優れ、琴や琵琶なども弾きこなし、書道、茶道、香道、華道など極めた現代風に言うならばマルチ才女でございました。

 

高台寺では、現在でも北政所の月命日に献茶式が催され、吉野太夫ゆかりの遺芳庵に因み島原太夫道中とお点前の披露がございます。

 

男性ほど数は多くないものの、身分のある女性にとっても茶の湯は嗜みの一つでございました。

また、豊臣秀吉の催した北野大茶会では、老若男女身分国籍の隔てなく茶の心得のある者は参加を呼びかけられ、茶が振舞われたのはよく知られたことでございます。

 

  

  広重「神田お玉が池の故事」             渓斎英泉「炉ひらき」

 

 

>また、狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした。

 

茶道の師匠が男性だけだったと勘違いしているような文章でございますが、そのようなことはございません。

 

裏千家六世の六閑斎(1694-1726)は、ご母堂並びに表千家如心斎のもとで茶道修業をしております。

 

裏千家十世の認得斎(1770-1826)の夫人、松室宗江は認得斎に次ぐ茶人として知られ、養子に迎えた十一世玄々斎(1810-1877)の茶道教育に尽力いたしております。

 

茶室においては誰もが平等というのが、利休の茶の思想でございます。

 

 

>裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります。

 

大きな間違いでございます。

 

裏千家十四世淡々斎が、円能斎の後を継いだのは大正13年。翌年、大徳寺円山伝衣老師の下で得度し「無限斎」の号を授与されます。京都第一高等女学校が設立された明治37年、淡々斎は弱冠12歳でございました。高等女学校で教授をするなどあり得ません。

 

京都第一高等女学校の前身、新英学級及女紅場が設立されたのは明治5年でございますが、こちらで茶道教授をしておりましたのが十一世玄々斎の長女で十二世又玅斎の夫人にして淡々斎の祖母、真精院でございました。真精院の婦人層への茶道教育の功績は大きく、大正期には女性の茶道人口が男性を凌ぐほどになった程でございます。

 

また、大正3年には十三世円能斎が高等女学校での茶道指導を開始。茶儀科のために簡略な「盆略点前」を考案いたしました。

 

 

>その際、茶道は正座をして行われました。アグラや立て膝をして行われることはありませんでした。

 

この文章は、利休時代に茶道が胡坐や立て膝で行われたという丁宗鐡の主張の流れから来るものでございますが、茶道が胡坐や立て膝で行われたという歴史的文献は存在しません。

 

茶道をなさってみればお分かりになりますが、茶道の動作には正座でなければ不可能なものが多くございます。
 

まず、茶道は武道などと同じく礼に始まり礼に終わると申します。お辞儀の仕方も、真行草の三段階に細かく規定されており、茶会の間に何度もお辞儀をする場面がございますが、胡坐や立て膝でお辞儀はできません。
次に、躙る(にじる)という動作でございますが、正座の姿勢のまま両手を使って進むものでございます。小間の茶室において、茶碗や拝見道具を受ける際、また返す際、客の動作はすべて躙って行います。胡坐や立て膝では躙ることはできません。
 

また、亭主が道具を拝見に出す際、水指正面から客付の間を最大90度、体の向きを回転させる必要がございます。その際、左手に茶入れなどの道具を持ち右手は膝頭に置いて回ります。この動作を胡坐や立て膝でもやってやれないことはございませんが、非常に見苦しいものとなります。一度、和服を着てお試しになって下さいませ。美の求道者でもある利休が、そのような真似を致したとは到底考えられないことでございます。
茶道においては、立ち上がったり座ったりする動作も美しくなければなりません。胡坐や立て膝から立ち上がる動作と、正座から立ち上がる動作では美しさに断然違いがございます。

 

もうひとつお試しいただきたいのは、胡坐や立て膝で、煎茶でもインスタントコーヒーでもよろしいですからお淹れになってみてください。足元に置いた湯飲みやコーヒーカップで入れた飲み物を、美味しくいただける方がいらっしゃるとは思えません。況や、そのようなものをお客様におすすめするなど、失礼この上ないと感じるのが正常な日本人の感覚と存じます。


茶道において最も重要な教えは「和敬清寂」でございます。
このうち「敬」は、尊敬の敬でありお互いを敬い合うことを教えているのでございます。互いを敬う気持ちがございますれば、自然と胡坐や立て膝のような姿勢は致さないものでございます。

 

 

 

以下は、ウェブページを書かれた方の文章でございますが、丁宗鐡の論説の代用として引用させていただきます。

 

>明治に入ると文明開化の煽(あお)りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途(いっと)をしばらくたどった。


一部日本人の間にも、このような言説を唱える方がおいでですが、これは明治維新で大名が廃止され茶人のパトロンがいなくなったという勘違いから起こるものでございます。確かに廃藩置県で大名は廃止されましたが、明治維新はシナ朝鮮の易姓革命とは異なります。大名の多くは華族に列せられ、茶の湯へのサポートも続いたのでございます。

 

また、三菱の岩崎弥之助を始め、江戸時代からの豪商、三井、鴻池、住友や明治政府の政治家などの新興勢力が、茶の湯をステータスと考え深く傾倒する人物や、財力によって茶道具を収集する数寄者などが多く出現いたしました。

 

中でもよく知られておりますのが井上世外、明治の元勲・井上馨でございます。長州の下級武士の子であった井上は、当初攘夷に参加しておりましたが、伊藤博文らと渡英し開国派に転じ、維新後は大蔵大輔、元老院議官、外務大臣、農商務大臣を歴任いたしました。明治20年には天皇を招いて茶会を行っております。

