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茶の話(22) 間違いだらけの丁宗鐡「正座と日本人」

丁宗鐡著「正座と日本人」の茶の湯に関する間違い一覧でございます。

 

講談社に返金運動をする際などにお役立て下さいまし(笑)

 

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(誤)利休は、田中与兵衛(與兵衛)を父に、宝心妙樹を母に持つことからもわかるように

(正)利休の母は、月岑妙珎宝心妙樹は最初の妻。

 

 

(誤)四畳半以下の茶室のことを、小間・・・

(正)四畳半より小さい茶室を小間という。四畳半は広間としても使える。

 

 

(誤)四畳半以下の茶室のことを、・・・草庵茶室といいます。

(正)四畳半以下で、草庵でない茶室もある。違い棚、書院などが付いたら草庵にならない。

 

 

(誤)この小間は、江戸時代までは「高麗」と書き、朝鮮建築のことです。

(正)高麗と書いて「こま」と読むのは、高句麗のこと。江戸時代は、地名などを除いて高麗は「こうらい」としか読まない。

 

 

(誤)にじり口は朝鮮建築の典型例です

(正)"korean traditional house"で画像検索してみましょう。

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=korean+traditional+house&rlz=1R2TSJH_jaJP342&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=-A5xTPP2HI3AuAOr08xC&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCIQsAQwAA&biw=1039&bih=589

 

 

(誤)おそらく利休は、堺で高麗人やその後に来日した李朝の朝鮮人と交流する中で、高麗茶道の作法とともににじり口をはじめとした小間を発想したのではないでしょうか

(正)利休が生まれたのは1522年。1392年に滅びた高麗人と交流することは不可能。

(正)にじり口は、利休の師匠武野紹鷗の時代にもある。利休の発明ではない。

 

 

(誤)江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。

(正)吉野太夫、松室宗江など名高い女流茶人もいる。

 

 してるし・・・

 

 

 

(誤)狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした

(正)秀吉の時代から、千家をはじめとする町人茶道は、老若男女、身分、国籍関係なくできる。

 

 朝鮮の女性と違い、江戸の女性は社会のあちこちに自由に出没していた。

 

 

 

(誤)裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります

(正)京都第一高等女学校の前身、新英学級及女紅場で茶の指導をしたのは、淡々斎の祖母真精院。淡々斎の父、円能斎が高等女学校で茶の湯の指導を始めたのが大正3年。京都第一高等女学校が設立された明治37年、淡々斎は12歳。

 

 

(誤)明治に入ると文明開化の煽りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途をしばらくたどった。

(正)明治時代は、文明開化で財をなした新興勢力が新たな茶の湯の担い手となっている。

有名な明治の茶人は、井上世外(井上薫)、三井財閥の益田鈍翁や三井八郎右衛門、帝国蚕糸の原三渓、鉄道王根津嘉一郎、大日本麦酒(現アサヒ・サッポロビール)の馬越化生、安田銀行や帝国ホテルを設立した安田財閥の安田松翁、、朝日新聞創設者の村山龍平、藤田組の藤田香雪、初代大阪市長の田村太兵衛、大阪商船の田中市兵衛、百三十銀行の松本重太郎、帝国銀行・北浜銀行を創立した磯野小右衛門、白鶴酒造の嘉納次郎左衛門、住友春翠など錚々たる顔ぶれ。

 

 

(誤)茶道を大成した千利休、利休の師にあたる武野紹?(たけのじょうおう)、千家三代目であり三人の息子たちがそれぞれ表千家、裏千家、武者小路千家を興した千宗旦(せんそうたん)、江戸時代に江戸千家を創始した川上不白(かわかみふはく)などの肖像画や木像は、“アグラ”や坐禅の座法である“半跏趺坐(はんかふざ)”である。

(正)利休、宗旦、細川三斎、古田織部、小田有楽斎、村田珠光などが正座の肖像も残している。胡坐や座禅を組んだ肖像は、法衣や道服を着ている。坊さんと同じなので胡坐や座禅でも不思議はない。

 

 

(誤)これらを総合して考えると、寺院の儀礼的な飲茶茶礼から亭主と客が心を通わせる茶の湯、さらには精神性を高めた茶道へと発展する過程に、正座はまったく関与していなかったといえそうです。少なくとも江戸時代後期までは正座と茶道を結びつけるものはないと考えるのが妥当です。

(正)江戸時代初期の「人倫訓蒙図彙」に、正座をしている茶の湯者が描かれている。

 

 

 

(誤)江戸城内では刃傷沙汰がときどき起きていた。そのため、刃傷沙汰を防止する意味を含めて、足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたす作法が注目された。やがて各大名が将軍に拝謁する際、動きづらい長袴を礼装にして、正座をとらせるようになった。これが八代将軍・吉宗(1684~1751)の代からとしている

(正)江戸城内の刃傷沙汰で改易になったのは、赤穂浅野家だけである。長袴は、秀吉の時代には既に礼装になっていることが、伊達家の歴史書「貞山公治家記録」に書かれている。

また、浅野匠守が吉良上野介を斬りつけた際に着用していたのは長袴で、五代将軍・綱吉の時代であったことは日本人なら誰もが知っている。

 

 

(誤)この支配階級(=武士階級)の作法である正座を、明治新政府は、正座の習慣がなかった庶民にも勧めた

(正)正座は、武士階級だけの作法ではない。江戸時代の多くの文献に、町人や庶民が正座している絵図が残されている。

 

 両替商

 

 

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ぶった斬る!シリーズ

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その1 丁宗鐡をぶった斬る!

その2 妻と母親を取り違える丁宗鐡

その3 安土桃山時代に高麗人!?!時空を超える丁宗鐡

その4 朝鮮女性はモノと同じですが、江戸の女性は違います

その5 丁宗鐡「利休は正座していなかった!キリッ!」 ~ してますが。

その6 忠誠心と敬意の違いが理解できない丁宗鐡

その7 正座は日本人の心です

その8 丁宗鐡が知らない畳の歴史

その9 江上剛・書評を書いて法則発動

 

 

 

AUTHOR: 犬 DATE: 09/11/2010 14:15:17 半島人は誤魔化したり勘違いさせたりする天才なのです!それができるのは民族の精神的な芯がないからだと思います!日本のように和魂洋才ではなく無魂洋才だと… そのクセに人より目立つことが何よりも好きですから… どんな事にもアンチテーゼを出してしまうのです!村田や千利休が 書いてある本を出せば一発なのに …書いてないと思うが 書院を離れに変えいきなり話の最中に襲われないように周りを竹林にしたりにじり口にしたり…と考える方が自然です!半島人にとって朝鮮が日本に影響を与えたはキリスト教でいう神の啓示なのでしょう!
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お茶の話は、一区切りつきましたね。お疲れさまです。続きが楽しみです。
この本は壁に叩きつけて破壊してしまうので、講談社から返金して貰えないと思うので、買いません。

To 犬さん
>人に自慢できたり誉められたりする才能ではありません …悪事には役立ちます !かの国では製法はメロンパン、 味はコーヒーというパンが人気なようです!
で、メロンパンとコーヒーの起源は韓国ニダと主張するんですね。
しかし、起源を主張することに何の意味が・・

To tm05311さん
>お茶の話は、一区切りつきましたね。お疲れさまです。続きが楽しみです。
>この本は壁に叩きつけて破壊してしまうので、講談社から返金して貰えないと思うので、買いません。
このシリーズでは、韓国茶道(笑)と絡ませるのが難しいテーマを取り上げることができたので良かったです。

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