 

井上世外に招かれた茶人には、三井財閥の益田鈍翁や三井八郎右衛門、帝国蚕糸の原三渓、鉄道王根津嘉一郎、大日本麦酒(現アサヒ・サッポロビール)の馬越化生、安田銀行や帝国ホテルを設立した安田財閥の安田松翁などがおり錚々たる顔ぶれでございます。

安田財閥の安田松翁は43年間に378回もの茶会を催す程の茶人で、彼の茶会には渋沢栄一、大倉喜八郎、高橋是清らも招かれております。

 

帝国蚕糸の原三渓が残した横浜の三渓園には、茶席を備えた聴秋閣などの重要文化財がございます。三渓は、数寄者としてよく知られ、多くの茶道具や美術品を残しております。

 

また、朝日新聞創設者の村山龍平、藤田組の藤田香雪、初代大阪市長の田村太兵衛、大阪商船の田中市兵衛、百三十銀行の松本重太郎、帝国銀行・北浜銀行を創立した磯野小右衛門、白鶴酒造の嘉納次郎左衛門、住友春翠らが毎月交代で釜をかける「十八会」なる会を結成し、政財界人の間に同じような茶の湯の会が多く発足したのでございます。

 

このように明治期の茶の湯は、開国で財をなした新興勢力によりかつてないまでに華々しいものとなり、本来の茶の湯の精神からかけ離れていると却って批判を浴びるほどでございました。

 

裏千家においても、幕末維新の時代の流れに敏感であった十一世玄々斎は、長女真精院を婦人層への普及に努めさせた以外にも、外国人の生活様式を考慮したお点前を数多く考案しております。第一回京都博覧会では、正座の習慣のない外国人のために考案した立礼式を披露しております。この他、ピクニックを好む欧米人にも親しみやすい茶箱点前などがございます。

 

明治維新で大名が華族に列せられたことにより、千家等の町人茶道家元と宮家茶道との関わりができ、現在でも姻戚関係が続いております。

 

 

 

次回も引き続き、正座について。

 

 

 

 

ぶった斬る!シリーズ

*************************

その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

まとめ 丁宗鐡「正座と日本人」間違い一覧

 

 

 

 

AUTHOR: tm05311 DATE: 08/28/2010 06:54:12 朝鮮では女性は物として扱われてきましたから、日本でもそうに違いないと思っていますね。 逆に日本人は自分達と朝鮮人や中国人を同じだと勘違いする人が多いのと同じですが。 平等と同質は違うのですが、混同している人が多いようです。 そう言えば、日本テレビだったと思いますが、昔は立てひざでお茶をしていたとやってましたね。 正座は刑罰だからしないとか、そんな話でした。TVはその程度です。 今回も面白かったです。自分はイスの上で胡座をかくタイプです。胡座もゆるく足を組んでいます。
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To 相模さん
>桜井よしこ氏も子供の頃、ご母堂から茶道の手ほどきを受け、ハワイ大学に留学して先生についたのだそうです。
>茶道の良さは、心の制御が所作の美しさにつながる、と述べています(「明治人の姿」桜井よしこ p28)
>
>先週、NHK教育テレビ(午後1時前後の番組)で、茶道の教授をしているのを偶然見ました。
>所作は、すべて正座で行われました。
>
桜井よしこさんは、あらゆることを勉強されているので本当に感心します。
教育テレビの茶道は、去年の2、3月ごろにもやっていました。冬でしたので、炉のお点前でしたが、今は夏なので風炉点前でしょうか。うまく構成されていて面白かったです。
>(追記)
>過日ご紹介下さったオーストラリア・ワイン「シラーズ」(黄ラベル、2007年)購入しました。
>ワイン飲みではないので評論出来ませんが、コクと酸味が混ざった「辛口」でした。「赤玉ポートワイン」とは違う「ツウの味」です。
>正座でなく台所で腰掛けて飲みました。
オーストラリア・ワインは、お手軽な値段で気軽に楽しめるのが魅力です。
赤玉ポートワインは、日本初のワインで懐かしい味がしますね。

力が入ったエントリですね。引用部分だけを見ると、その通りなのかと思ってしまうところです。勉強になります。
私は、古武道の末席の末席を穢させていただいたくらいの経験しかありませんが、武道とお茶に通じるものを感じます。単なる精神性ということだけではなく、本質的な部分として、どこでもいつでもその本質において相手に対応するというところが、その肝に相当するように感じます。

無知に付け込んだ捏造の恐ろしさを、改めて考えさせられました。
ましてや土人半島ですから、『言った者勝ち』という賎ましい行状が普通の世界ですし・・・。

To kentantoさん
>力が入ったエントリですね。引用部分だけを見ると、その通りなのかと思ってしまうところです。勉強になります。
>
>私は、古武道の末席の末席を穢させていただいたくらいの経験しかありませんが、武道とお茶に通じるものを感じます。単なる精神性ということだけではなく、本質的な部分として、どこでもいつでもその本質において相手に対応するというところが、その肝に相当するように感じます。
>
武道をなさる方が、お茶の世界に入られるケースは多いですね。
武道により神経が研ぎ澄まされると、お茶との共通性を見出せるとおっしゃっています。
逆のパターンはあまり聞きませんが。

To hanehanさん
>無知に付け込んだ捏造の恐ろしさを、改めて考えさせられました。
>ましてや土人半島ですから、『言った者勝ち』という賎ましい行状が普通の世界ですし・・・。
>
検索しますと、この本を読まれた方がブログなどに書評を書かれていますが、中には「証拠となる図が少なく都合よくまとめているようだ」と疑問視されている方も多いようです。

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